3本目のねぶり棒
大晦日、インフルエンザからようやく回復し、久しぶりに外へ出ました。一階に降りてマンションのポストを開けると、お便りが2つ届いていました。
1つ目は文通相手から届いたお茶パックでした。クリスマスカードのお返しに送ってくれたもののようで、胸の奥がホッコリしました。
2つ目は、なんとニッポン放送からの封筒でした。「ニッポン放送」の文字を見た途端、今度は胸の奥がザワザワし始めました。どうしてニッポン放送から俺に封筒が……? 思い当たる節がありすぎる。ひょっとして、数ヶ月前に送ったバイトの応募の結果とかかな。
恐る恐る封筒を開けると、中から2膳の割り箸が現れました。そして赤い服を着た美男が目をつぶって歌っている姿のブロマイド写真も。写真を裏返すと、「この度は最優秀音楽ジングル賞受賞おめでとうございます」の文字。……どうやら、俺は知らない間に星野源のオールナイトニッポンの年間ジングル賞を獲っていたようです。写真の美男の正体はディレクターの落合さんだった。最近、とあるきっかけからラジオが聴けなくなっていたので、全く気づきませんでした。そうか、俺のあの思いつきで録った花粉の歌が、星野源アワードで大賞を獲ったのか……。混乱しないよう、頭の中でゆっくりと情報を整理しながら、駅に向かって歩き始めました。
それは今年の春のこと。酷目の花粉症の俺は、花粉がようやく去ったと思って喜んだものの、すぐにまた花粉がぶり返してきたので、勝手にキレていました。このやり切れない思いをなんとか発散したい。そういう時に必ずやることがあって、それは「やり切れない思いを即興で歌にして録音して星野源のオールナイトニッポンのジングルのコーナーに送りつける」というものでした。その時は出勤中で恵比寿を歩いていましたが、ええいままよ! と勢いで歌を録音し、そのまま星野源のオールナイトニッポンに送りつけました。はぁ、ちょっとスッキリしたぁと思いながら、出社したのを覚えています。
2週間後、高円寺から新宿方面へ歩きながら、タイムフリーで星野源のオールナイトニッポンを聴いていたら、唐突にその瞬間は訪れました。なんとイヤホンから、俺のしょうもないラジオネームと、下手くそな花粉の歌が聞こえてきたのです。あまりに自然過ぎて、最初は何が起こったのか全くわかりませんでした。え、どういう状況? これは一体、何? あの源さんが、俺の下手くそな花粉症への憎しみの歌を聴いて共感している? そしてねぶり棒をくれた!? まじか!! ワッツ8分!?!?
※ねぶり棒とは、星野源のオールナイトニッポンの中で、パーソナリティの源さんが「イイね!」と思ったメールに与えるもので、いわばナイスメール賞みたいなもの。“ねぶる棒“という字の如く、初代は歯ブラシで、今は割り箸が与えられる。
あの時俺は人生をかけた脚本を書いている最中で、その後の人生がうまくいくのか全く分からない状況だった中、そのジングル採用はまさに蜘蛛の糸のようなものでした。そちら側(エンタメを提供する側)からこちら側(エンタメを受け取る側)に垂れてきた糸のように思えて、全く可能性がないと思っていたところに、一筋の光が差してきたように思えた瞬間でした。ついに俺の道が開けたんだ。道のない道をひたすら駆け巡ってきて、ようやく繋がった。この糸を頼りに進めば、きっと向こう側へ行けるはず。よし、このまま頑張ろう。その細い細い糸は、自分にとって大きな精神的支えとなり、その後の数ヶ月間を走るためのガソリンになりました。
そしてそのジングルはなんと翌週、音楽に知見のある方によって魔改造され、ボサノヴァ風シングルとして生まれ変わりました。味気のないただの不安定な歌声に素晴らしい音楽がミックスされ、とんでもないハイクオリティのジングルになったのです。それを聞いて源さんが爆笑していて、何度も嬉しくなって笑みがこぼれました。あの回のタイムフリーは、何回聴いたか分かりません。
2週にわたって、自分の思いつきで録った花粉の歌が遊んでもらえて、本当に幸せでした。今年起こった嬉しい出来事ベスト5に余裕でランクインします。今でも信じられない気持ちでいっぱいです。
それから数ヶ月経ち、もともと計画していた脚本の作戦は失敗しました。つらくて、苦しくて、その反動でラジオが聴けなくなってしまいました。(今でも聴けないままで、売れたらまた聴き始めようと思っています)
