Warming-up

 先日、22歳を迎えた。やっと諸々落ち着いたので、約半年ぶりに記事を書いてみる。
 21歳は、長い学生生活の中で最も「あっという間」に近い一年だった。1月半ばまではプライベートに追われ、春休みは大学でバイトをしつつ一人旅を画策。友人の勧めでようやく就活を始めたかと思えば(インターン等には一切参加せず、本番のESからスタートした)、年度明けはすぐに教育実習。夏休みは諸事情で勉強を続けていたし、秋学期に入ると卒論と同時に日常でも波乱の毎日だった。
でも、時折noteに書いたように多くの場所に行けたし、仮面ライダーのような未知のコンテンツにも触れる機会も得た。また実習をはじめとして、必死で取り組んだ経験は大きく身になった。だから総合的にみれば、自分をさらに「面白く」できた年だと思う。特に3年の夏ぐらいから駆け抜けるように生きてきたけど(例の「恐竜一人旅」がその始まり)、今年は自分史がもっと充実した一年だったのではないだろうか。
さて、その4年秋でも懲りずに“潜り”を続けている。今期は、「理想の学校を考える」グループワーク形式の講義を追加で履修している。学校全体の締めくくりのような心持ちだからこそ、人一倍この方向性に敏感になっているのかもしれない。来年から社会人になるわけだが、私はこの16年間で一体何を得たのだろう。

◎好きなものを好きと言えること
 先週知り合いとカフェに行ったら、帰り際に「君は独特な知識を持っているよね」と言われた。「独特な知識」なんて表現は馴染みがないので、少し面食らってしまった。別に知識に独特もクソもないと思うが、ニッチな好きを追う自分が相手にはそう映ったのであろう。興味で突き進むのに抵抗がないのは、実は珍しいことなのかもしれない。
 こういう性格を獲得できたことに理由があるとするなら、それは小学校時代のおかげだと思う。ポケモンやドラゴンボールにハマったり、変わり種だと『天体戦士サンレッド』という地元由来のヒーローものに傾倒したりなんてこともあった。いずれにしても、熱中したらそればかり見続けたところは共通していた。小学生って「みんながやっているから」とコンテンツに触れることが多いけど、流行でないからといってそこで止まらずに済んだのは大きかったかもしれない。とはいえ自分だけの世界にそれを留めず、そこそこメジャーなものは周りを巻き込みながらやっていた(流行に「してしまった」)記憶はあるが。

◎それをどう掘り下げるか
 中高では、今思えば「好き」を深める実例を教わったと思う。グリム童話や黒澤明『羅生門』が国語で出たり、結び目が数学で解けたり、後から考えればものを深めるヒントを沢山教えてもらった。実習という俯瞰する機会を経た今、そのありがたみをより強く感じている。
 一方で、より尖っていた時期でもあった。この頃の私なら「理想の学校」と聞かれて
 『われ若きときひたぶるに 博士賢者の門に入り 高き教えを仰ぎしも 出づればもとの無智にして』
 とか調子よく返していたに違いない。ウマル・ハイヤーム『ルバイヤート』の一節である。歴史の授業が大好きだった私は、教科書に載るような古典ばかりめくっていた。 少し皮肉っぽいところに魅力を感じたのだろうか、中でもこの部分については鮮明に覚えている。この前大掃除をしていたら昔のノートが出てきたけれど、「読んだ内容がすらすら出てくる」ってことにかけては当時の方が優れていたのかもしれない。
それでいうと「議論に噛みつく元気がある」ってことも、ものを深める過程としては実は意味があったのだと思う。今はあんまり気力がないからこういう言い方をするが、幼少期~大学半ばぐらいまで僕は「噛みつく」のが好きな子どもだった。深夜暇なときに昔のLINEを眺めていると、自分のことなのに「こいつ元気あるなぁ」と思うことがある。
 ただああいう積極性があったからこそ、得られた縁というのもいくつもあったはずだ。最近大学1~4年が混ざる質疑の場に行ってきたが、バシバシ手を挙げる低学年に圧倒されてしまった。丸くなったといえば丸くなったが、その辺りは少し寂しいような気もする。

◎探し方・読み方・書き方
 大学で向上したものが何かというなら、好きなものに対してとれるアプローチがぐっと増えたことだろう。研究の質という意味ではそんなに上手くいかなかったけれど、材料の探し方や読み方は色々と身についた。漢文や旧字体が多少読めるようになったり、古い史料が探せるようになったり。国会図書館は卒業後も使えるので、知りたいことがあったら積極的に利用しようと思う。あとは「何か書いている」という習慣も多分大事。脚注を引きまくるものを連発できるわけではないが、こうやってすらすらと文が出てくるようになったのも大きい。ディズニーなどに関しても、(ただ何か読むだけでなく)「発表に耐えられるよう整理する/複数文献をあたる」過程を踏んだから説得力が増したんじゃないか。
 油そばをはじめとして飯がうまい。図書館と古本街が充実している。そして、ふらっと授業に行っても歓迎される。好きなことをのびのび深めていくフィールドとしては、早稲田はとても恵まれた場所であった。もう“集まり散じて”の“散じる”側になっちゃったけど、時々ワセメシ食いに戻ってきたいな。

 ぎゅっと要約すると、「好きが好きでよくて、それを深めるヒントをくれて、自分でも追いかけられる方法を覚えた」というのが、学生生活の賜物なのかもしれないなと思った。わかりやすいものにしがみつくより、自分をどう語るかに注力して生きていきたい。塾講バイトや教職課程で鍛えた「語る」技術は、こういう時にも役に立つはずだ。

◎あと3ヶ月の、モラトリアム
 「卒業旅行、どこ行くんですか?」「あと3ヶ月、何して過ごすの?」このごろ大人たちによく聞かれる質問だ。ここまで長いモラトリアムはそうそうないというものの、急にドカンと休みが与えられてもどうしていいか迷ってしまう。
 明確なプランはないけれど、読みたいものを読んで、行きたいところに行って、動きつつでもゆったりと時間を使えたらいいなと思う。キャンパスメンバーズは使い倒しておくべきだし、旅行や観劇の学割にも興味がある。色々やってインプットがたまってくれば、また書きたいことも増えてくるはずだ。

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