内輪ノリと搾取について
最近リベラルアーツ大学の
両学長のオンラインサロン
「リベシティ」に入学しました。
早速先ほどサロン内の
限定オンラインライブに参加してきたのですが
新しいサービスの発表がある中で
とある名もないサービスの発表の途中で
前身となるサービス名をもじる形で
「これがいいじゃない?」と
既存のメンバーたちの間で
コメント欄が盛り上がるシーンがありました。
私はそのネーミングセンス自体は
私自身も「いいな」と感じていたのですが
そこで両学長が
「内輪ノリだけで盛り上がるのは良くない」
「新人さんが入り辛い雰囲気になるやろ?」
と一喝するシーンがありました。
基本的には民度が高いオンラインサロンなので
その後は数々と反省するような
コメントが流れていて
私自身も
「ほー、さすが両学長はどんな時も
冷静だな」と
改めて一目起きました。
(そして同様の感想を抱いた方のコメントも
流れていました)
ただ時間を置いて思いました。
「いや、学長もそりゃあそう思うよな」と。(笑)
確かに私はまだ新人側だったので
もちろんその視点に立ってくれていたことに
対してありがみを感じました。
しかもちょうど職場の先輩たちに対して
似たようなことをよく感じていたので
すぐにそのことと重なり
「うちの職場にも冷静に
これを言ってくれる人はいないかな」
とも思いました。
ですが新人がこうやって
入りづらい雰囲気が出来る、ということは
実は主催側にもリスクになります。
両学長がよく口にしている言葉で
(私自身も会社の年度目標に掲げている)
「三方よし」と言う言葉があります。
この言葉には
自分よし 相手よし 世間よし
という概念があるのですが
それに対義語があるとするなら
一方だけが得をする
「搾取」だと私は思っていて
ある集団の中で
既存メンバーの一部だけが分かる話で
盛り上がっているのは
集まりの主催や、新参者にとっては
その人たちだけが得をしている
「搾取」と同じ構造を生み出しているように
感じてしまいました。
つまり、三方よしではなく
一部だけが得をしている状態。
もしこの一部に入れたのであれば
社会的に認められているような安心感や
承認欲求が満たされる上に
数多いる人たちの中で自分は
その中に居られるという特別感や
優越感まで感じることができます。
正直言ってこれを書いている私ですら
その中に入りたくて仕方ありません。(笑)
社会人サークルやオンラインコミュニティに
入っている人たちを
胡散臭いように感じたり
マイルドヤンキーをださいと
感じてしまう気持ちも
そういった気持ちの裏返しで
僻みの一種なのかもしれません。
ただ、私が多様性だとか
みんなが分かる話を
分かるように工夫してみよう
とかそういうことに正しさを感じるのは
そういう「搾取」を良くないものとして
捉えているからなのかなと感じました。
少なくとも私が
人見知りを「言い訳」と捉える理由としては
「内輪ノリ」の甘い汁を
存分に吸ってしまった人ほど
新しい人に積極的に話しかけるという
しんどいことをめんどくさがるからです。
平成以前ならいざ知らず
この令和の時代においては
そういったコンフォートゾーンを
抜け出すための筋力を鍛えていかねば
どんどん視野の狭い
つまらない人間になっていくように思えます。
それはまさに三方よしとは真逆で
自分が「搾取」していることすら
気づかなくなっていくことでしょう。
今そのことに気づけるうちに
この内容を頭の隅に置いて
組織に属していきたいものです。