春の一人旅 〜大隈詣と関西巡り〜③
(6)3/13(月) USJと友のありがたみ
この日はゆったりと、9時過ぎの起床。まだ宿を決めていなかったので、まずは連泊の手続き。荷物をまとめる手間がなくなり、支度だけしてホテルを発った。
最初から連泊としなかったのは、今日の目的地を直前まで迷っていたからである。関西行きに際し前作(『ワセダが好きだって話。』)の友人とどこかに行く約束をしていたのだけれど、リクエストする場所を旅初日まで決めかねていた。この日は午前中雨が予報されており、京都等への遠出は避けたかったことと、テーマパーク好きとしては来たらやっぱり行きたくてユニバで頼むことにした。予定を昼からとしたので、パスはトワイライトを選択。
新大阪の駅で、遅めの朝食にだし茶漬け。梅田へ移動し集合時間に。御堂筋口に向かうと、友人が待ってくれていた。2ヶ月ぶり(?)の再会に嬉しくなる。
まずは梅田周りでランチ。互いの近況を話しつつ、大阪の街を案内してもらった。エスカレーターの向きにはもう慣れたが、まだまだ知らないことも多く面白い。何より、学校のことから考え方のことまで「語り合える仲間がいる」というのは代えがたいことだ。
入園時間が近づいて、ユニバーサルシティの駅へ。西九条での乗り換えが一度あるが、「日本のテーマパークは大都市から異常に近い」というのは本当だと思う。アメリカ文化の中でも“テーマパーク”がここまで日本に根付いたのは、大都市から近すぎることが原因だと思うのだ。「ディズニー」「ユニバ」と言って映画会社より先にパークのことが浮かぶのは、日本ぐらいのものではないか。(千葉県とはいえ)東京ディズニーリゾートは首都圏人の代表的なレジャーになっているし、ここユニバーサル・スタジオ・ジャパンは大阪を代表する観光地として知られている。特に後者は、手頃な年間パスポートの存在により気軽にリピートすることができる。学生だけでも簡単に行ける近さだからこそ「制服ディズニー」「制服ユニバ」が生まれるし、“Dヲタ”と呼ばれるコアなファン層も根付きうる。ファミリー・エンターテイメントの思想、所謂「ウォルト主義」という教義の中でどこまでDヲタと向き合うかというのが“東”の課題だが、“西”の場合は日本ならではのアニメを取り入れむしろ都市化で勝負しているような印象がある。いずれにしても、都市文化とのせめぎ合いこそが日本の主要テーマパークの特徴と考えている。私がディズニーをこよなく愛していることは今まで何度も書いてきたが、これも私が日本の首都圏生まれだったことが背景にあるような気がする。もし私が大阪育ちの青年だったら、小さな頃からスピルバーグに熱狂していたかもしれない。近代童話を読み込むのでなく、ポッタリアンになっていたことは必至であったろう。そんな“ifの自分”を投影する場として、西のこのパークにもそれなりに思い入れがある。
15時を待ち、入園。ハリーポッター(160)→フライングダイナソー(160)→ミニオンライド(50)と、乗りたいものに順に乗っていったインだった。ゆっくり話せるならテーマパークか?と思った故のチョイスでもあったので、ここでも色々な話ができて楽しかった。小さな頃は喜んで乗ったフライングダイナソーは、だいぶ激しく感じて老いを自覚した。
日頃の話を聞くと、「皆頑張っているんだなあ」といつも思う。実のある何かをしたかというと自分は結構怪しくて、友人の活躍譚が眩しい。僕はこういうとき「知り合いにこんな人がいてさ」と返してしまうことがあるが、それは自身ではなく知り合いの手柄だし。世間が就活シーズンなのもあって、自分がどんなやつか考えてしまう機会も多い。
そんなことを思いながら話していると、「あなたには行動力がある」と言われる折があった。行動力かぁ。確かにこの旅自体も行動力の賜物かもしれないし、「思い立ったらやってみよう」というシーンは生活にも多々ある。でもそれは面白く生きるための手段であって、何かに貢献しようという意識でやっているわけではない。まあ意外に、こういうのって結果として資せていれば問題ないのかもしれないな。PDCAを回すとやらに囚われることなく、面白くあることに全力を注いでいきたい。
