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金曜の夜、映画の帰り
繁華街の隅、歓楽街からの空気が流れ始めるのを感じながら、私は駅に向かった。商業施設の光とクリスマスに向けて設置されているイルミネーションが、雨上がりの黒々としたアスファルトや、待ち合わせをする人々の顔を照らしていた。浅い呼吸で、現実世界の冷たい夜に突っ込む。
喉の下がぐつぐつしていた。外の情報も捕らえながら、自分のゾーンにも深く入り込んでいるときの感覚。今回は、ちょうど映画『ゴジラ-1.0』を観て帰るところだった。
音楽コンサートへ行ったとき、美術館へ行ったとき、歴史の教科書で見たヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」に入ったとき、初めて『戦場のメリークリスマス』を観たとき。そうやって何かを目の当たりにしたとき、喉の下がグッとなって言葉が出なくなる。打ちのめされたり、何かの想像に集中しているときにはよく起こる。
しかし、ときどきこの「ぐつぐつ」には別の感情が付いてくる。それは、「こんなものを観てこんなに心が揺さぶられているのに、お前は?」という自分への怒りのような、焦りのような感情。「いつも揺さぶられっぱなしでお終いか?」と。
私には何かを作った覚えがない。だから、能力を比べて落ち込んでいるとか、発想の違いにショックを受けているとか、そういうのではない。ただ、憧れみたいなものがあるのに、なぜ全然違うところにばかり意識や労力を注いでいるのだろうかと、ふと思うことがある。そして、なんとなく自分を責め始める。まくし立てる。昨日は電車に乗ってからも呼吸が浅かった。動揺していた。
単に作ることに興味が無いからか。自分が好きなのは受容や咀嚼自体であるからか。何かに没頭することで一時的に自分により近い現実から目を背けようとしているからなのか。それとも、真っ当に憧れて傷つくのが嫌だから?あるいは心の底では「どうでもいい」と思っているから?実は楽をする方に易々と流れているから?
自分で望んで向かわなければ時間は勝手に過ぎてしまうのに。自分は一体何を望んでいるのか。全然わからない。満たされない気持ちがあることだけがわかる。これも考えたり手を動かすことを放棄しているだけなのか。
お前はどうしたいんだ。もう10年以上、同じところを彷徨ってはいないか。
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