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白うさぎに導かれ、いにしえの神々に会いにゆく第一章 心優しい神と因幡の白兎の物語  紀行編1-4 大神山神社奥宮

1-4 大神山神社奥宮

 こちらの神社は「さあ、行くわよ~」と最初から参拝するつもりででかけたわけではない。
 目的地は開山1300年を迎えた大山寺だいせんじだった。
 初めて白兎神社にお参りした後、鳥取から米子へ移動する途中に山陰本線の汽車(電車というよりもこちらの方がふさわしい)の窓から見た開山1300年の大山だいせんがとても美しく印象的だったので、秋にもう一度山陰の旅に出たのだ。
 ちょうど大山ループバスという米子から大山のあちこちの名所を回り自由に乗り降りできるバスが出ていた時期だったので、今よりは楽に公共交通でお詣りに行くことができた。
 「大山寺という停留所で降りる」とガイドブックにあったので、「わかりやすいわ~」とバスに乗り気軽に向かった。
 このときは乗り放題チケットの木の手形を購入しバッグにぶら下げ、降りる時に運転手さんに見せるという手軽さだった。
 ちらほら乗り降りする他の乗客もバッグやらリュックやらに同じ手形をぶらさげ、のんびりとした雰囲気のバス旅だった。
 当たり前だが山道なのでくねくねした道をどんどん上っていく。
 山道とはいえ車道として整備されているため、道幅は広く険しい崖に面していないから安全で、わくわくしながら安心してバスに揺られていった。
 大山寺のバス停は意表を突かれた。
 ぽつんと標識が立つ小さなバス停を想像していたのに、着いたのは山の中腹にあるかなり大きなバスターミナルとロータリーで一般車の駐車場も広い。
 降りてから知ったのだが、ここは大山の登山道入り口で、登山ルートの手続きをする窓口や案内所や休憩所も入っている建物だった。
 バスを降りてからは、ひたすら登り道が続く。
 まず階段を上って横切った広めの道路へ出る。
 そこを渡ると両側に店や宿が並ぶ広い舗装された道路が上へ上へと伸びている。
 なだらかな山の斜面を上る道だ。 
 びっしりと並んだ店やらなんやらを眺めながらひたすら登る。
 道の突き当たりが大山寺の山門で、その少し手前の左側に鳥居と「大神山神社奥宮おおがみやまじんじゃおくのみや」の社標(神社名を記した石柱)がある。
 初めて大山へ行ったときは、まず目的地の大山寺へ参拝した。
 この話は第二弾の白うさぎ紀行文で語る予定だ。
 ここでは大神山神社に話題を絞る。
 ヘロヘロになりながら大山寺参拝を終えて山門を出た後、まっすぐ帰るつもりだったのに、なぜか鳥居の方へ脚が向いてしまった。
 ここでも呼ばれたのだと思う。
 大神山神社奥宮の御祭神は大己貴神おおなむちのかみ
 後に大国主命おおくにぬしのみことと名乗る神様だ。
 すでに出雲大社へお詣りしているのだからもうよかろうという気持ちだったし、大山寺の長い石段を上り下りした後で疲れていて、本音は行きたくなかった。
 それでもなぜか鳥居をくぐってしまった。
 一礼して一歩踏み出し鳥居をくぐった瞬間、仰天した。
 まるでスパッと空間が切り替わったような感じだった。
 見ている風景も聞こえている鳥の声や木々の揺れる音は同じなのに、鳥居の外と中は世界が違う。
 明らかに人間の住む俗な世界から神の宿る神域へ、鳥居を一歩進んだだけで入ってしまったのだ。
 このように一歩踏み込んだだけでスパッと俗から聖へと空間が切り替わる神域の感じ方は、私が行った範囲内では大神山神社奥宮と八重垣やえがき神社の鏡の池だけだ。
 これはあくまでも私の感じ方であって、人によって違うだろうし何も感じない人もいるだろう。
 鳥居の先にはゴツゴツした自然石を敷き詰めた幅広い参道が山肌に沿って上へと伸びている。
 日本一長い石畳の参道だ。
 初めて行ったときはウォーキングシューズとはいえタウン用だったため、足の裏が痛かった。
 それでも戻ろうとは思わなかった。
 神域に入った瞬間から引きつけられるように、えっちらおっちらと進んでいった。
 まもなく小さな橋が見えてくる。
 無明の橋。
 裏に金剛経を刻んであり、この橋を渡るとこれまでの罪がすべて清められるという。
 参道の両側には道に沿って小さなせせらぎがあり、森が広がる。
 そして神社の参道なのに、あちこちに巨大な、あるいは小さな石の地蔵菩薩像が参拝者を見守っている。
 これは神仏習合しんぶつしゅうごう時代の名残なのだが、この点については解説編で説明しよう。
 ゴツゴツな山道の参道を必死に上がっているうちに、銅の鳥居が見えてくる。
 この先に大神山神社神門がある。
 逆門、後ろ向き門と呼ばれている。
 ここへ運んできて設置したとき前後逆向きにしてしまったからだそうだ。
 深い哲学的な意図があるわけではなく、当時の人たちの単純ミスだ。
 それが後世には由来として語られ名所になるのだから、おもしろいものだ。
 この後はひたすら石段を登る。
 この石段もコンクリートをきっちり固めた階段ではない。
 ランダムに石を組み合わせたものだから、たいそう登りにくい。
 おそらく登山に慣れている人なら問題ないのだろうが、鎌倉、京都の寺社巡り感覚で気楽に行くと地獄を見ることになる。
 一応調べて行ったものの、甘かった。
 せめてハイキングシューズくらいは用意して行くべきだった。
 とにかく足は痛いし、暖かい時期なのにもともとよろしくない股関節は地味に痛み、息は荒くなっていた。
 不思議なことに体はガタガタになっていたのに、まるで反比例のように気持ちは生き生きしていた。
 これまで生きてきて心身にこびりついた厄が、神の宿る領域で少しずつ浄化されていくような清々しさを全身で味わっていたのだ。
 本来なら私のような様々な負の感情を背負った人間が入ることもおこがましい聖なる場。
 それでも受け入れ、優しくさらりとした一帯を覆う神気。
 だんだん体と心は全く違う方向へ進んでいった。
 脚は痛くて座り込みたいほど筋肉がこわばり、心は晴れやかに踊るようだった。
 そんなバラバラな状態で必死に奥宮にたどり着いた時、一瞬体の痛みも疲労も忘れるほど心が喜んでいた。
 令和7年現在、大神山神社奥宮は改築がすみ新しくなっているが、私が参拝したときは古い社だった。
 くすんだ木の色も全体の趣も重厚な雰囲気なのに重苦しさがなく、むしろ聖域であると同時に懐かしい田舎の親戚の家を訪れたかのようだった。
 参拝後、ぐるりと周囲の小さな社を一つ一つ回ってお詣りした。
 名前は違うが出雲大社と同じ神を祀る神社。
 だが、出雲大社と大神山神社はまったく神気が異なっているように感じた。
 なにしろ大己貴神=大国主命はとても強い力を持つ大神様だ。
 御神徳は多方面にわたっている。
 大神山神社奥宮(本社もだが)は、特に人と動物の医療と再生の方面に強い力を放っているように感じた。
 穏やかな神気なのに強い生命力を放つ神域。
 あくまでも私がそう受け取ったにすぎないのだが。
 参拝後はさらに脚はガタガタ、体はガクガク、心は晴れ晴れという状態で参道を下り、また無明の橋を渡った。
 渡った後、少しの間立ち止まって参道を振り返っていた。
 やっとホテルへ戻って休めるのが嬉しい反面、立ち去るのが惜しい気持ちもあった。
 バスの時間がせまっていることもあり、名残惜しいが鳥居を通り抜けた。
 またあの異空間を渡る感触があった。
 来たときとは反対に、すっかり体になじんでいた心地よい神気から人間の世界へ戻ったのをはっきり理解したのだ。
 それまで当たり前だった人の世の気が、なんとも重苦しくうっとおしいものに感じた。
 この人の世が私の生きる場なんだなと妙に冴え渡った頭で再確認し、山道を転ばないように気をつけながら痛む脚でゆっくりと下ってバスターミナルへ向かったのだった。

