彼氏との交際に疲れた女神の相談にのった話
注1 以前Kindleで販売していた『ウサギ神交遊記』の中の一話を加筆したものです。
注2 今回登場するミホツヒメノミコト(美穂津姫命)は、『日本書紀』ではヤエコトシロヌシノカミの母ですが、鶏鳴伝説では妻問いの相手。ここではつきあっている彼女として登場しています。
注3 美保神社のヤエコトシロヌシノカミは神無月に出雲へ行かない神様ですが、ストーリーの都合上顔出しはしていることになっています。
いかがお過ごしでしょうか?
毒にも薬にもならないウサギ神の日常や思い出を語っておりますが、今日は縁結びの神らしいと言っていいのか微妙な、ある神のカップルについてお話ししましょう。
実はウサギとしてのアイデンティティを自覚した出雲での出来事を思い出すうちに、もう一つ思い出したことがあるのです。
たぶん平成に入ってからのことだったかと思います。
いつものように朝の体操をしまして、のんびりと過ごし、昼食は何にしようかなと考えていた時でした。
社の入り口から女性の声がしましたので、急いで出てみました。
「これはこれは」
驚きましたよ。
そこに立っておられたのは、美しい女神様、揖屋神社にお住まいのミホツヒメノミコト(美穂津姫命)です。
この御方、美保神社にお住まいのヤエコトシロヌシノカミ(八重事代主神)とおつきあいしておられる御方で、出雲大社で毎年お会いしております。
その御方が、なぜここへ?
「突然ごめんなさい。どうしても話したいことがあって」
むっとしているご様子です。
「さあ、どうぞおあがりください」
わたくしは急いで社の中へご案内し、お湯を入れたポットと急須、お茶とお菓子を応接間に運びました。
そして茶菓をお出しして、向かい合って座りました。
ミホツヒメノミコトはソファ、わたくしは一人がけの肘掛けイスでございます。
え?
神社らしくないって?
デザインは白木に鮮やかな色彩の布を張ったものですから、一応和風で室内にマッチしていますよ。
「お久しゅうございます。まさか因幡までいらっしゃるとは思いませんでした。電話やメールでは話せないことなのでしょうか?」
不機嫌な女神様は、お茶をすすられてからジロリとわたくしをご覧になりました。
「やっぱり、あなたのせいね」
「はあ?」
まったくわけがわかりません。
「あの、わたくしが何か?」
ミホツヒメノミコトは首を振られました。
「ごめんなさい、あなたが何かしたんじゃないのよ。あなたが悪いわけではないわ。でも、あなたのせいね、きっと」
「すみません。おっしゃる意味がわからないのですが……」
途方に暮れたわたくしの様子にようやく気づかれたらしく、ミホツヒメノミコトはあわてておっしゃいました。
「そうよね、これじゃわからないわよね。あのね、私は今、ヤエコトシロヌシノカミのことで悩んでいるの。本当にまいったわ」
「なるほど。しかし、それとわたくしが、どう関係するのでしょうか?」
悪いわけじゃないけれど、わたくしのせい?
さっぱり意味がわかりません。
ミホツヒメノミコトは、お茶をがぶりとお飲みになってから大きくため息をつかれました。
「ねえ、シロナガミミノミコト。あなた、彼の趣味、知ってる?」
「さあ? 魚釣りがお好きなのは知っていますが他にこれといって……」
「出雲大社で噂を聞いていない?」
「はあ」
ほうと大きく息を吐き出され、うんざりしたようにおっしゃいます。
「コレクションよ」
「おや、何か集めておいでですか? 初耳です」
はい、ご本人から聞いたことはございません。
年に一度の出雲大社での集いではよく話しかけてくださいますが、コレクションの話は出なかったように存じます。
「あ、そ。まあ、あなたに言っても仕方ないんでしょうけどね」
「すみません、役に立たないウサギで」
反射的に謝ってしまいました。
あわててミホツヒメノミコトが続けられます。
「ごめんなさい、そういう意味じゃないのよ。ただ、このコレクションの話、あなたにするのもどうかなってことなの」
「わたくしに関連するのでございますか? まさかウサギ料理に凝っておられるとか? 世界中のウサギ鍋のレシピを集めておいでなのでしょうか?」
ぞっといたしました。
すぐにミホツヒメノミコトがまた首を横に振られます。
「そういうことじゃないから安心して。彼の趣味ってね、ウサギグッズのコレクションなのよ」
「それは初耳です」
意外でした。
神代の昔よりずいぶんお会いしておりますが、まさかウサギ製品を集めておいでとは。
「で、どのようなものを集めておいでなのですか?」
興味を持ってお尋ねしましたよ。
するとミホツヒメノミコトはうんざりしたお顔になられました。
