人は感情で物を買う
あるYouTube広告が目に止まりました。
それはひとり親家庭に
食材を支援してください
というような広告でした。
ストーリー仕立ての広告に
少しジーンとくるも
少し前にYouTube広告で購入した
もので損をしたので
そこは冷静にクリックをせず
シングルマザーの知人を誘って
また自分がお金を多めに出す形で
遊びに連れて行ってあげたいと感じました。
変な話こんな感情を揺さぶる広告ですら
その支援先のひとつに
そのストーリー仕立ての広告を使った
クリエーターやコンサルなどの
給料やマージンが含まれるのです。
いろんなことを知ってしまった私は
そういうどこか冷めた視点も
持つようになってしまいました。
私自身も母子家庭で育って
まさにこのストーリーのような環境だったため
より揺さぶられるものがあったのですが
人はその経験の中で
どうしても自分の感情を重ねて
しまうことがあり
それが音楽とか映画の共感から
お金につながっていくという
そんな世界になっています。
ただ私が少し引いた視点で
その広告を見れたのは
知識が伴ったのもそうですが
今この瞬間は
そのストーリーの中の登場人物と
同じ痛みを抱えていないことです。
他の人より明らかに涙ツボであることは
確かなのですが
それでも喉元過ぎれば暑さを忘れるというか
人間は今まさに感じている痛みの緩和には
お金を出すことを惜しまないのです。
宗教とか占いにハマる人
ホストにハマる人などもそうで
今この瞬間に
なんらかの「痛み」を抱えているのかも
しれません。
私にとっては音楽がその緩和剤でした。
まわりに誰一人味方がいなくても
音楽がただ一人
私の味方でいてくれる
そう思っていた時は
人生の中で1番音楽に
ハマっていました。
その時の私が今のように
自由に使えるお金が多いようなら
音楽に1番比重を置いてお金を使っていた
ことでしょう。
それはその人にとって
浪費ではなく
もはや人生においての最重要商材なのです。
おそらくこの現代社会において
お金を増やすことや貯めることを
最重要においたのならば
誰しもがある程度は
小金持ちになれるでしょう。
ですが一見非合理とされるような浪費
こそがその人の人生を豊かにするもの
だったり
その人の人生の根幹に関わってくる
アイデンティティになったりするのです。
とくに今からの時代は
そうでしょう。
だから私は非合理でも
人間の感情で物を買う性質を
否定はしません。
合理主義的に生きると
むしろそうやって何かに「ハマる」
ことをなくコスパを気にするので
そんな「痛み」を感じている人を
不謹慎にも羨ましく思うことすら
あります。
人の「痛み」はそのまま
人生やアイデンティティにつながるものに
なるのです。
私たちがいっけん浪費と思うことも
今の時代においては
何かしらの形で「投資」になっているのかも
しれません。