真っ向勝負が出来るのは体力がある人の特権
本日会社で上司と考えが違うことがあり
「こういう風に自分は考える」的なことを
会社の日報で書いてみました。
(もちろん上司の名前を出したり、誰かが何かを
言っていた的な告げ口のようなことは
書いていません。笑)
私はどうしても本人を目の前にすると
忖度して話を合わせるいうか
それ以前に、考えが真っ向食い違う人に対して
直接反対意見を述べて説得する行為自体が
コスパが悪いと思っているタイプです。
本人を前にして言わないことに対して
「陰口」だと一概に悪だと決めつける方も
いますが
お互いの成育環境が違う以上
どれだけ話し合っても分かり合えない
こともあります。
もちろん何かしらの伝達ミスにより
誤解や勘違いが生じている場合は
話し合う必要は出てきますが
ある程度人付き合いが長くなってくると
そうかそうじゃないかの区別はついてきます。
「人と人とは話し合い分かり合える」
それ自体は素晴らしい考えのように思えますが
それぞれの成育環境や才能を無視して
人の境界を超えてくるための
真っ当な言い訳にしていることもあるのです。
そしてそれらの違いが見えなくなる人に
ありがちな特徴として
その後の考えに影を落とすような経験をしておらず、かつある程度の体力を保持している人に
多いように感じました。
こういった方々は
努力や根性論で今までの困難を
潜り抜け出来たと思いますが
それは自信が体力があったから
それでもその後に支障をきたさなかったのですが
それと同じことをみんなが出来るとは
思っていけないと思います。
生まれつき持病持ちや体力に
恵まれない人もいます。
現代哲学で最近はこういった
遺伝的弱者に寄り添うような
動きは出てきてはいるものの
そういった力が強い人たちの声は
未だに大きく
病気や障がい認定はされてないものの
虚弱体質を持つ人は
出来ないことに対して
自分を責めてしまうような構図が
残っています。
こういった人たちは
どうしても自分の意見に自信が持てず
声の強い人々に負けてしまいがちです。
だからこそ真っ向勝負せず
人のフィルターをかけて意見する
というスタイルがあることを
習得していって欲しいのです。
案外人のフィルターをかけることで
そこから必要な文を精査して
聞いた方が的確な言い方で
伝えてくれることもありますし
自分の意見にバイアスがかかってることも
自分で気付けたりします。
逆に直接言ってしまいがちな人は
バイアスにも気づかずヒートアップしがちで
周りから「話の通じない奴だ」と
レッテルを貼られるリスクもあります。
卑怯かどうかなんて
感覚ではなく結果で決めるものです。
正々堂々にこだわった結果
無駄なダメージを負っただけで
何ひとつ状況がよくならなければ
意味がありません。
人によって向く戦略は違います。
私は未だにあるこういった
古いバイアスが
どんどん世の中からなくなっていけばいいと
思っています。