「ありとあらゆるものよ」
「あの、具体的に言っていただけますか?」
「まず壁紙もカーテンもイスカバーも座布団カバーもウサギ柄。食器ももちろんウサギ模様。ソファの上にはウサギのクッションと大きなぬいぐるみ。壁一面にもうけた飾り棚には小ぶりなウサギのぬいぐるみにフィギュアに貯金箱に巾着にボールペンに写真立てに時計に日本と外つ国のウサギに関する本に……いちいち挙げられないわよ。奥の棚には古来日本で作られたウサギの絵がついた絵巻だの掛け軸だの陶磁器だのがしっかり収納されているわ。とにかくありとあらゆるものが、すべてウサギなの! 食器洗いなんて自分でしないくせに、ウサギのスポンジと布巾もあるわよ。もし存在するならウサギ柄の雑巾だってコレクションするわね、きっと。お茶を出されればウサギ柄の急須と湯飲み、菓子皿や料理用の器もウサギの陶磁器に漆器。お茶菓子はウサギのおまんじゅうだの焼き印でウサギがついたどら焼きだのウサギのマシュマロだのウサギ煎餅だのウサギの練り切りだの、どこから集めてくるのよってききたいくらい、日本で手に入るウサギ菓子を全て揃えているわ」
あんぐりと口を開けてしまいました。
黙ってお茶をすすられるミホツヒメノミコトに、ようやく気を取り直してお尋ねしました。
「そのウサギグッズのコレクションが、わたくしと関係あるのですか?」
ミホツヒメノミコトが、大きくうなずかれます。
「十中八九そうね。以前『どうしてこんなに集め出したの?』って訊いたら、『神代の頃にウサギって可愛いな~って思って、それからかな』って言ってたもの。当時、彼に影響を与えそうなウサギって、あなたしか思いつかないわ」
「はあ」
「まあ、神代の頃はウサギグッズなんてないわよ。でも時代が下るにつれて、鳥獣戯画だの絵巻だの焼き物だのと出回りだして、その頃から片っ端から収集したらしいわ。鳥獣戯画は描かれてすぐに入手したし、ウサギが描かれた絵巻だの絵画だの焼き物だの、とっくに散逸していて人間達が見たら卒倒するようなものが全部彼の神社にあるわよ。そして、今は外つ国からも入ってくるし、日本国内でもいろんなウサギグッズを作っているし、増える一方」
「すごいですね」
感心してしまいました。
本物のウサギのわたくしには、さっぱりそのような趣味はございませんし。
「ええ、すごいわ。もう、すごすぎて、ついていけないわ」
女神様がうめいておられます。
「彼の社へ遊びに行くたびに、私もハタキをかけたり手入れするのを手伝ったりするのよ。そうすると彼、ぬいぐるみを両手に一つずつ持って、『ねえ、この子とこの子、どっちが可愛いかな?』とか訊くの。だから私も適当に『はいはい、どっちも可愛い可愛い』とかハタキをかけながら答えるのね。そうしたら『そうだよね、比べちゃ可哀想だよね』ってニコニコしながら、また棚に並べ直したりするのよ。毎回毎回、それ……」
「はあ」
そのカップルによって、いろいろなおつきあいの仕方がございます。
まさかこのお二人がウサギグッズを介して会話をなさっていたとは、驚きでした。
「でもね、さすがに私もね……」
途中で言葉を切られて、湯飲みを手にされましたが空でした。
わたくしは急いで急須にお湯を注いで、お茶の追加を入れました。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ミホツヒメノミコトは手にされた湯飲みをご覧になって、少し驚いたようでした。
「あら、この湯飲み、ウサギ柄じゃないのね。あなたの方がウサギの湯飲みを使っていても、おかしくないのに」
「はあ、そこまで考えてはおりませんでした」
ええ、わたくしはウサギですが、身の回りの品をウサギ柄にするなどとは考えてもおりませなんだ。
女神様は、大きく息を吐き出されました。
「ほっとしたわ。最近、さすがにウサギ疲れなの。昨日はとうとう堪忍袋の緒が切れたし」
「何がございました?」
ウサギで疲れるとは、珍しゅうございます。
「久しぶりに彼の社へ遊びに行ったら、足の踏み場も無いほど増殖しているのよ。玄関から廊下を通って部屋へ行くまでに、いったいいくつのウサギのぬいぐるみだの箱だの傘立てだの郵便受けだのスーツケースだのを動かしたか……。入り口からソファまで行くにも、床に置かれた大小のウサギのぬいぐるみや何やらをよけるのよ。ソファまでたどり着けば、座るためにまずウサギクッションと大きなウサギのぬいぐるみを下ろすの。ちなみにカーペットとラグもウサギ柄ね。ようやくウサギ柄のカバーで覆われたソファに座ったら、『いつも和風のお菓子だから、今日は西洋風にしたよ』って言われて、『今日はウサギ菓子とウサギお茶道具じゃないのね』って嬉しくなったけど甘かったわ。〝うえっじうっど〟とかいう外つ国の陶工が酔狂に作った〝ぴーたーうさぎ〟なんていうウサギ柄のカップ&ソーサーで紅茶が出されて、だめ押しでお茶菓子が丸いチーズケーキの上に粉砂糖でウサギのシルエットがついたものとウサギ型のビスケット。ケーキ皿もフォークもスプーンも、おそろいの〝ぴーたーうさぎ〟よ。見ただけで私の中で何かが崩れていったわ」