気づけば、もう夜も遅い。途中の大阪駅まで同じ道だったので、そこまで送ってもらった。帰りの車内で友人が「前回は山手線で一緒だったけど、今回は大阪で環状線か」と。確かに、“まわる車線”で通じている。そう考えてみると面白い。遠くに住んでいても、こうして会えることのありがたみ。「東京に来たときはまた連絡して」と、サヨナラを告げホテルに戻った。
夜ご飯を食べる余裕がなかったので、新大阪でラーメンを→コンビニで酒を買って今日もホテルでの晩酌。サークルの友人たちと通話をしていたが、酔いからか気づかぬうちに寝落ちしてしまった。翌朝起きたら充電切れで会話からは退出していたものの、もしかすると反応がなく混乱させた箇所があったかもしれない。申し訳ない気分になった。
(7)3/14(火) 修学旅行以来
さて、残るは最終日。この旅行記も大詰めだ。旅行当初の段階で、この日には3つの選択肢があった。一つは、朝イチの新幹線で帰ること。バイト先の夜のシフトを○で出していたので、自分が対象だったらこのルートになっていた。二つ目は特急「ひのとり」で名古屋に向かい、明治村など巡った上で新幹線で帰ること。日記①に「14日の名古屋~」と書いたときはこの予定だったが、お土産等が思いの外重く、大阪→名古屋→東京と何度も運ぶのは骨が折れそうと感じた。最後の選択肢は、「新大阪に荷物を預けて京都か奈良を回る→大阪に戻って新幹線」のルート。荷物的には最も楽だが、一人で回るにはわかりにくい地域だった。毎日分岐が多いのも、一人旅ならではの良さだと思う。
旅先でのシフト発表で、14の欄に自分がいないことに安堵。ここで、奈良に住む学科の友人が「14日なら空いている」と言っていたことを思い出す。シフトが未定だった故その場での約束はしなかったが、ここで条件は整った。13の夜に彼に連絡し、最後の目的地は奈良と相成った。
7時半に起床、荷物をまとめてチェックアウト。新大阪駅のロッカーに預け、駅構内のそば屋で朝食。どこか見覚えがあったので、多分“Jurassic Tour”でも訪ねたお店だと思う。
その後は鶴橋経由で近鉄奈良を目指す。私は旅行客なので、わかりやすいJR奈良を目指しそうになったが、「近鉄の方が便利や」と勧められてこのルートに決めた。後で聞いてみると、「JRは雪に強いくらいしかメリットがない」とのこと。
ただし、この時の私は気が抜けていた。東京メトロの感覚で「○○行きに乗ればいつか着く」と、鶴橋から奈良側に向かう“準急”に乗ってしまったのである。友人に乗った電車を伝えると、「準急で乗り通したことなんて俺でもないかも」と。まあ、初めての街並みを見られたしいいか。早めに出発していたので、友人とほぼ同じ時刻に大和西大寺着。彼は普段かけない眼鏡をしていたが、その他はいつも通りの姿で現れた。
二人で奈良行きに乗り換えると、「ここが安倍さんの事件があったところ」と電車越しに教えてくれた。あの事件があった日、彼は「地元でこんなことが」とやたら驚いていたような気がするが、まさかここまで駅前だとは。そして電車が動き出し、平城宮跡が見えてくる。だだっ広い野原だった。親曰く家族旅行で一度通ったらしいのだが、当時のことはあまり覚えていない。「この辺りで唯一の地下駅」という解説を受け、近鉄奈良駅着。
覚えていなかった家族旅行を抜きにしても(別に幼少期というわけでもないが、京都だけに行ったものと勘違いしていた)、中3の修学旅行で一度奈良には訪れている。初日は、法隆寺や薬師寺などをバスで観光。2日目朝は東大寺前で始まり、「夜には京都の宿に着くこと」とグループ毎の自由行動だった気がする。中学生の私にとって、旅行の楽しみは夜の自由時間で友人と遊ぶことにあったので、最速で宿に着けるようプランを組んだ覚えがある。今となれば勿体ないことをしたと感じるが、当時としてはあれでよかったのだとも思う。
