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嫉妬

 8月の頭に書いて下書きのままになっていたことに1か月以上経過してから気がついた。気がついたのは、「ああ、これも嫉妬だな」と感じたことがあって、そういえば嫉妬についてなんか書いたことあったような…?と思い出したから。時間が空いたけど、あげておこう。きっとまた、思い出すだろうから。

 こんなこと書くのは、わたしのため。誰かの役に立つなんてことはなくて、わたしのため。わたしがわたしを助けるため。

 先月末(7月末)の獅子座新月を経て、こびりついて離れなかった諸々がようやく削ぎ落とされた感じがあった。いままでは何にも見えていなかった、見ていなかったと感じるくらいに、世界の見え方が変わった(ように感じている)。
 なにが削ぎ落とされたのか?それは、おもに嫉妬。それが自分の内にいることをようやく認め、受け入れられたから、手を放すことができた。
 長年わたしを苦しめてきた、嫉妬という感情。悟られるのはみっともなくて恥ずかしいから、ずっと隠そうとしてきたし、そこにないフリをずっとしてきた。優越感や劣等感とも絡まり合ってずっと苦しんできたのに、優越感や劣等感には気づいても、嫉妬の存在は無視し続けた、いや、気づいてもいなかった。
 それをある日するりと認めることができた。そのきっかけになったのが、Twitterで目にした、さわこさん(@sawakoio)の投稿。
 ああ、そうか。わたし、羨ましかったんだね、と。わたしもそうしたかったんだね。それが欲しかったんだよね、と素直に受け入れられた。
 姑、夫、友人、知人、芸能人、あふれる才能を活かして活躍する人々、SNSで目にする様々な投稿…。羨ましかった。欲しかった。手に入れたかった。だけど、叶わなかった。叶える努力もできなかった。なにも持たないわたし、できていないわたし、できないわたしを責められているようで辛くもあった。だから余計に蓋をしていた。
 それをするりと外すことができた。なぜ?残念ながらはっきりとはわからない。覚えていない。だけど日常を送る中で、きっと感覚や言葉として掴めるようになる前の状態で内面に積み重ねられきたものがあったに違いない。そこに最後の一押し、輪郭を与えて解放してくれたのが、あのとき目にしたさわこしの投稿だったのだ。それがきっかけで、嫉妬との付き合い方を学ぶことができた。そして、するりと1歩抜け出せた。
 嫉妬との付き合い方自体は、なんてことないことだ。その感情をきちんと認めて、自分にもそれを与えてあげる。そうしてあげられるように行動すること。(きっとこれが難しいので拗らせてしまいやすいのだとは思う。)さわこさんご自身も幾度となく仰っていることだと思う。だけれど、あのときまでわたしには真の意味で理解できていなかった。響いていなかった。今、ようやく受け取ることができた。
 嫉妬との付き合い方を学んだら、なんだか体が軽くなった気がしている。それはそうか。もやもやした行き場のないエネルギーに、向かう先、抜けていく先を与えられたら、滞ることなく流れていけるから。
 長年苦しめられてきた嫉妬の感情。付き合い方を学んだとはいえ、もちろんすべてがすぐに霧散したわけではない。ほかにも様々な過去の記憶なんかと雁字搦めになっている場合もあるから、解きほぐすのは決して易しくない。けれど、たとえ嫉妬を感じても、辛い、苦しい、痛み、怒り、どうせわたしは…に瞬時に繋がりにくくなった。あ、わたしいま嫉妬してる…とクッションを置けるようになったし、じゃあどうしてあげよう?と考える余白ができたし、それを本当に自分自身にしてあげることもできるようになってきた。以前のように簡単に諦めてしまう場面が減ってきた。そんなわたしが喜ばしくて、嬉しくて、すこし誇らしい。ありがとう、わたし。これまで生きてきて、よかった。これからも、よろしく。

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