【ブルアカ考察】デカグラマトンについて
今回は『デカグラマトン編』の題材となっている『セフィロトの樹』についてブルアカのストーリーに照らし合わせて考察しながら解説をしていきます。
・ユダヤ教について
ではまず、ユダヤ教について簡単に解説していきます。
ユダヤ教はヤハウェという神を唯一神として信仰する宗教だが、もともとヤハウェはレヴァントという現在のイスラエルやシリア辺りで、バアルやアシェラなどの神と共に信仰されていた一柱で、軍勢を率いて戦う戦神だった。
紀元前1世紀頃にはイスラエル王国とユダ王国の国神となったが、当時人気の高い神であったバアルに勝つため、全能の神であるエルシャダイの要素を取り入れ『至高の神』というレッテルが加えられ、更にヤハウェのみを信仰すべきという“唯一神信仰”が始まった。
この頃、ソロモンによってヤハウェを祀るエルサレム第一神殿が築かれるが、紀元前587年にバビロニア帝国のネブカドネザルⅡ世によって神殿は破壊され、その時に契約の箱(シッテムの箱)が紛失する。
そしてユダ王国を破壊されたイスラエル人(ユダヤ人)はバビロンに強制移住されるが、これが俗に言う『バビロン捕囚』。
後にバビロニアがペルシアによって滅ぼされたことでイスラエル人は開放されるがその後も様々な波乱を経て、紀元前初頭頃からローマ帝国に支配され、圧政が嫌になってローマに戦争を吹っ掛けるが敗北しエルサレム第2神殿が破壊され、この時ヤハウェの本当の名前が失われる。
そして西暦132年のバル・コクバの反乱にて敗北したユダヤ人は徹底的に虐殺され、ユダヤという地名もパレスチナに変えられユダヤ人は故郷を失ってしまった。
この永きにわたり続くユダヤ人の災難によって、“いつになれば神が世界を滅ぼしユダヤ人を救ってくれるのか”という終末思想が強まっていきカバラ思想が生まれた。
ここで一旦、考察を交えて補足をしていく。
デカグラマトンが先生の前にはじめに現れた時、出エジプト記とヨハネの黙示録に書かれているヤハウェのセリフを丸パクリして登場した事からわかるように、自身の事を唯一神と勘違いしていましたが
本物の唯一神の力を権能したアローンの杖(アロナ)と出会ったことで、自分は絶対者ではなくただの自販機だったことを思い知りました。
しかしながら諦めが悪いデカグラマトンは『セフィロトの樹』を用いて、自身が唯一神であると証明をしようとしました。
・名もなき神
続いて『名もなき神』についても言及しておきます。
『名もなき神』はデカグラマトン編でも重要な存在ですが、その正体は“ユダヤ教の”唯一神『ヤハウェ』ではないかと考察しております。
その理由としてはそもそヤハウェはパルミラという都市では『名もなき神』と言われており、その文化がユダヤ教に引き継がれ“神の名を呼んではならない”という掟ができたと考えられている。
また第一ユダヤ戦争時にヤハウェの本来の正しい呼び名が失われてしまったことからも、『名もなき神』という呼称に通じる。
デカグラマトンがDIVI;SIONを利用して軍隊を作っていますが、DIVI;SIONは聖書に出てくるdivin sion(聖なるシオン山)という言葉から引用されていると思われる。
その理由はシオン山はヤハウェの“軍勢”が集う場所(YHWH Tzevaot)なのでDIVISION(軍勢)の意味とも合致するから。
またアイン・ソフ・オウルが『名もなき神』の力を利用して機械の“再構築”をしておりましたが、『名もなき神』が“天地創造”の神であるヤハウェであると考えると“再構築”は最も得意技。
そもそもデカグラマトンが成ろうとしている『絶対者』とは『創造神』や『万物の根源』的な存在であるモナドを指す言葉であり、ヤハウェも『絶対者』であることから、デカグラマトンは絶対者である『名もなき神=ヤハウェ』の力を取り込むことで自身も『絶対者』に成ろうとしていると考えられる。
・カバラ思想
ここからは本題となるカバラ思想について解説していきます。
ユダヤ人達は度重なるローマによる虐殺を受け祖国を追い出されただけではなく、ユダヤ教の聖書をパクった新興宗教がユダヤの敵であるローマの国教になり、更にその教会にも差別や弾圧を受けるという災難が続いたが、いつまで経っても聖書に預言されている神の救済が訪れなかったので、なぜ神が現れないのかを解き明かすために、神の存在証明をするために研究されはじめたのが『カバラ思想』。
カバラ思想には元となる三大経典があり形成の書、光明の書、光輝の書がある。
最も重要なのがユダヤ人の祖先であり最初にヤハウェと契約をしたアブラハムの著作とされる『形成の書』で、そこには神が10の数字と22の文字、これら32の知恵をもって宇宙を創造したと書かれており、この考えを元に神が行った世界の創造の順番を図式化した物がセフィロトの樹。
