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白兎繋がりで久々に大国魂神社へ雨中詣で
昨夜、うちの白兎の記事を出した後、ふと大国魂神社へお詣りに行きたくなった。
一昨年、初めて白兎神社へ行くか行くまいか迷っていたときに、思いついて府中の大國霊神社へお詣りに行った。
御祭神の大國霊大御神は、白兎を助けた大国主命と同じ神様ということで、神意伺いのつもりだった。
何も無ければ行かない、何か印があれば初めての鳥取への旅に出ようと思っていたのだが、正直なところ「そんなにうまい話があるわけないし」と頭のどこかで考えていた。
だが1月の終わりにお詣りして、不思議なことにすっと「やっぱり行こう」という気持ちに傾きだした。
帰る途中、調布で下車し、菜々やという和菓子屋さんが経営している喫茶店でコーヒーと桜餅のセットを食べ、「うん、行こう」と決意したのだった。
そして旅に出て、その後はウサギつながりで様々な良い御縁ができた。
その後も、迷ったり行き詰まったりすると大國霊神社へお詣りし、帰りに和菓子のセットを食べるのが私にとっての「パワースポットセット」になっている。
今では締めくくりに杉並区にある白兎珈琲店に立ち寄るのが、パワーアップコースだ。
ここしばらくずっと考えあぐねていたことがあったのだが、昨夜にうちの白兎の記事を書いて出したら、「そうだ、京都ならぬ、大國霊神社へ行こう」という気分になり、今朝は怠かったが出かけたのだった。
新型コロナによる外出自粛のため、ずっと行けなかったので、本当に久しぶりのことだ。
私の場合、こういうふうになんとなくふっと神社やお寺に行きたくなるときは、「疲れているから、お金がないから、忙しいから、用事があるから」などの理由で行かないと痛い目に遭う。
これは、一昨年から何度も経験していることだ。
たとえば夢枕に神々しく神や仏が立ち「××神社、○○寺へ来なさい」と命じられれば「行かなくちゃ」という気にもなるだろうが、頭の中に何となくほわ~んと浮かぶ程度なら「今は忙しいからそのうちに」と考えてしまう。
その結果、医師から移動禁止命令が出るほどの大怪我をしたり、急激に体調が悪化したりと、私自身が痛い目を見ることになった。
それ以来、ほわ~んと明確に神社名や寺院名が浮かんで、行こうかな~とぽわ~んと思うときは、素直に行くことにしている。
今日は雨だったためもあるが、珍しく参拝者が少なく、静かにお詣りできた。
そして、ここしばらくずっと迷ってきたり考えあぐねてきたことにも、答えを出すことができた。
帰りに調布に寄り、菜々やさんで和菓子とコーヒーのセットを頼んだ。
今は桜餅はないので、夏らしい和菓子で。
小麦、乳製品に遅延性アレルギーがあるので、西洋菓子、パンなどはできるだけ避けているから、和菓子が外で食べられるお店は私にとって数少ない憩いの場だ。
その後、お留守番をしているましろちゃん用野菜を忘れずに購入。
最後に締めくくりの私のパワースポット、白兎珈琲店で裏メニューのグレープビネガーソーダを。
大國霊神社で頭に浮かんだ答えは、シンプルだった。
何でもそうだが、大げさな言い方をすれば真理というものは、意外にシンプルで単純なものだ。
だが、そのシンプルで単純なことに行き着くまでが、そして実行するのは多くの場合難しい。
幸い、今日のシンプルな答えは今の私には実行しやすいものだった。
何もしない、流れに任せる、したくないことをせずに、したいことがあればする。
頭で考え工夫し行動する時期が終わり、今は静観する時らしい。
また流れが変われば、考え工夫し行動するのだが、それまでは「待て」の状態だ。
不安や心配のタネが一掃されたというわけではないが、少なくともこの先の方針が決まったのは、ほっとした。
日常生活では、最低限はしたくないこともしなければ生活が滞るからするが、介護や仕事面ではしばらく流れに任せよう。
この先、どんな風が吹くのかわからないが、良い方向へ向かう風だと信じている。