そこまで徹底しておられるとは、ある意味清々しゅうございます。
とはいえ、ミホツヒメノミコトがウサギ疲れをしておいでなのもわかります。
「疲れるお気持ちがよくわかります。ウサギのわたくしでもウサギ酔いしそうです」
「でしょう?」
ミホツヒメノミコトが大声を上げられます。
「さすがに気分が悪くなって、『ちょっと具合が悪くて』とか口実を作って帰ってきたわよ。まさにウサギ酔いしたわ」
「お気の毒でございます」
わたくしたちは、同時にお茶をすすりました。
「この先もあのコレクションが続くのかと思うと、やっていけないわ。彼のことは好きよ。ウサギだって嫌いじゃないわ。でも物には限度ってものがあると思うの」
「おっしゃるとおりでございます」
ミホツヒメノミコトはため息をつかれました。
「何も全部処分しろとは言わないわよ。彼が大好きなコレクションをやめろとも言わないわ。ただね、せめて私が通って座る場所くらいウサギに占拠されないようにしてほしいの。それにこれ以上集めてどうするのよ? もう社の中には置く場所がないわ」
このとき、わたくしの頭に閃いたことがございました。
「コレクション部屋を作っては如何でしょう?」
「え?」
「あなたはウサギコレクションをやめろとご希望なのではなく、せめてご自身が遊びに行かれたときにウサギ酔いしないようにしてほしいのですよね?」
「ええ、そうよ。私もウサギは嫌いじゃないし、可愛いと思うわ。多すぎなのが問題なの」
「それでしたらウサギ専用のお部屋を増築して収納すれば、普段使いのお部屋はすっきりして、お訪ねしてもいちいちウサギをよけなくてすむのでは? 神の住まいは人間の領域と重なる部分もございますが、次元を異にしている部分も大きゅうございます。ですからウサギ部屋を作ることは簡単でございます。ヤエコトシロヌシノカミには『大切なウサギコレクションを傷めないように保存するため』と提案されてはいかがでしょう? そして『増やしすぎると目が行き届かなくなって手入れがおろそかになって、この子達が可哀想よ』などと訴えられては?」
ミホツヒメノミコトが、湯飲みを置かれました。
「素晴らしいわ! そうよ、それでいきましょう!」
来られたときとは別人のように明るいお顔になっておられます。
立ち上がられて、わたくしの前足をしっかり握られました。
「ありがとう、シロナガミミノミコト。あなたに相談してよかったわ~。下手に苦情を言えば彼に嫌われそうだし、かといってウサギ酔いは深刻になるし、本当に困っていたの。さすがは縁結びの神ね。本当にありがとう!」
「いえいえ、お役に立てて嬉しゅうございます。わたくしがきっかけでウサギコレクションが始まって、それがあなたとヤエコトシロヌシノカミの間に問題を起こしたとあっては、申し訳ない気持ちで一杯です」
「ううん、あなたのせいじゃないわよ。せいじゃないけど、でも……とにかくありがとう! さっそく彼の所へ行ってくるわ」
白兎神社の入り口までお見送りしました。
ミホツヒメノミコトは、弾むような足取りで去って行かれます。
これで一組のカップルに亀裂が入らずにすみました。
縁結びの神として、ほっとしたのでございます。
数日後のことです。
カウチでニンジンスティックをかじっていたところ、入り口で聞き覚えのある声がしました。
すぐに出て、ぶすりとしたお顔のミホツヒメノミコトを見てぎょっといたしました。
「あの、何か?」
「ちょっと聞いてほしいの」
「はい、どうぞ」
また部屋にお通しして、お茶をお出ししました。
無言でお茶をすすられるミホツヒメノミコトに、わたくしはおそるおそるお尋ねしました。
「今日はどのようなご用件でしょう? 先日のウサギ部屋の提案、うまくいきませんでしたか?」
湯飲みを置かれて、ミホツヒメノミコトがうんざりしたご様子で話し出されました。
「あの後、彼にコレクション部屋を作るように言ったわ。そうしたら『すごくいいアイディアだね。ありがとう』って嬉しそうに答えて、さっそく召使い達に命じて増築したわよ。次の日に行ったらもう完成していて、ウサギたちは全員その部屋へ移っていたわ」
「それはようございました」
そう言いつつも、ミホツヒメノミコトの不機嫌な表情に首を傾げてしまいました。
何がご不満なのでしょう?
