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暗い重い感情を表すことを自分に許す

 娘と映画「SING」を見ていたとき、ケイティ・ペリーの「Fireworks」という曲が日本語歌詞の字幕付きで流れる場面があった。

風に飛ばされるビニール袋みたいな気分になったことある?
はじめからやり直したくなるような?
薄っぺらな紙みたいな気分になったことはある?カードで作った家のように、ひと吹きで消し飛ぶような?
(以上、うろ覚えand私による適当な訳)

 その歌詞を目で追いながら、「自分の中の暗い重い感情を表してもいいんだ」と思った私がいた。(もちろん、この曲は暗い感情を表現したものではなくて、そんな気分になっても大丈夫、心の中にいつでも光はあるから、それを輝かせて!とむしろ元気づけるエンパワメント系の歌。)
怒りや憤り、無関心、孤独感といった重い感情を表した曲はたくさんある。音楽でなくとも、絵画で表現されたものだって山ほどあるのにも関わらず、まるで初めて知ったみたいに「あ、いいんだー」と、のんきに思った。
 それはつまり、わたしは怒りや憤りを公に表すことを自分には許していなかった、ということだ。自分には許されていないと思い込んでいた、ということだ。そんな発見にちょっと驚いている。
 もちろん、愚痴をこぼしたり、いわゆる負の感情や状態を外へ表したことがないわけじゃない。何度だってあるし、どちらかと言えば、つい閉じ込めてしまって、耐えかねて暴発するタイプ。制御しながら冷静に表すのが苦手な自覚があるから、無意識のうちに閉じ込めておこうとしてしまうのだろう。暴発しやすいから、自分には許されないと思い込んでしまった。
 さらに、ハッピーな感情は受け入れられやすいけど、ネガティブな感情は拒絶されやすいから表現するべきでないという思い込みもあった。これはまったくの思い込みではないにしても、相手の状態によっては、ハッピーな感情だって受け入れ難いときはある。例えば、失恋したばかりのときに、友達の惚気話なんて聞きたくない。拒絶されやすいネガティブな感情表現はするべきでないという思い込みには、嫌われたくない、波風立てたくないという恐れが透けて見えている。嫌われたくなくて、もう上辺だけの話しかできなくなっていた。誰ともそれなりに話すけど、誰ともとくに仲良くもなれない。
 無意識のうちに自分を縛り付けていた思い込みに気づいてしまったら、感情を外へ表現するのを自分に許したくなった。もちろん、暴発でも垂れ流しでもなく。もし芸術的な表現に昇華できたら素晴らしいけど、そうでなくても、家族に気持ちをシェアしてみるとかでもいいのかも…技術を要するね、それも。技術と練習とが必要だね。家族に話すのもハードル高そうなので、ノートに包み隠さず書き出すのがいいかもしれない。包み隠さずというが、なかなか難しいのだ。誰にも読まれないノートの上にですら、ネガティブな感情は安心してさらけ出せなかったりしていたから。書いてしまうと形を与えるようで怖かったから。これはかなりリハビリが必要かもしれない。でも挫けずにやってみよう。

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