嫌われることを恐れなくなったら嫌われなくなった話
今思うと当たり前なのですが
「嫌われることを恐れず自分の信念を貫く人」と
「人の顔色ばかり伺って自分の意見を言えない人」
どっちが人として魅力的なのかというと
断然前者ですよね。
ただ私も幼い頃は人から嫌われることを異常に恐れるこどもでした。
まず私は親曰く幼少期から
既に変わったこどもだったらしく
2歳まで言葉を発しませんでした。
おかしいと思った両親が
私を病院に連れて行ったところ
とくに知能に異常はなかったそうです。
その時に発達障害という概念での診察があったなら結果は変わっていたのかもしれませんが。
健常者として幼稚園に通った私は
なぜか国立の有名な幼稚園に通っていました。
次に病院がどこかに連れて行かれた時だったか
むしろ少し知能が高めと言われたとか
そうじゃないとか。
幼稚園の時の私は超痩せ型で
幼稚園のみんなから
「骨」と言われていました。
小さい子にしては異常に寒さに弱く
運動が苦手でかけっこはいつもビリ
だけど絵だけは上手で
いつもアニメの絵を描いてと長蛇の列が並ぶ
なんともアンバランスな子どもでした。
ここまで聞くと
偉人の子ども時代の話みたいなのですが
私はここから圧倒的に凡人に向かっていきます。笑
いつも周囲から浮いている自分が嫌で嫌で仕方がなかったのです。
幼少期のアンバランスなまま
才能を伸ばす方向に行けば
あるいは何者かになれたのかもしれませんが私自身がそれを選ばなかったのが大きかったです。
まだ時代は今のような個性を伸ばす時代ではありませんでしたので
私は「変わってるね」と言われることが
ひどくコンプレックスになりました。
「普通に」「普通に」と意識する中で
アンバランスだった能力値は
いい意味でも悪い意味でも平均に向かっていきました。
仕事で接客業をやり続ける中で
苦手だったコミュニケーション能力に関してもあまり指摘を受けなくなりました。
ここにきて私は
2対6対2の法則と言う言葉を知りました。
2対6対2の法則とは
どんな人でも
10人いれば
2人は必ずあなたのファンになり
6人は中立
2人は敵対する
という法則です。
私はこれを知った時に
今まで自分に敵対する2割の人にばかり
フォーカスし自分を変えようとばかりしていたと気づきました。
ただどうでしょう?
自分の努力の通り相手は
見直してくれたでしょうか?
けど実際はあまり見合うような結果は帰ってこなかったような気がします。
そしてよくよく思い出してみると
どんなに浮いていたと感じていた時でも
必ず味方になってくれている人がいました。
それを思い出したのです。
今までそのことを見落として
「私は嫌われている、浮いている」と
思っていた私はなんともったいないことをしていたのだと思いました。
自分のことを不幸だとよく思う人は
感謝の気持ちが足りないと言います。
私は自分のことを嫌ってくる人に
フォーカスを当てるのを辞めて
自分のことを応援してくれる人に感謝する方向にシフトしようと思いました。
それから感謝する機会が増えて
自分の中で自信が持てたことで
意見も少しづつ言えるようになって
気がつけば前のように
「私のことを嫌いかな?」と思うような存在はほとんど見当たらなくなりました。
嫌われることをある程度受け入れてしまえば
そこからはもう
嫌われるという悩みは逆に遠ざかっていく方向に向かうのかなと感じました。