1-1深夜ラジオの話ー浦島太郎とは何者か
「noteをはじめる」
「ブログをはじめる」と言うのといまのところは同じ意味だけれども、noteをはじめるというほうがなんだかカッコいいのでそう言うと決めた。
このnoteでは普段僕が考えていることや好きなもののことを書こうと思う。
(別に普段僕が考えていないマンタの生態系の話や、嫌いなシソの話をしてもよいのだがモチベーションも上がらないので。)
深夜ラジオが好きな話
僕が学生のころ、実家のある小田原から2時間かけて通学していた。
大学のあるマサチューセッツ州までの間、東海道線の車内で毎日とりだめをした深夜ラジオか落語を聞いていた。(注1)
好きだったのは伊集院光のラジオで、彼の「深夜ラジオの王様」としての暴れ方やその毒舌ぶりには、僕がまだ若かった当時に求めがちな刺激を充分に与えてもらったのだった。
当時のポッドキャスト配信に(説明することが多くて面倒だが、ここでは深夜放送後に暇な若手芸人と本当に他愛のない話をするものと思っていただければ)いまでも忘れられないトークがある。
「浦島太郎」の教訓とは
番組で、ふとしたことから「浦島太郎」の話になった。
浦島青年がいじめられた亀をたすけて竜宮城につれていかれて、
乙姫とイチャコラしたものの村に帰ったときには800年もの時が過ぎていて
身内も一人もいなく、絶望しながら玉手箱を開けるとおじいちゃんになってしまう。
一緒に浦島太郎という話について少し考えてほしい。
(どうしても今は「猿の惑星」が見たいというのなら止めない。ネタバレになるが、なんとあそこは地球だ。)
浦島太郎の教訓とはなんだろう。
①弱いものいじめをしてはいけない。
→これは違いそうだ。浦島があるいていると昨日亀をいじめていた子どもたちが水死体になっていたならそうだけど。
②助けるといいことがある
→これは一見確からしい。けれど物語はバッドエンドになっていないか?
そう。この話をややこしくしているのは“玉手箱”の存在だ。
「決してあけてはいけない」という約束を破ったのは確かに浦島だが、決して開けてはいけないものを渡す乙姫にはどうしても悪意があるように思える。
若手芸人の考察を一つ一つ言い負かして、伊集院はこういうのである
「…『浦島太郎』は浦島が亀をたすけていない話なんじゃないかと思う」
浦島青年は浜辺を歩いていて、少年たちが亀をいじめる現場を見た。
助けるべきなのだろうが勇気が出ずに、見て見ぬふりをしてその場をあとにする。
「助ければよかったなー」とは思うのだけれど助けてはいない。
その時助ける亀をたすけることができなかった後悔を永遠とし続ける。
時は過ぎて、浦島はじじいになって、
まあまあしょっぱい人生を歩んでいて、回顧をしつつ妄想に明け暮れるのである。
「あの時亀をたすけていれば」「竜宮城ではタイやヒラメがカレイにおどり」「乙姫と毎日イチャコラして」(注2)
そして最後に乙姫からもらった土産物をあけて、妄想を終える。あーあ。あの時亀を助けていれば…と
ハッ…と夢想から目を覚めすと、浦島はただのじじいなのである。
「浦島太郎で作者が伝えたかった事」でこれが正解だとはおもわないけれど、
当時の自分にこの解釈はめちゃくちゃ刺さった。
なるほど、人生は選択の連続である。
「勉強をもう少し頑張って志望校に受かっていれば、今ごろ…」だとか
「ちょっといい感じだった好きな女の子にちゃんと告白できていれば今ごろ…」
自分が将来しょっぱいじじいになるのは変えられないかもしれないが、
助けられる亀ぐらいは助けてみようとは思うようになった。
竜宮城に夢見るじじいにはならないといいなと思う。
(注1)マサチューセッツ州の大学に行っていたというのはうそです。ごめんなさい。
(注2)「タイやヒラメが華麗な舞」を「タイやヒラメがカレイな舞」と誤変換したもの。ダジャレぽくてオシャレだったので残した。
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