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【プロジェクトKV】仏教思想で解き明かすキャラクター考察


今回は9/1に発表されたPVを元に世界観や生徒について仏教の思想に当て嵌めて考察していきます。


まずやはり気になるのが生徒の頭に付いているヘイr……光輪です。
光輪については最初のPVで解説されていましたが、仏教において光輪とは仏の体から発する光であり、仏の煩悩を砕く慈悲の光、仏の説法を象徴化したものです。

では何故人の身である生徒がこの光輪を宿しているのかを考えると『仏性』が関係していると思われます。

大乗仏教の『涅槃経』では『一切衆生 悉有仏性』という経文があり、これは「生きとし生けるもの、あるいは森羅万象の全てが“仏になれる可能性”を持っている」という意味です。
  

つまりこの“仏になれる可能性”を『仏性』と云い、修行者はこの『仏性』を開発する事によって成仏に到れるとされ、この考えを『如来蔵思想』と言います。

如来蔵思想』では人は本来を仏そのものであるが、煩悩に塗れているため自身の仏性に気づけていないという考えなのですが、これらの話から最初のPVに出てきた文章が『如来蔵思想』や『悉有仏性』のことを述べていると考えることができます。
(※仏性の存在の有無については宗派によって変わる)

つまり生徒の光輪はこの『仏性』を表しているものであると考えられわけですが、isakusan原案であれば、生徒には菩薩や如来などのそれぞれ異なる仏性が宿っているのではないかと考えられるので、生徒の名前から彼女たちの仏性を考察してみようと思います。




ではまずは学園寮の『湯の岡』についての考察していきます。

『湯の岡』は学寮都市カピラにある寮の一つで、温泉宿を修復した寮で露天温泉が隠されているようです。

仏教と温泉については結構繋がりがあり、釈迦が弟子たちに沐浴の功徳を説いた『温室経』というものがあります。
この仏教の『温室経』と神道の『禊』が日本人の風呂文化に強い影響を与えたという考えもあります。

『湯の岡』の寮生の一人である『小一こはね』という少女についての考察をして参ります。

彼女の名字に付いている『』という漢字は高貴な女性につけられるあざなだったらしいですが、主にこの字が充てがわれる存在はただひとつ、日本神話を代表する神『天照大御神』です。

アマテラスには大日孁と言う呼び名があり、こはねの名字に似ております。
アマテラスは神々が住まう高天原を統べる存在であり、多くの神話にも登場しており日本の象徴とも言える神です。
そして日本の神を仏教の仏と同一視する神仏習合という思想では、同じく太陽に纏わる存在である『大日如来』と同一視されました。

『大日如来』は密教における最高位の仏で、空海によって布教されていきました。
そして空海が開基した修善寺では大日如来が祀られており、修善寺には空海が独鈷杵という武器で岩を砕きそこから温泉が湧き出たとされる『独鈷の湯』 があります。

ここで「こはね」と関連のある『温泉』と結びつくことから、こはねの仏性は『大日如来』ではないかと考えました。




続いては陰陽師の養成所となる『裏の官』についてです。
元ネタは飛鳥時代から存在していた『陰陽寮』または『うらのつかさ』と呼ばれる政府直属の学術機関の事で、陰陽師や占星術師、そして歴史学者などが史料の編纂を行っていました。

そしてその『裏の官』に所属する寮生がクズノハ……

ではなく葛の葉れいについて考察をしていきます。

彼女は陰陽術に長けた生徒で『葛ノ葉』という名前からしてやはり、最も有名な陰陽師 安倍晴明の母親とされる白い狐『葛ノ葉』がそのまま関係しているでしょう。
葛の葉伝説は室町時代に作られた話で、安倍晴明が書いた金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)を元に作られました。
おそらくこれは清明の神秘さを強調するために作られた話ではありますが、『葛ノ葉』の正体についてその後様々な解釈が付け加えられ、白い狐だったということから『稲荷大明神の使い』であったとされ崇められるようになりました。
そして稲荷大明神もまた神仏習合では、白い狐に乗ったインドの女神『荼枳尼天』と同一視されるようになりました。

これらのことから『葛ノ葉れい』の仏性は『荼枳尼天』ではないかと考えました。



続いてはカピラ最大の寮である『心技館』についてです。
名前からして武道における『心技体』が元になっているわけですが、武道というのはそもそも殺傷術の武術と仏教の禅が組み合わさったものであり、『心技体』も仏教における三密という教義が反映されていると考えられています。


そして『心技館』の生徒の『葦原津守こいと』についてですが、彼女の名字は高天原と黄泉の国の間にある国『葦原中津國』から取られていると思われます。

『葦原中国(葦原中津國)』は言ってしまえば人間界であり、日本の地の事を指し、具体的には出雲のことです。
『葦原中国』は無論日本神話の舞台であり、『大国主神の国造り』やその続編の『葦原中国平定』またヤマタノオロチ退治など多くの伝説の舞台です。

その葦原中国を創ったのが大国主神です。
謂わば日本の地の最初の統治者でしたがアマテラスから自分の国を取られてしまったという不憫な神様です。
そんな大国主は神仏習合では大黒天と同一視されました。
大黒天はインドの破壊神であるシヴァであり、カラリパヤットというインド武術の祖であることから『心技館』と関連在るのではないかと考えました。

これらのことから『葦原津守こいと』の仏性は大黒天ではないかと考察しました



最後に解説するのは『万葉秀』についてです。
寮の名前はそのまま『万葉集』が元ネタでしょう。
文学と仏教も繋がりが強く、徒然草や平家物語などその時代の仏教感を読み解くことが出来ます。


そして『万葉秀』の生徒の『糸此上かおる』についてですが、彼女の名字から連想されるワードは『紫の上』です。
『紫の上』は紫式部が書いた『源氏物語』の登場人物で、紫式部という通称も『紫の上』から取られているのではないかという説があります。

そんな紫式部と仏教の関連性ですが、紫式部は熱心な仏教徒で出家するほどでした。
しかしながら物語を創る行為は仏教における不妄語戒という禁に当たるとして、紫式部は地獄に落ちたという通説が流行りました。
そんな紫式部を供養しようと作られた「源氏供養」という能の原題となった物語があり、その話では霊となった紫式部が現れ供養された後、紫式部の正体は『観音菩薩』であったというあらすじになっております。

このことから『糸此上かおる』の仏性は『観音菩薩』ではないかと考えました。



以上で今回の考察を終わります。

今回は仏性の話を中心にしましたが、仏性は仏教の思想でありながら、仏教では異端思想とされる考えであり、しかしながら元を辿れば起源であるインド哲学の本質的な思想であったりと、仏教において『仏性=アートマン』は釈迦の時代から論争が耐えない議題であり、この問題をどのようにKVでは描いていくのか個人的には楽しみなところです。


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