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地元を持たない人間

久しぶりに母と電話した時に
福岡からも帰るのに5時間くらいかかる田舎に
つい最近東京から家を継ぐために  
帰ってきた人がいるとのことでした。

私はすぐに
「うわぁ、東京からあんな田舎によく住めるね」
と思いましたが
それと同時にすぐ
いつか観た岡田斗司夫さんのYouTubeを
思い出しました。

人間のほとんどは
 自分が生まれ育った場所じゃないと
 幸せになれないんだ。
 でもたまに僕のように地元のない
 根無草のようなどこでも住める人がいる

と。
私は長崎市内に長く住んで
「田舎が嫌だ」と言っていた母親に対しても
似たようなことを思ったことがありますが

私にとっての「地元」は
5年しか住んだことのない田舎で
きっと本当に「地元」がある人たちとは
全く違う感覚なんだなと。

私は岡田斗司夫さんのように
「根無草」の部類に入るので

「そんな嫌なところ引っ越せばいいじゃん」
とかすぐに思ってしまいます。

ただ「地元」がある人は
不便でも非合理的でも
その地を捨てることができない
私たちから見る「執着」のようなものがあり
受け入れてしまうようなのです。

私の今の上司もいわゆる
「地元ラブ」な人なので
根本的な価値観の違いや
ゴールの違いがたまに垣間見えるので
最近はあまり深く話さないようにしています。

妹や弟もおそらく
平均的な人よりは地元意識は
希薄であるものの
私よりは少しの地元愛や
田舎独特のしきたりを受け入れている
雰囲気があります。

私はそういう文化に
幼いから疑問やモヤモヤを抱えていて
それを内省できる時間を作って
言語化できるようにしたかった
「自分に正直に生きたい」側の人間なので

しきたりや地元愛が
ただの「執着」に見えて
あまり美しいものに感じないのです。

ただ私の憧れる人も
気が合う人も
やはり「根無草」が多く 

オリエンタルラジオの中田敦彦さんなんかも
家族の転勤を経験していて
「住む場所をかえる」ということに
抵抗がなかったからこそ
シンガポールへの移住も
すんなり出来たのでしょう。

私はそういう「どこでも暮らせる人」に
憧れてしまいます。

福岡は長く住んでいるので好きですが
福岡よりも自分に合った土地を見つけたならば
いつでも移り住む覚悟はあります。

ですが福岡ほど
多様性と暮らしやすさ、コスパの良さを
両立できている場所は
未だにみつかっていない
というだけです。

「地元愛」を「執着」と
表現してしまう私は
「地元愛」のある人からすると
なんて失礼で冷たい人なのだろうと
映るでしょうが
そもそも受け入れられない価値観を
持つもの同士というのは
往々にして「失礼」という
感覚を抱くものでしょう。

それを「失礼」ではなく
「新しい」と捉えられるには
そもそもその人に魅力を感じている前提じゃないと難しいなと

人を二分するわけではないですが
時々思うのです。

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