悩める女神が夫婦問題の相談に訪ねてきた話
注 以前AmazonのKindleで販売していた『ウサギ神交遊記』の中の一話を加筆した短編小説です。
こんにちは、海を見下ろす神社でのんびり暮らす白兎神シロナガミミノミコトです。
出雲大社や伊勢神宮のような大神様のお住まいとは異なり、参拝者はおりますが静かな環境でございます。
時折、神仏の来客があるとはいえ、この時のお客様が神社の入り口に立っておられたのを見たときそれは驚きましたとも。
「お久しぶりでございます。このような遠いところまで、お一人でおいでですか?」
「ええ。あたしに付き添ってくれるような方はいませんわ」
どんよりとした空気を醸し出している女神様のご様子は、ただごとではありません。
「さあ、どうぞお入りください。中でゆっくりお話ししましょう」
応接間のソファに座っていただき、ちょうど出雲から届いた紅茶をお出しして、わたくしも向かい側に座りました。
「どうされました、ヤサカトメノカミ(八坂刀売神)? 諏訪からはるばるお一人で来られたのは、何か深刻なお悩みが?」
この方、諏訪大社の下社にお住まいの女神様で、タケミナカタノカミ(建御名方神)の奥様です。
女神様は紅茶を召し上がられ、暗い目でこちらをご覧になられました。
「御神渡って知っていますか?」
「見たことはございませんが聞いたことはございます。確か冬に凍った諏訪湖に亀裂が入るんですよね。上社にお住まいのタケミナカタノカミがあなたを訪ねて下社に行かれた跡だとか……」
「ええ。そうなの。で、その御神渡って何回くらいあるか知っているかしら?」
「さあ? 一冬に数回くらいでしょうか」
女神様は大きくうなずかれました。
「そうなの。本当に数回よ、その年によるけれど」
「さようでございますか」
相づちを打ちつつも、内心では不思議でなりませんでした。
なぜまた、諏訪の御神渡の回数を因幡までクイズ形式で話にいらしたのでしょう?
わたくしの疑問が顔に出たのか、ヤサカトメノカミはカップをソーサーに戻し、どんよりした空気をいっそう濃くしておっしゃいました。
「諏訪に住むあたしがなぜ因幡まで来たのかって、不審に思うでしょうね。でも、あなた以外に相談できそうな神がいないのよ。タケミナカタノカミと古い馴染みで縁結びの神ですもの、きっと何か知恵を貸してくれるんじゃないかって……」
なるほど、旦那様のことでご相談ですか。
御神渡の回数。
すご~く嫌な予感がします。
「ひょっとして、タケミナカタノカミがあなたを訪ねる回数が少ないことをお悩みですか?」
「さすがね、察しがいいわ」
女神様は少し明るい表情になられました。
「昔からなんだけど、彼ってうちに来てくれることが滅多に無いのよ。最初は信濃国を開くのに忙しいんだろうって思っていたわ。でも国が落ち着いても、やっぱり滅多に来てくれないのよ。『たまには来てよ』って文を出したりしたけれど全然反応無し。他に女ができたのかって勘ぐって、たまに遣いに来る使役神に訊いたけど、そういうわけでもないし……」
顔を伏せてしまわれたので、わたくしはあわてて申し上げました。
「あの御方は神代の昔から筆無精で出不精なのです。父君のオオクニヌシノミコト(大国主命)が太鼓判を押されるほどですから。決してあなたを疎んじておられるのではありません。そういう性格なのです。それに御神渡は冬にしか見られないのでしょう? 冬に出歩く回数が減るのはいたしかたありますまい。それ以外の季節に通ってこられるなら良いではありませんか」
すると女神様は 暗いお顔を上げられました。
「同じよ。暖かい季節だって、めったに来ないわ。たぶん一年に十回会うかどうかってくらい」
言葉に詰まりました。
そんなに来ないなら、そりゃ心配にもなりますよね。
ヤサカトメノカミは、大きくため息をつかれました。
「時々、社の前に仕留めてきた雉だの山で収穫してきた木の実だの果物だのが置いてあるわ。侍女や召使いが見つけて知らせてくるんだけど、残っている神気で彼が来て置いていったんだなってわかるの。せっかく来たなら、どうして声をかけてくれないのよ? お茶やお食事くらいしていったっていいじゃない。『ごんぎつね』じゃあるまいし、見つかったらあたしに撃たれるとでも思っているの? あたしは兵十なの?」
「きっと照れくさいんだと思いますよ。でもそうやって獲物を届けに来られるのですから、あなたを大事に思っておられるはずです」
「そうかしら? とてもそうとは思えないわ。何も毎日愛をささやいて欲しいとか、跪いて獲物を捧げてほしいって頼んでいるんじゃないのよ。せめて普通に対話して欲しいの。上社では昔からいろんな居候の下級神だの何だのが居着いてワイワイやっているみたいだけど、そっちの連中の方があたしよりも大事なのかしら? あたしって彼にとっていったい何なの? 妻だと思っていたのは、あたしの幻想なのかしら」
「いえいえ、間違いなく奥様ですよ」
わたくしは急いで口を挟みました。
しかしヤサカトメノカミは焦点の合わない目で、あらぬ方角をご覧になっています。
