徒然なるままに
「心やさし ラララ科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム」
聴き慣れた駅メロが懐かしい。近くに手塚プロが存在するため、この曲が使われている。古関裕而『紺碧の空』と同じように、僕にとってはこれも大学を思い出す歌の一つだ。最近、谷川俊太郎が作詞したものと初めて知った。
そんなわけで、社会人初の連休は高田馬場に戻ってきた。
こういう書き出しがあったとする。小説にしてもブログにしても、娯楽としての文章は知識が多い方が好きだ。例え本筋には絡まなくても、設定が膨大ならそこを検証する面白さがある。好きな作家を聞かれればヴェルヌを挙げることが多いが、それは彼が当時の情勢を事細かに補足しているからだ。ちなみにディズニー研究の楽しさも、突き詰めればこの部分にあると思っている。
だから、自分の書く話にも知識を付与するように心がけている。これは、学んだことを再構成するプロセスともいえる。学ぶ、教える、情報が回る。これが快感になっているような気がする。秘密のたぐいを除いては、得たものはアウトプットしないと面白くない。
とはいえ世の中の読み物には、元ネタを知っていないと気づけない仕掛けもある。そういうものを少しでも楽しみたいと願って、古典に偏った読書や、古いアニメ・特撮を見漁ってきた面はある。最近は、これに加えて原語の大切さを漸く自覚した。外国語は、受験の帰趨を決してしまうところが好きではなかった。台詞にするなら「お前だけ偉そうな顔をするな!」という感じ。子どもというのは押しつけられたらやりたくなくなるもので、僕は全科目の中でも英語への意欲が最低だった。大学入学後も、二外の成績がコース選択に響くと聞いて厭う姿勢は続いた(こっちは、結局全部Bでも問題なかったけれど)。ところが、いざ「英語力が何かを直接左右しない」状況になってみると、作品に触れるとき(観光だってそう)に言葉が使えると便利だなあと感じるようになった。とはいえ、仮にタイムマシンがあっても昔の自分に助言はしたくない。未来の自分にまで大人たちの側に立たれるの、可哀想だもの。まあ、こっちはこれから勉強していくしかない。
卒業式ぶりに同期たちと馬場で飲んだのは事実だ。在学中は出ていった先輩の行方なんて知らなかったから、「学生」と「社会人」はプツッと切れるものだと思っていた。ところが、いざ自分の番になってみると全然そんなことはなかった。
確かに、意識しないと切れてしまうタイミングとは思う。SNSがあるとはいえ、学生時代と違い相手が何をしているか追うのは難しい。「コミュニティ(ゼミなど)が同じだった」程度の人と会う機会は、あっても同窓会が限界だろう。
それも寂しいなと思って大学四年以来、旧友を訪ねる巡礼の旅をしてきた。彼ら彼女らが何をしているか知りたかったところもあるが、その最大の目的は「今会っておかないと次に会えなさそう」という点にあった。この時期に行く先が知れていれば、ふとした折に声をかけやすい。例え遠方で過ごしていても、どちらかが家庭を持ち始めるフェーズまでは訪ねることも可能なはずだ。これが功を奏して、今回もすぐに集まることができた。これを読んでいる後輩諸君は、今のうちに会っておきたい人には会っておこう。
こんなことを書いていて、ふと「GTの悟空みたいだな」と思った。アニメ『ドラゴンボールGT』において、最後の戦いを終えた悟空(死亡あるいは、ドラゴンボールと一体化したとされている)が、神龍に乗ってかつての友人たちを訪ねるくだりがある。何十年後かの自分にも、そういうことがあるのかもしれない。悟空といえば中高時代の憧れだったが、当初はこれも外国語の件と同様に反抗心由来であった。
中3の終わりに遡る。当時取り組んでいた海外派遣の校外企画で「ロールモデルを考える」くだりがあった。クールジャパンの話をして選考に通っていたので、現実の人物でなくアニメ作品から引用することは決めていた。当時の僕は自分で何でもやりたいタイプだったから「チーム一丸」の模範解答に誘導されてしまうのが嫌で、仲間を重んじるルフィも、5人で戦うスーパー戦隊も挙げたくなかった。
そこで思いついたのが『DRAGON BALL』の孫悟空だった。彼は単独戦闘のシーンが非常に多いし、最後の魔人ブウ戦でもジャンケンしてまでベジータと別々に戦うのだ。この数年前に公開されていた映画『神と神』では、仲間の力を借りたこと(=自分一人では強敵に敵わなかったこと)を悔しがる場面まで存在する。かといって周囲との関係も悪くなく、仲間が困ったときには頼られるスーパーヒーローである。自分が取り上げたいイメージに、彼ほど合ったキャラクターはいなかった。
以降、同様の質問がある度に悟空を取り上げることにしていた。最初は自分がひねくれていた故の選択だったが、次第に「世間のしがらみに囚われず強さを追い求める姿」がかっこいいなと思うようになった。地位や名誉のために戦う初期ベジータと違って、「ワクワクすっぞ!」を行動原理とする悟空は見ていて心地よかったし、自分もそうありたかった。良い意味で世間知らずなところが、悟空の魅力なのである。作中に出てくる教えに「よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む」というのがある(亀仙流の教え)が、その意味では今の自分はけっこう彼に近づけているような気がしている。
一つ大きな違いがあるとすれば、僕は人が好きだというところ。悟空はたぶん一人で修行していてもよくて、究極的には人間に興味がない。自分から積極的に働きかけることで、困ったときには頼られるようになりたいものだ。
久しぶりに一晩かけてバーッとnote書いたけど、楽しかった!後半もよい日々になるといいな。