【リバース1999】6章『星は光りぬ』を史実で解き明かす考察
今回は1914年のウィーンを舞台にした6章『星は光りぬ』の解説と考察をやってまいります。
ではまず簡単なあらすじのおさらいからしておきます。
物語はホフマンとマーカスの二人の視点で語られ、二人はマヌス・ヴェンデッタが使用しているストーム免疫の奪取を目的としてウィーンに派遣されました。
そして物語の重要となる存在が4人登場していきます。
まずはカカニアですが彼女は『魔の輪』というウィーンの新しい思想の元立ち上げられた分離派の設立者でした。
そしてその同志となるハインリヒは元々は1912年の人間でしたが、レグルスと出会う前のストーム、つまり6回目のストームの時にマヌス・ヴェンデッタに接触し、2回のストームをしのいだ後1914年に戻ってきました。
彼はWW1が起こることを知っていたため、人々が非業の死を遂げる前にストームを起そうとしておりました。
そして物語の中心人物であるイゾルデについてです。
彼女はヒステリー症状や記憶障害など患っており、兄の自殺を苦しんでいたと思われておりましたが、実は兄のテオフィルはマヌスヴェンデッタからストームの存在を聞かされており、絶望して焼身自殺しようとしていたところを、イゾルデが彼の死を手伝い殺していたというのが事の真実でした。
テオフィルは生前に黄金の島を表したとされる『救い』という作品を書いていましたが、これは彼がストームの存在に絶望して書き残したもので、絵画に描かれた円はマヌス・ヴェンデッタが使用していた魔術であった。
というのがだいたいのあらすじとなります。
ではここからは舞台となった1914年のウィーンはどういう世界で、6章の物語と史実はどういう繋がりがあるのかを解説をしていきます。
1914年のウィーンは『世紀末ウィーン』や『陽気な黙示録』と形容されており、その名の通りウィーンが最も栄えた黄金時代でありながらも、世界を混沌に巻き込んだ暗黒時代の始まりでもありました。
20世紀前後のオーストリア=ハンガリー帝国は、一人の君主がオーストリア皇帝とハンガリー国王を担う二重君主制の体制を取っており、当時の社会情勢はかなり不安定でロシアをはじめ隣国とは鎧袖一触の緊張状態で、内部では移民問題や差別問題が激化し、多くのデモや暴動が起こりました。
しかしながらブルジョワジー階級は政治に無関心で、昼はカフェで談笑し夜はオペラを享受しておりました。
当時のウィーンの文化を築いたのは9割がユダヤ人と言われており、ウィーン黄金時代の名を象徴する黄金様式の画家グスタフ・クリムト、そして黄金の声と称賛された舞台女優のサラ・ベルナール、そして心理学の第1人者であるジークムント・フロイトなど、20世紀初頭のウィーンを代表する偉人は殆どがユダヤ人でした。
つまるところ当時のウィーンは、2000年間差別と排斥されてきたユダヤ人にとって最も栄え、民族性を主張できた時代でもありました。
しかし1914年6月28日にセルビア人の青年がオーストリアの大公を暗殺したことでオーストリア=ハンガリー帝国とセルビアの戦争に発展し、更には世界を巻き込んだ黙示録、第1次世界大戦が行われました。
この戦争の後、オーストリア=ハンガリー帝国は終焉し、ウィーンの文化を築いたユダヤ人達の差別も強まり、ホロコーストやパレスチナ問題などの悲劇が始まるのでした。
ではここから史実と物語の類似点を上げていきます。
まずはカカニアが立ち上げた『魔の輪』についてです。
『魔の輪』はカカニアとそのコーヒ好きの友人たちで作った組織で、アルカニストの境遇改善を目的とした芸術運動組織でした。
この『魔の輪』は実在した組織の『青年ウィーン』という文学サークルをモチーフにされていると考えられます。
『青年ウィーン』はコーヒ好きがカフェで集って結成した組織で、文芸サークルではありながらも政治に対して批判的な組織でありました。
また『青年ウィーン』の設立者のアーサー・シュニッツラーはフロイト派の心理学者で心理劇という即興で劇を演じる心理学療法を行っていました。
これらのことから組織の成り立ちが同じだったり、設立者の特徴も『カカニア』の経歴とかなり酷似していると言えます。
続いては『魔の輪』と密接な関係にあった『セセッション館』のメンバー達についてです。