「知り合いの女神達にずいぶん相談したのよ。そしたら『男はこっちが追いかけると逃げる生き物だから、気にしないふりをした方がいいわ。自分が放っておかれると逆に焦るから』と言われて実行しているけれど、こっちから連絡しなければ向こうからは絶対何も言ってこないのよ。どうしたらいいのか、もうわからないわ」
「でも、獲物や果物は置いていかれるのですよね」
「ええ、そう。もう彼を『ごん』って呼んだ方がいいのかしら? ふふ……ふふふふふふふ……」
乾いた笑いがこぼれております。
重症です。
タケミナカタノカミがあまり通っていかれないのは、決して関心が無いのではなく、ただ出無精なだけだとわたくしにはよくわかります。
それに諏訪大社には多くの居候の神々がいますから、遊び相手にも不自由はありません。
どちらかというと性格的に、男同士、仲間同士で気軽に遊ぶのがお好きなだけで、妻を疎かにするとか、浮気をするとか、そういう気は全くない方なのです。
「わたくしを訪ねておいでなのは、この状況を改善したいからではありませんか? もう諦めておいでなら、はるばる諏訪から因幡までいらっしゃらないでしょう? いくら〝神の道〟を通るとはいえ、お一人でここまで来られたのは、わたくしのささやかな知恵を当てにしておいでなのでは?」
はっとしたように女神様が、わたくしを見つめられました。
「そうよ、そうだわ。もうあなたしか頼れないの。彼を〝ごん〟と呼ぶ前に、あたしたちの間を何とかできないかしら?」
よほどこたえているようです。
タケミナカタノカミは全くのご好意で獲物を置いてゆかれるのですが、ヤサカトメノカミには辛く感じられるのでしょう。
だから、できるだけ明るく申し上げました。
「引いてダメなら、押してみてはいかがでしょうか?」
「はい?」
ポカンとしておいでなので、さらに詳しく付け加えました。
「諏訪大社に、あなたの方からタケミナカタノカミを訪ねてはならないという規則はないのですよね?」
「ええ」
「それなら、あなたから上社へ会いに行けばよろしいのですよ」
ヤサカトメノカミは、ひどく驚いておられます。
「あたしから通うの? 普通は男が通ってくるものでしょ。それって、どうかしら? 下品な女だって嫌われそうだわ」
わたくしは首を横に振りました。
「かようなことはございません。時代は変わりました。もしタケミナカタノカミが積極的に訪問するのがお好きな方なら、あなたも待っていた方がいいでしょう。しかし神代の昔から出不精な方なのですよ。今さら、あの性格が変わるとは思えません。それならあなたから行った方が得策かと。まずはお試しになってみることです。これでうまくいかなければ、またご相談に乗りましょう」
女神様はしばらく考え込んでおいででしたが、やがて小さくうなずかれました。
「そうね。これまで待ち続けてうまくいかなかったんだから、行ってみるわ。でも、でも……図々しい女だって嫌われないかしら?」
「その時は、わたくしがお勧めしたのだと申し上げて仲を取り持ちましょう。でも、そんなことはおっしゃらないと思いますよ」
それでもまだグズグズしておいででしたが、ようやく決心したらしく立ち上がられました。
「自信はないけれど、試してみるわ」
「大丈夫、きっとうまくいきますよ」
「だといいけれど……ダメだったら、また相談に乗ってね」
「もちろんです。いつでも連絡してください」
わたくしはヤサカトメノカミを〝神の道〟の入り口までお送りしました。
まだ迷いがおありのようでしたが、わたくしは何度も励まし、お見送りをしたのでございます。
ヤサカトメノカミは不安そうでしたが、わたくしには大丈夫だという確信がありました。
その後ヤサカトメノカミが白兎神社に来られることはありません。
何度か女神様の方から通ううちに、面倒になって上社に住み込んでしまわれたのだそうです。
想定外でございましたが、風の噂ではあの弱気だった御方がいつの間にかタケミナカタノカミも居候の神々も顎でこき使うようになり、今では諏訪大社全体を牛耳っておいでだとか。
居候の神々の中には面白くないと思う者もいるようですが、主であるタケミナカタノカミはまんざらでもないご様子なので何も言えないそうです。
そして出雲大社でお会いする度に、ヤサカトメノカミがたくましくなってゆかれるのを拝見しております。
他の神々からは「スセリビメ二号」「二代目スセリビメ」とも呼ばれております。
ご自分から積極的に動かれることで変わられたのか、はたまたそういう資質があったのかは定かではありませんが、ともかくお二方がお幸せならけっこうなことでございます。
今も諏訪湖に御神渡がありますが、用事で下社に行かれたヤサカトメノカミをタケミナカタノカミが迎えに行かれるのだとか。
きっとこの先も仲良く暮らしてゆかれるでしょう。
縁結びの神をしていてよかったと思える瞬間でございます。
え?
スセリビメ二号を作ったのは、どうかって?
それは……あ、参拝者が来たようです。
お仕事、お仕事。
完
タケミナカタノカミは『因幡の白兎、神となり社に鎮座するまでの物語』
『白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語』に登場しています。
ウサギ神シリーズにおいて主要な神の一柱です。