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ワセダが好きだって話。

先日、古い友人が東京にやってきた。「どこか行きたいところある?」と聞いたら、「あなたの大学が見てみたい」というので、早稲田まわりを案内した。頭が疲れていたのか会話は淡々としていたけれど、内心とっても嬉しかった覚えがある。本キャン・文キャン・馬場歩きと進む中、「オレ、やっぱりここが好きだ」と実感していた。再会の喜びもひとしおだったが、そんなに会いたかった人がここを選んでくれたのもまた有難かった。

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 入学前から憧れていたわけではない。多くの受験生と同じように、僕がここに来たのはあくまで結果によるものだった。けれど、人文系に行きたいという思いはあった。別に、作家にのめり込んだなんて殊勝な理由はない。高校時代に国際系・ビジコンなどのイベントに多く参加する中で、「はるか世界で戦えますか?」に嫌気が差した逆張りだった。(ニュアンスは違うが「学の独立」は逆張りの教えだと思っているので、今思えば導かれていたのかもしれない。)

 そんなこんなで、文学部へとやってきた。

 1年生を迎えたのは、コロナ禍の2020年。夏まではオンラインですべてが動いていた。しかし、コミュニケーションの上ではこれが幸いした。クラスをまとめてZoom会を開催したり、LINEで友人と趣味の話をしたり。夏休みに入ると、何人かとは会うことができた。ノリのいいタイプではなかったので、完全対面だったら厳しかったと思う。映画系の科目をいくつか取っていて、自粛期間に古い映画を見漁ったのも記憶に残る。

 秋学期に入ると、少しずつ賑やかになってきた。対面授業はひとつしか取れなかったが、そこでできた友人と神保町に赴くなど。SNSで知り合った同期と、「戸山の丘」で会うことも。とある日は、暗くなるまで語っていた。春休みだったか、図書館に通うようにもなった。

 本格的にキャンパスライフが始まったのは2年生。対面に飢えていたので、様々な学部の授業を取りまくった。法学部の憲法に行ってみたり、GEC(学部横断)の演習を取ってみたり。"他学部潜り"というのも、いつしかひとつのアイデンティティになっていた。元気が有り余っていたのか、専攻や教職では激論をやった。サークルも、まあある程度頑張った。(サークルこそ青春!というタイプではなかったが、そうであっても楽しめるのが大学のよいところ。)

 3年生にもなると、人間関係ができてきて。毎日何か楽しみがある。

 面白い教授の話。ディズニーやポケモンの話を、「学」として取り合ってくれたのは本当に嬉しかった。

 図書館で、ふと手に取った一冊。古い貴重書から文庫・新書まで、開いてみればなにかある。

 友人を巻き込むドタバタ。おもれぇヤツといるために、自分も研鑽しなきゃなといつも思う。

 極めてるやつからしたら、自分なんてまだまだで。惰性で過ごしていたときに「オレは〇〇をやってきた」と友人の進捗を聞くと、自分のちっぽけさを実感する。3年も経つとサボり方を覚えてしまい、手を抜く授業も出てきた。クラスメイトに不真面目と思われてもおかしくないし、実際そうなのかもしれない。

 でも、大学暮らしは面白い。好きなことがレジュメにまとまる瞬間。ギリギリまでアイデアが出なかったレポートを、急に思いつく瞬間。講義や本でひらめいて、あれこれ頭を回すとき。あるいは友をワセメシに誘い、近況を聞いてみること。時に、そのまま大隈庭園で語り合うこと。「平成をどう教える?」から「野球とサッカー、人気逆転はなぜ?(逆転したかはともかく)」まで、思いついたことを投げ合う時間はとても楽しい。

 これを書いている今日、3年生の授業が終わった。4年は、ゼミが被っているでもないと人と会えなさそうで寂しい。「集まり散じて」ではないが、あと1年の学部暮らしもしっかりと楽しみたい。

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 会った日の夜、その友人を交えて飲んだ。自信をなくしていたことを話すと、「あなたも十分面白いから心配するな」と。そうだろうか。いや、そうなりたい。ポケモンマスターみたいに漠然としたものかもだけど、おもれぇヤツでいるために全力で早稲田を生きる。

 

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