『セセッション館』とは実在する建物で『ウィーン分離派会館』とも呼ばれる建物です。
『ウィーン分離派』とはそもそも何かと説明していくと、芸術都市ウィーンを象徴する画家である『グスタフ・クリムト』が結成した組織で、伝統的な芸術を重んじる旧体制を批判し、新しい芸術の開拓を目的として活動しており、芸術運動の『アール・ヌーヴォ』と密接な関係がある。
『セセッション館』にはクリムトの作品が多く飾られ、中でも有名な『ベートベン・フリーズ』や『生命の樹』も作中に出てきているが、若干の違いが在る。
そして物語の重要なキーアイテムである『救い』の絵はクリムトの代表作である『黄金のアデーレ』に描かれた記号とほぼ一致しており、『救い』の絵もよく見れば女性の四肢を黄金の円が塗りつぶしているかのように見えます。
このことから『救い』を描いたイゾルデの兄であるテオフィルは、史実のクリムトと同じ様な存在であったと考えることが出来ます。
次にイゾルデのモチーフを考えていきますが、彼女はウィーンで一番のオペラ女優として評されていましたが、史実で該当するのがサラ・ベルナールという舞台女優です。
彼女は黄金の声と評さた世界的女優で、新しい芸術を意味するアール・ヌーヴォという芸術運動を象徴する中心的な人物でした。
イゾルデとの類似点は巻き毛の黒髪や有名女優という点、またイゾルデと関連性の高いサロメもトスカといった劇も、もともとはベルナールのために作られた作品であることから、イゾルデのモチーフはサラ・ベルナールと考えました。
ここまでの話を要約すると、主要キャラクターのモチーフになっている存在は全てユダヤ人であり芸術運動の中心的な人物であることがわかります。
新しい芸術を目的とした『アールヌーヴォ』と伝統から離れるという『ウィーン分離派』が精神的に密接的な運動である事から、それらの組織の象徴であるイゾルデとテオフィルは兄妹の関係になったのだと考えられます。
ここからは物語の本質について考察をしていきます。
物語の重点となるのが、イゾルデが発言したアルカニストの国を創るという思想です。
元を辿ればアルカニストが平和を享受できる世界を作るというマーカスの発言とカカニアの思想を曲解して、イゾルデはアルカニストの国創りという発想に至ったわけですが、この思想を史実に当て嵌めると『シオニズム』に該当すると考えられます。
シオニズムとはウィーンの思想家のテオドール・ヘルツルが1896年に出版した『ユダヤ人国家』という本に書かれた内容が大きな要因となっており、その本の内容とは、古代から続くユダヤ人の差別問題と独立をテーマにしておりました。
そしてこのシオニズム思想は次第にユダヤ人の故郷であるパレスチナに独立国家を創ろうという運動が生まれ、WW1後にイギリスの助力の元パレスチナに多くのユダヤ人が移民することになりましたが、このときのイギリスの『三毎舌外交』によりパレスチナでは現在もアラブ人とユダヤ人が争い合っております。
また重要な要素である『救い』の絵画のモチーフとなったクリムトの『黄金のアデーレ』もユダヤ人問題と大きな関係があり、元々はユダヤ人女性のアデーレ婦人を描いた肖像画でオーストリアの国宝としての価値がありました。
しかしながらWW2時にナチスに強奪され、ユダヤ人要素を消すために絵の名前も『黄金の貴婦人』と変名されました。
このことから『黄金のアデーレ』はユダヤ人問題に大きく関与している作品としても知られています。
要約すると今回の6章は古代から現在まで脈々と続くユダヤ人問題が主題になっていると考えられます。
そしてウィーンで差別されている神秘学者がユダヤ人であると考えると、イゾルデの新しい国創りの思想によって生まれたデモは、史実の20世紀初頭のウィーンで起こったシオニズム運動が元になっていると考えられます。
当時のウィーンではユダヤ人は政治的に冷遇は受けていましたが、オペラや絵画などの芸術や医学などの文明はユダヤ人によって作られていました。
よってこの時代のユダヤ人は差別に抗える力を持っていたためユダヤ人の独立運動に繋がっていきました。
イゾルデの歪んだ思想も彼女がユダヤ人のように排斥されてきた存在であったと考えると、彼女に対する見方もかわるかもしれません
今回の解説は以上で終わります。