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「かわいそう」と言う言葉は極力使わない

8月15日は終戦記念日で
各地で精霊流しや盆祭りや
セレモニーがあっていました。

私はそんな中彼氏と長崎の精霊流しを
見てきたのですが
長崎に住む彼氏の友人と一緒に
デートで戦争関係の記念館に行くのは
微妙な空気になるという話をしていました。

彼氏はどちらかというと
戦艦や原爆資料館、防空壕など
戦争に関わるスポットが好きで
日本に戦争が起きて民間人からの徴兵が
行われたら迷わず行きたいという
タイプの人間です。

感情移入しやすく、どちらかという
PTSDになりやすそうな私は
あまりそのような感情は理解できません。

ただその二人で
鹿児島にある知覧の特攻隊記念館に
行ったことがあり
その話になりました。

知覧特攻隊記念館には
子どもの頃にも行ったことがあり
年端もいかない、現代だとまだまだこどもと
言われる年齢の少年すら
徴兵されて最後の手紙を残していく
その痕跡を見て
親戚中が口々に「かわいそう」と
言っていました。

彼氏も「かわいそう」という主旨の感想を
述べたのですが
その時に述べた私の感想が
人と違っていてびっくりしたそうです。

俺が「かわいそう」と言ったら
「それは違うと思う」
みたいなことを言ったんだよ。

その話をした昨日はお酒の席もあり
忘れていた、というか
途中で思い出したものの
終始忘れたフリをしていました。

それは私の中にある
みんなが言いそうな月並みなコメントを
残したくないという
変な天の邪鬼の癖があったかもしれません。

それを抜きにしても
戦争を知らない人たちの言う  
「かわいそう」は少し違和感があると
子どもの頃からずっと思っていました。

それはONE PIECEを読んだ時
ドフラミンゴの言ったこの言葉に
ヒントがあった気がしました。

「平和を知らねえガキ共と
 戦争を知らねえガキ共の価値観は違う

 頂点に立つものが善悪を塗り替える
 今この場所こそ中立だ
 正義は勝つって?
 そりゃあそうだろ
 勝者だけが正義だ」


戦争を決して肯定するわけではないですが
私たちは戦争の後に勝者が決めた世界観の上に
生まれてきたので
中立の場で前線で戦ってきた人たちに
対して
「かわいそう」
と言うのは
その後の世界を知っているからこそ出る
うすっぺらい結果論だと言えるのです。

日本が勝つと信じて戦った人たちが
今のこの日本を見たらどう思うでしょう?

ひょっとしたら無駄死にだったと
感じるかもしれませんね。

「かわいそう」という言葉は
その結果論に対する滑稽を含んでいるように
感じて私は口にしたくなかったのです。

彼らは決して無駄死にではなく
彼らがいたからこそ
今のこの日本が作られているのです。

言い方はすごく難しいのですが
一歩間違えたら
日本は今も人権なんて存在しない
とても危険な国になっていたのかも
しれないのです。

だから私は「かわいそう」ではなく
「ありがとう」と言おうと
そう言ったようです。

これは肉食に関してもそうだと思います。

人間というのは
少なからず何かを犠牲にして
生きているわけで
その罪を償っていくならば
極論死なないといけない。
でもそれは違うと思う 
せめて噛み締めて生きていきたい。

若い時の河村隆一さんの言葉を
お借りしました。

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