村井弦斎『食道楽』より明治時代のスイーツ・レシピ
いきなり問題を一つ。
これから挙げる明治時代のベストセラー小説『食道楽』の一説で紹介されたレシピは、現代ではごく普通にありふれたお菓子の作り方だ。
主要人物の一人小山が訪ねてきた親友の大原に目の前で作ってみせるのだが、Xにあてはまる西洋菓子の名前をあててほしい。
ヒント: 現代のレシピとは材料はだいたい同じだが、配合はかなり違う。
小山「時に大原君僕が今妙な菓子を作るから見てい給え。ソラこの通り大きなスプーン匙で米利堅粉を六杯掬うだろう。粉が大サジ六杯だと砂糖が中匙六杯さ、それに塩が小匙一杯にベーキングパウダーが小匙二杯さ」(中略)「今の品物へ大きな玉子を六つ加えて粒のないようによく溶くのだ。この溶き加減が少々むずかしい。柔(やわらか)過ぎてならず、固すぎてならず、固過ぎたら牛乳を加えてもよし水を加えてもよし、柔過ぎたら粉を加えるのだ。(中略)ソラ出来たろう、ドロドロのものが。これで僕がXを焼いて進(あ)げる」大原「ナニ、X、あれは大好きだ」
村井弦斎『食道楽』春の巻 第八十一 手製菓子 より
小山「君のいうXは菓子屋で売っているジャム入りだろう。(中略)僕が今拵えるのは純粋のXだ。(中略)普通の火鉢で軽便にできる。見給え、この中へラードという豚の脂を刷(は)毛(け)で塗るが外の油でも構わん。(後略)」
『食道楽』春の巻 第八十二 Xより
明治時代の分量ではわかりにくいという方のために現代風のレシピに置き換えてみよう。
薄力粉 48g
砂糖 36g
塩 5g
ベーキングパウダー 6g
玉子 L玉 6つ
粉類はふるい、玉子を加えて混ぜてどろどろにする。
堅ければ牛乳か水、柔らかければ粉を加える。
型にラードを刷毛で塗りコンロの上で焼く。
本文ではどんな型を使うのかを書いてあるがそれを記すとわかってしまうので、あえて伏せた。
さてXの名前は見当がついただろうか?
正解はこちら。
ベルギーワッフル。
現代とはかなり配合が違うが、明治時代に専用のワッフル型が入ってきていて、作り方が紹介されていた。
ちなみに大原が頭に浮かべたワッフルはこちらのタイプ。
写真のように生クリームとカスタードクリームを一緒に挟むのは現代のもので、大原が思い浮かべていたワッフルはカスタードクリームまたはジャム(主に杏ジャム)を挟んでいた。
昔はジャムを挟んだものも多かったようだ。
昭和初期の小説だが、山本有三の『路傍の石』に、主人公の吾一が奉公に行った先で元同級生のお坊ちゃまにワッフルをもらうシーンがある。
このときのワッフルはジャムが挟んであったと記憶している。
まだお菓子といえばお汁粉、お団子、おはぎ、練り切りなどが一般的だった時代に、まず新聞小説として人気を博し、その後単行本としてベストセラーとなった『食道楽』はアメリカ帰りの執筆者村井弦斎によって書かれた。
当時は珍しい西洋料理や西洋菓子の作り方や道具を紹介したグルメ小説とみなされ、西洋への憧れと共に大衆からもてはやされたが、『食道楽』をよく読めば単なる「美味しい物小説」ではないことがわかる。
弦斎が繰り返し主張していたのは、一家団欒、食育の大切さであって、単なるグルメの勧めではない。
旬の安くて新鮮な食材を家で清潔な道具で調理し親子そろって食卓を囲む大切さ、子供にとって体育、知育よりもまず基本となる食育の大切さを訴えていた。
当時の日本は今では信じられないほど不潔な環境で、調理道具は一つ間違えば食中毒を起こすほど。
父親不在の食卓は珍しくない環境だった。
調理方法もまだ未熟で、今は普通になっているが、老人のための食事、乳幼児の食事、入院中の病人の食事にそれほど区別はなく、普通食が摂れなければせいぜいお粥か重湯くらいだった。
いささかアメリカかぶれの一面はあるものの、真摯に日本の食事情を憂い向上させたいと願っていたことが端々から読み取れる。
結婚を阻まれる若い二人と応援する周囲、様々な世相なども織り込みつつ誰にでも読みやすい小説を通して新しい食文化を伝えようとしていたが、当時もグルメ小説、新しい調理法にばかり注目されてしまったのが少し残念だ。
現代は明治時代とは違う意味で「食べる」という生きていく基本がいろいろな面で難しくなっているが、同時に当時に比べて恵まれている点も多い。
私にとっては改めて「人が食事をする」意味を楽しく読みながら考えてみたいとき、ひもとく小説だ。