「それでね、あなたに言われたとおり『これ以上増えたら、目が行き届かなくて、この子達が可哀想よ。ちゃんとお世話してあげましょうよ』って言ったの。彼もぐるっと見回して『そうだね。これだけウサさんたちがいるんだから、これ以上増えたら埃だらけになっちゃいそうだし、君の言うとおりだ。ウサギのコレクションはもうやめるよ』って言ったの」
「けっこうなことではありませんか。これで問題解決ですね」
明るく申し上げましたが、ミホツヒメノミコトはため息をつかれました。
「ええ、ウサギのコレクションをやめたわ」
「はあ、それで良いのでは?」
すべてうまくいったのに、なぜこんなに不機嫌なのでしょう?
ミホツヒメノミコトは、じっとわたくしの目を見つめておっしゃいました。
「ウサギのコレクションはやめたけど、今度は彼、パンダを集め出したわ」
「はあ~!」
パ、パンダですか?
「あの、それってウサギからパンダに乗り換えただけですよね? 根本的にコレクションをやめたわけではないと?」
「ええ、そうよ。彼が言うには、以前からパンダも気になっていたんですって。ウサギコレクションが一段落したから、今度はパンダを集めるつもりよ。紅茶を出されて、相変わらずカップ&ソーサーとケーキ皿とカトラリーは〝ぴーたーうさぎ〟だったけど、お菓子はパンダのケーキとマカロンだったわ。何でも東京の上野在住の神に頼んで、送ってもらったらしいの。もうウサギ部屋の隣にパンダ部屋も増築してあって、そこに入れるんだって張り切っているわ」
顔を伏せてしまわれたミホツヒメノミコトを見て、わたくしはため息をついてしまいました。
「それでは、わたくしからヤエコトシロヌシノカミに、コレクションはほどほどにとお話ししましょうか?」
ミホツヒメノミコトは顔を上げて、すぐに首を横に振られました。
「いいのよ。一応、私の意見も聞き入れて改善しようとしてくれたんだし、この前ウサギ酔いで帰った時も『体調はどう?』って連絡してくれて、薬草を送ってくれたのよ。私のことを考えてくれているし、優しいし、それにウサギやパンダに夢中になっている彼ってちょっと可愛いし、私もぬいぐるみやグッズの手入れはけっこう好きだし、うまくやっていけると思うわ」
「さようでございますか。それならば、ようございますが」
わたくしがにっこりしますと、ミホツヒメノミコトもにっこりされて立ち上がられました。
「明日は、白浜からパンダグッズが届くんですって。箱から出して並べるお手伝いに行くのよ。お茶、ごちそうさま」
「たいしたおもてなしもできませんで」
わたくしはまた神社の入り口までお見送りしてから、部屋へ戻って湯飲みと急須を片付けました。
え?
結局、ミホツヒメノミコトは何をしに来たのかって?
ただ、彼氏への愚痴と見せかけた惚気話をしに来ただけだろうって?
はい、その通りでございます。
男女を問わず、ご本人は愚痴のつもりでも、何のことはないお惚気だということは、よくあることなのです。
縁結びの神をしているため、このようなことはしょっちゅうございますとも。
うざくないのかって?
それはありません。
縁結びの神といたしましては、深刻に亀裂が生じて別れ話になるよりも、こうしてなんやかんや言いつつも仲良く過ごしてくださるのが何よりでございますから。
さて、これでお二方の間は大丈夫でございましょう。
さっきのニンジンの残りを食べますか。
完