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”人の目を気にしすぎてしまう”の真の解決方みつけてもーた

10歳の頃には町の図書館の心理学の本を片っ端から読むのが楽しみだった。二宮金次郎とあだ名を付けられたこともあったな…。

そんな、しろさわ たきです。今日は元気です。

タイトルの通り、”人の目を気にしすぎてしまう”ことについて最近考えていた。
インターネットで検索すれば精神科医やら、ブッダの考え方やら、頭がキレるのを売りにしているYouTuberやらが色んなことを言っている。

聞いてみればどれも確かに「うんうん、だよね~」と思う。しかもみんな同じようなことを言っている。

「人のことを考えるのをやめること」
「嫌われても構わないと思うこと」
「時間の無駄になる」
「人生の幸福度が下がる」

色んな方面の人がそうやって言うんだからおそらく真理なんだろう。
でもなんだか腑に落ちない。

人のことを考えるのは時間の無駄だからやめましょう、と言われて「オッケ~☆」ってやめられる奴はそもそもそんなに悩んでないんだよな。
そんなことしてると人生の幸福度が下がるよ?研究で証明されてるんだよ?とか、もはや脅しである。

そう、それで色々考えた。まず一般的に思われている原因にはざっくり2つあって、以下の通り。

・自分を良く思ってもらいたいから
・人の考えていることが自然に分かるから

自分を良く思ってもらいたい。のは人間として思っちゃうよね?

人の考えていることが自然に分かるっていうのは、めっちゃ人を観察してるからだよね。無意識に。呼吸のように。
「言わなきゃわかんないよ」っていう言葉があるけど、こういう人たちは思ってる。「言わなくてもわかってるよ」(こうやって書いたらちょっと怖くなっちゃったよ)

それだけでまあしんどくなるのに、それを加速させて本当にしんどくさせる原因はこれだと思う。

・頭の回転が速すぎるから

もう常に考えてる人とかこれだと思う。全部自分のなかで辻褄があっていっちゃう。
頭の中がブンブン高速回転してるから、考えが四方八方に飛んでいく。悩みが増える。

頭の回転が速いっていうのはいいことのように聞こえるけど、ようは「軽い」ってこと。
と、岡田斗司夫というおじさんが言っていたのがずっと頭に残っていて、今回のことについて、それやん!ってはっとした。
もはや悩みのほとんどの原因がこれなのかもしれない。

考えるのは止められない。わたしにとって生きることは考えること。(なんかカッコよくなっちゃった)
それなら考えるスピードを落として「重く」「深く」してみたらどうなるかな。

重く受け止めるって意味じゃなくてね。
端的に言えばじっくりやるってこと。

あの発言の真の理由に辿りついてやるぞ…、そもそもあの人の労働環境って…、そもそも人間の性質として…、みたいなテンションで考えるのに取り組んでみる。

そしたらだいたいのことって「そこまでして考えたいことじゃねえや」ってなっちゃう。めんどいから。
何回かやっていたら人のことついて考えようとか思うこと自体に、だるいわ~と思うようになってきた。

「人のことを考えるのをやめること」
「嫌われても構わないと思うこと」
「時間の無駄になる」
「人生の幸福度が下がる」

とブンブン高速回転で考えるより

「めんどい」
「だるい」

このパンチが効くと思う。

重く、深く、考える価値があることだけ考えて生きていったらいいのかもな。

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