今では物知りだと言われることもあるが、以前の私は相当な不真面目であった。美術館見学ではRTAの如くレポート作成をして帰宅していたし、いくつかの授業も「これは好かない」と言って眠るなどしていた。でも、今の私がそうした文化施設に抵抗なく入り込んでいけるのは、当時の先生方の授業のおかげであると思う。古典映画を見漁っているのは『羅生門』や『モダン=タイムズ』を扱ってくれた現代文の先生の影響が必ずある。ディズニー作品を初めとして原作文学を読むようになったのは、『言の葉の庭』で古文を講義し、先行文学と映像との関係を示してくれた古典の先生の影響がある。漢文の授業で『尋常小学読本』を読ませてもらったおかげで、史学科で教科書史料を漁ることに抵抗がなくなった。その場で猛烈に取り組んだわけではないが、後からものすごく役に立ち感謝している。
修学旅行も、社会的にはそういう効能があるものだと思う。その場で感化されなくても、のちに史跡を訪れることに抵抗がなくなる。それはまるで、一度開拓したレストランに行きやすくなるときのように。現に私は、こうしてまた奈良の地を踏んでいるのだから。
今回の奈良ではまず、友人が彼の母校周りを案内してくれた。彼曰く、奈良公園は「ポケモンGOに明け暮れた思い出の地」らしい。有名な寺がそこまで生活に溶け込んでいるってすごいな、と思ったが、私たちにとっての上野みたいなものかもしれない。そして、彼が通学路で気になっていたというレストランへと。「普段はマックとサイゼに通い詰めていた」というから、どこの高校生も一緒だな、と思った。食後は春日大社へ。多くの観光客が歩いて通り過ぎる中、常夜灯の字に目を凝らす変わった二人になっていた。「歴史をやる学生というもの、字があったら読まんとあかん」常日頃やる余裕はないかもしれないが、確かにその通りだ。割と年代もバラバラで、読んでいて面白かった。最後には正倉院を眺めた。教科書で見るより全体的に大きく、柱も高めだなあと感じた。興福寺まわりで近鉄奈良→西大寺解散。彼がいなければあまり上手く奈良を回れなかったと思うので、ありがたいことだ。ゼミが違うとはいえ、新学期また早稲田で会えるから、別れという感じはしなかった。
来た道を今度は“急行”で引き返し、鶴橋経由で環状線へ。大阪を発つのが名残惜しくなり、大阪城公園で途中下車。夕日に映るお城も綺麗だったけれど、何より駅前のポキ丼、あれは旨かった。現金非対応でクレカも運悪く反応しなかったので、駅までICのチャージに行ったけど店員さんが覚えていてくれた。自分で好きな具を入れられるので、マグロ、エビ、パクチー、揚げニンニクと。大阪に来たらまた行こうと思う。
ようやく新大阪へと戻る。荷物を回収、大阪土産も買って、最後は駅弁を。初日に「鶏ツアー」と書いたこともあって、鶏尽くしをチョイス。佐賀ラーメン等もあり特化とはいかなかったが、けっこう鶏を食べられたのではないだろうか。大阪始発の「のぞみ」に乗って、余裕の自由席ゲット。(5)の前半を書きながら、東京駅への帰途についた。
(8)The Homeway
20時半近く、ついに東京へと帰還した。国内旅行で6日も自宅から離れたのは、おそらく初めての経験だったと思う。丸の内線で大手町、半蔵門線へと乗り換えて、これまでの過程に思いを馳せる。
まず一つ今回の旅は、大学版「修学旅行」と呼べるものだったかもしれない。通う大学の象徴たる大隈詣に始まり、街歩きや恐竜ネタ・史跡など、日頃の学びが凝縮された道中であった。あれは受験などの問題があるからだろうが、高校の修学旅行も2年次に行われる場合が多いし、大学3年末にこれをやったのは時期的にもぴったりだったのではないか。
次に、人の支えを実感した旅でもあった。大隈記念館での縁を感じた出来事や、6年来の友人とのユニバ、大学の親友に奈良を案内してもらったこと。一人旅ではあったものの、「ひとりじゃない」ことを強く感じた日々だった。大学を出ると、場所の問題こそクリアしても家庭を持つ者が出るなどして会えなくなることも多いだろう。こういう「人と会う旅」も、できるうちにしておくことが肝要だ。
ある時は船に、ある時は列車で、ある時は歩いての開拓。目的も色々だったが、得るものはたっぷりあったように思う。私は旅好きの中ではまだまだ初心者だけれど、これを読んでいる学生方もぜひ旅に出てみて欲しい。遠くにこだわらずとも、まずは出てみればなんとかなる。きっと、面白いものが見られるはずだ。
最寄り駅着。22時過ぎ、自宅の門をたたく。ただいま、日常。