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厳格派と寛容派

最近ハマスがイスラエルを襲撃したことで
戦争が始まり
また「イスラム教=怖い」という
イメージが広がってきているように
感じます。

確かに世界三大宗教の中でも
イスラム教は日本人にとって
最も遠い存在なので
こういったメディアの報じ方のみで
イメージが決定されます。

ですがUAEに行ったことで
中東を少し勉強する機会があり
イスラム教というものは
そもそもそんなに怖い宗教ではなく
メディアに目立っているのがあくまで
「厳格派」「過激派」というだけです。

「厳格派」とはいわゆる「ガチ勢」のことで
日本にも「ガチ勢」と言われる人ならば
周りには何かしらのジャンルで
いるのではないでしょうか。

私にもいます。
レゲエの「ガチ勢」です。

私は世代的にレゲエが流行っていたので
レゲエに関しては多少の知識があるから
彼の話に少しはついていけました。

ですがそうじゃない人からすると
彼は怖くてとっつきにくいだろうな
という印象です。

そもそもレゲエ自体が
元々日本人にとって
とっつきにくい音楽なのです。
そりゃあもうイスラム教といい勝負な
異国感です。笑

あんなに一世を風靡した
ショーンポールの「Get busy」ですら
異国感やブラック感が過ぎて
日本でも
「ヤンキーの車で流れてる曲」
というイメージから脱しなかった気がします。

「ジャパレゲ」というのが
真に浸透したのは
MINMIや湘南乃風が出てきてから
かなと個人的には思っています。

私は一般受けする前のジャパレゲも
MINMIも湘南乃風も
ショーンポールもエレファントマンも
聴いていたので
その流れを少しだけ説明することができます。

私がレゲエを聴き始めた時は
まだレゲエはいわゆる
「知る人ぞ知る」音楽でした。

年齢的にヤンキーに一番憧れる歳でもあったので
その毒々しさや異国感という
媚びない音楽に関して
「かっこいい」と思えた感性があったのですが
 
どこかで
「このままではJPOPとしては
 流行らないな」という気がしていました。

そんな時に現れたのが「湘南乃風」でした。
彼らの音楽も初期は
レゲエの伝統的なルールに則って
様々なリディムを使いまわしていました。
(レゲエは「リディム」という
同じトラックを使い回すのも特徴)

ですがメジャーデビュー直後くらいから
和風なテイストや少しコミカルな要素を
入れてきたのです。

異国の音楽であったはずのレゲエは
リディムによっては
和風のテイストとも相性がよかったのです。

そこにさらに今まで彼らが
あまり歌ってこなかった恋愛の要素を入れて
一気に流行ったのが「純恋歌」でした。

レゲエ界の
「和風カルボナーラ」が
出来た瞬間でした。

当時ガチ勢になりかけてた私は
「和風だし入れ過ぎなんじゃないの?」
と斜に構えて
ファンから離れてしまいましたが

今思うと
「これまでのルールを一度破って
 大衆向けにアレンジする」ということは
今までに様々な宗教でも行われており
普及した宗教ほど
このステップは必須なんだと考えています。

ユダヤ教の中から
民族問わずに信仰できる
「キリスト教」が出来たり

その中でもさらに寛容な
「カトリック」が普及したり

仏教でも
修行が出来ない貧しい農民でも
幸せになれるように
鎌倉仏教が普及したり

ただ最初にルールを破ったり
プライドを捨てる彼らも
相当覚悟がいることだと思います。

「ガチ勢」の方々から言わせると
「あんなのレゲエじゃない」の言います。

まぁ私も言いたい気持ちはわかります。

ですが「ガチ勢」ばかりだと
普及しない、流行らないどころか
怖いイメージを持たれたり
誤解されたりするのです。

今メディアで報じられているのは
そんな主なイスラム教の
シーア派と言われる「ガチ勢」だと
思っていいと思います。

スンナ派と言われるイスラム教国家
(UAE、カタール、オマーン、サウジ)
などは比較的寛容で
私たちとも感覚は近いでしょう。

もちろん「シーア派」も
ほとんどは過激派ですらありません。

私たち「日本人」でも
他者に寛容な人と
そうでない人達がいるように

「イスラム教は」とか
「レゲエは」とか
「〇〇人は」というのは
あまりに主語が大き過ぎます。

その中でも必ず「厳格派」と「寛容派」が
いるというだけです。

そしてこの二者は
役割が明確に違います。

「厳格派」はそもそもの教えが
薄れてなぁなぁにならないように
治安維持を努める風紀委員で

「寛容派」はそんなイメージが
固まらないように
親しみやすいイメージや仕組みを作って
普及させるための営業マン

これらはすべての組織に存在するように
それぞれが必要な役割なのです。



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