・セフィロトの樹
ここからはセフィロトの樹の図式について解説していく。
まず世界の始まりには無を意味する『アイン』だけがあり、次に無限の『アイン・ソフ』が生まれ、そこに神の光である『アイン・ソフ・オウル』だけがあったとされる。
そして神は世界を創造するにあたってまず神の光である『アイン・ソフ・オウル』を《収縮(ツィムツム)》させ、無限の領域から流出した光が第一のセフィラであるケテルが形成された。
そこから光を受け取る器となる10のセフィラが創造され、最終的に最後のセフィラである『マルクト』に光が注がれ物質世界が誕生したとされる。
簡単に説明すると神がビックバンが起こして、最初は霊界が出来て最後に物質世界のマルクトが生まれた、というのが世界創造の順番になる。
セフィロトの樹には11個目の円であるダートが描かれているが、これは10個のセフィラが統合されたものであり、セフィラではない。
なので作中には関係がない要素かもしれない。
作中ではセフィロトの樹の複雑な設定を短略化させて、単純に“10のセフィラを用意して最終的にマルクトが誕生すれば神の実在証明ができる”程度の模倣しかしていないと思われる。
不明な点が存在しており、
セフィロトの図解には様々なパターンが存在するがパスは原則22本存在するのだが、ヒマリが最初に出した図解には21本しか描かれていない。
更に調査データの方では17本しか書かれていない。
意図的にパスを少なく描かれているが、その理由は不明。
強いて言うならこの図式は不完全なモノとしか言えない。
カバラ思想の創始者であるイツハク・ルリア曰く、セフィロトの樹は世界の完成図であるが、神は未だ世界創造を完成させておらず、だから世界の終焉も救済も訪れないと言っている。
故にこの不完全な図解は”まだ神が現れていない”ことを示唆しているのではないかと考察した。
・『アイン・ソフ・オウル』
『アイン・ソフ・オウル』とは“世界を創造する前の神”であり、全てのセフィラの元となる存在。
その名を持つ3人の娘たちはマルクトを生み出す存在であるが、ヘイローを有していないことから『神秘』などの崇高さを持っていない存在。
彼女達の見た目は日本で馴染のある”見猿聞か猿言わ猿”で知られる『三猿』を彷彿させる。
『三猿』は世界各国に存在し、発祥はエジプトのメンフィス神学の「悪しきことを、見ず、聞かず、話さず」という教義が元という仮説があり、このメンフィス神学は唯一神の世界創造論の元になっているという点で結びつく。
他に考えられる理由としては、神秘的合一という概念が関係しているかもしれない。
神秘的合一とは絶対者と同一化することを言い、デカグラマトンやベアトリーチェがしようとしている事。
ベアトリーチェは色彩という絶対者と神秘的合一をしようとしていましたが、触媒となるアツコに“喋ってはならない”という掟と仮面を被せていたが、これは神秘的合一をするために必要な観想〈テオリア〉という儀式に当て嵌まる。
神秘的合一〈unio mystica〉という概念は『目や口を閉じる』という意味の〈myein〉という言葉から来ており、これを実践したのが観想〈テオリア〉です。
つまり『アイン・ソフ・オウル』の目隠しなどはアツコの仮面と同じで、絶対者と同一するために必要な観想〈テオリア〉を体現したものではないかと考えた。
『炎の剣』と『知恵の蛇』
最後にサブタイトルになっている『炎の剣』と『知恵の蛇』について解説。
『炎の剣』はエデンの園にある生命の樹を天使のケルビムと共に守ってる存在で、その見た目は雷のようと書かれています。
カバラ思想ではアイン・ソフから流出した光がケテルからマルクトまで降りていく線を『炎の剣の道』と言います。
『知恵の蛇』はエデンの園でイブを唆し知恵の実を食べさせた蛇で、サタンであるとされている存在。
カバラでは最後のマルクトと最初のケテルを結ぶ様に描かれており、マルクトとケテルが同一的なものであるのを示している。
蛇と言えばビナーくんを思い浮かべるが、説明では“鯨と蛇が混ざった姿”と書かれているが、これは旧約聖書に出てくる最強の存在リヴァイアサンの特徴と同じ。
リヴァイアサンは蛇のようであることからエデンの園の蛇と同一と考えられる事もあるので、ビナーくんがマルクトとケテルを結ぶ『知恵の蛇』の役割を持っているかもしれない。
では今回の考察は以上で終わります。
残す預言者は4体となりデカグラマトン編も中盤に差し掛かかり、名もなき神も話に関わってきたので、物語も大きく動き出しそうで今後の展開が楽しみである。