 道の両側のせせらぎもあちこちにおられる地蔵菩薩も以前の社殿も、ふっと頭に浮かぶことがある。
 はたして東京へ戻れるのかと頭の片隅に疑問が浮かんだほどしんどい行程で、米子に戻ってすぐに痛み止めの湿布薬を購入して、お風呂でしっかり温めた後で全身に貼りまくったのが今では懐かしい。
 バスターミナルへ向かう途中に、近くのホテルの人が道ばたで大山おこわを販売していたので購入した。
 米子の宿泊しているビジネスホテルには、夕食を食べられるところがなかった。
 夕食を食べに外へ出るのが面倒だからという理由だけで、間に合わせのつもりで買ったおこわだった。
 ところが嬉しい誤算だった。
 山菜と大山鶏が少し入っただけのおこわだったのだが、びっくりするほど美味しかったのだ。
 全部食べられるか心配な量だったが、完食してしまった。
 その後、何度も大神山神社奥宮へお詣りに行った帰りに、あのおこわを売りに来ていないか探したものの、もう出会うことはなかった。
 今では奥宮へ登るには体が弱りすぎた。
 残念だが新しくなった社殿を拝することはできないだろう。
 それでも大山の神宿る場の神気は忘れられない。
 たまたま通りがかったご縁でお詣りすることができたのは、神様がお呼びくださったのだと思っている。
 そして生きることに疲れた身を哀れまれて、少しでも癒やしてやろうとしてくださったと受け取っている。
 ありがたいことだ。
 今は素直にそう言える。
 この心境になるまではかなり道のりがあったのだが、それについてはおいおい書いていこう。



 大神山神社奥宮

御祭神 大己貴神おおなむちのかみ(大国主命の別名)

御神徳 厄除け 病気平癒 再生 家畜安全 産業発展 畜産振興など

住所 鳥取県西伯耆郡大山町大山
 

 

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