そしてようやく絶望のループから復活した10月、反撃の狼煙の第一歩目は、ニセ明氏への感謝の手紙でした。就活をしなければいけない時期だったけど、その前にニセ明氏へ感謝の手紙を送ることにしたのです。それは、その時読んだ源さんのエッセイ『生命の車窓から2』が本当に素晴らしかったからで、本のカバーを開けたら思わず現れたニセさんに爆笑し、「あ、ニセさんにファンレター送ろう」と思ったのでした。
時は経ち、12月になりました。不運にもインフルエンザに罹ってしまい、最後の1週間を棒に振ってしまいそうでしたが、最後の最後に、星野源のオールナイトニッポンから素敵なプレゼントをいただきました。もう気持ちを抑え切れなくて、iTunesで検索窓に「Hello Song」と打ち込み、久しぶりに源さんの歌声を聴きました。やっぱり涙があふれました。
あの時天から垂れたと思った蜘蛛の糸は幻だったのかもしれない。それでも、向こう側とこっち側は今でも繋がっているような気がしました。ニッポン放送からのお便りのおかげでそう思えたのです。今日、この年の瀬の最後にそう思えたことが本当に嬉しくて……だからたまらず文にしたためました。
いつかNHKで見た『おげんさんといっしょ』に大感動して、源さんへ感謝の手紙を書いて、そのままニッポン放送に駆け込み、感謝の手紙を警備員さんにことづけようとしたら、「そういうの承っていないんです」と断られた。
帰りしな国会議事堂前駅を通りながら、プラカードを持って「なんで感謝できないんだ!」と1人でデモしてやろうかと憤ったけど、なんとか鎮めて、いや逆に燃えて、翌月また火曜日のシフトを休みにして、もう一回感謝の手紙を渡すためにニッポン放送へ向かいました。今回はちゃんと作戦を立てました。直接渡すのは絶対に無理だし、出待ちも迷惑だろうな。そうだ、ニッポン放送の社員さんっぽい人にことづけて渡してもらおう。腹が決まり、夜中にニッポン放送の周りをぐるぐる回りながらスーツ姿のそれらしい人に声をかけようとしたけど、勇気が出ませんでした。当時ADだった落合さんになら声をかけられると思って、「落合君現れろ〜」って念じながら歩き続けたけど、結局会えずにそのまま終電でトンズラしました。手紙なんだからニッポン放送宛てに送れば済むのに、その時の俺は警備員さんに感謝を伝えることを拒まれた意味が本当に分からなくて、頑なにアナログに渡そうとしていた。笑 本当、自分でも燃費悪い性格してんなーって呆れ返る。
それからなぜか、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームでは、数あるメンバーのタオルが売れられている中、迷わずDJ落合氏の赤いタオルを購入ししました。
そして今、手元に落合さんのブロマイド写真がある。まるで俺、落合さんのファンみたいだな。まぁファンみたいなものか。
絶望してラジオを聴けなくなった時、俺は自分を慰めるために、売れてラジオパーソナリティをやっている自分の姿を妄想しました。その時の俺がこう言いました。
「悔しくて、苦しくて、しんどくて、死にたくて……そんな日々も、いつか笑って話せる時が必ずやってくる。お前が苦しめば苦しむほど、その絶望はやがて希望に変わり、同じ経験をした人の心を照らすんだ! だから無駄じゃない、お前の葛藤も、孤独も、死ぬほど努力した末の絶望も無駄にならない! だから生きろ!」
高田馬場駅で山手線から西武新宿線に乗り換えながら、ツーと目から涙がこぼれました。自分の妄想の世界で勝手に楽しんで、勝手に絶望して……そしてまた妄想によって自分を救うという。なんてバカな男なんだろうと笑ってしまったけど、同時にいい性格してんなーとも思いました。きっと脚本家として売れたらラジオで話す瞬間だって来るだろう。その時の俺が、絶望している今の俺の悲鳴を聞いて助けてくれたんだ。という、妄想。
「絶望した主人公の悲鳴が“特殊な電波”を通って未来の売れた主人公のラジオパーソナリティのもとに届き、それを受け取った未来の主人公が、“特殊な電波”を通じて死のうとしている過去の自分を救う物語」
こうして書きたい物語が決まりました。ラジオは聴けなくなったけど、頭の中ではいつもパーソナリティの源さんの声が聞こえてきます。届くかはわからないけど、明日から2月28日のヤングシナリオ大賞の〆切まで、またガムシャラに走ろうと思います。俺はどうやったって自分の血をインクにして書くことしかできないみたいだ。あの頃の絶望をエンターテインメントに昇華して、絶対におもしろいものにしてみせます。
よし、がんばろー!
2024年最後の夜に。