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リンネの目 6.5『鈴音と美鈴③』

 リビングでテレビの音が響いている。耳障りな笑い声に鈴音は眉を寄せた。キッチンからそちらへ移動してみると、美鈴はソファに仰向けになって右腕を顔に乗せていた。眠っているのだろうか。鈴音はリモコンを手に取ると報道番組にチャンネルを変え、音量を少し下げる。そのとき小さな唸り声が聞こえた。
「起きてた?」
 声をかけると彼女はそのままの状態でわずかに頷く。
「そんなに疲れてたんなら、早く言えばよかったんだよ。無理しないでさ」
「んー。頭いたい」
「頭痛薬、飲む?」
 飲まない、と力ない声が答えた。
「寝れば治るよ」
「夕飯は?」
「いらない……」
 鈴音はため息をついてソファの端に座ると美鈴の頭を撫でた。サラサラの髪を指ですくう。
「やっぱり人探しは負担が大きいみたいだね」
「んー。さすがに情報量が多いから」
 美鈴は深く息を吐き出した。普通に人の気配を追うだけでも絶えず記憶が送られてくるのだ。さらに今回は意思が残った目を追っている。そういった目には負の意思が多い。それを拾うたびに、美鈴の精神は毒されているに違いない。
「明日からは少し情報をセーブした方がいいよ」
 すると美鈴はゆっくりと右腕を下ろした。仰向けのまま、視線だけが鈴音に向く。
「そんな器用なことできないよ」
「だよね」
 鈴音が微笑むと美鈴も笑った。それに、と彼女は続ける。
「ちゃんと見つけてあげたいんだ」
「どうして? 赤の他人だよ」
「だって、沙歩ちゃんが可哀相でしょ。知らない間に目に憑かれて、いいように操られて――」
 言って、彼女は深く息を吐き出した。
「でも正直に言うと、一番の理由は自分のためかな」
「自分のため?」
 美鈴は頷いた。
「今まではさ、目に憑かれてる人を見ても関わらないようにしてたでしょ。目は怖いから」
「そうだね。僕はそれでいいと思うよ」
 わざわざ自ら毒を受けにいくことはない。でもね、と美鈴は言う。
「わたしが見て見ぬ振りをしたせいで死んでしまった人もいるかもしれない。そして人に憑く目が新しく生まれたかもしれない。それがまた別の人に憑いて――。そう思ったりしない?」
 思わないよ、と鈴音は答えた。そんなことは思うだけ無駄だ。毎日、たくさんの人が死んでいるし、たくさんの人が目を残す。誰か一人を助けたところで何も変わらない。そう言うと美鈴は小さく笑った。
「鈴音は真面目なことしか言わないなぁ。まあ、要するに、わたしは自己満足したいのよ。誰かを助けて感謝されたいの」
 それが自己満足だと、鈴音は思わなかった。美鈴の気持ちはわかっている。彼女は確認したいのだ。自分の存在を。自分の記憶を。自分が自分であることを。誰かに感謝されることによって、自分が存在しているのだと。五年前から、ずっと。
 鈴音は無言で美鈴の頭を撫でてやる。彼女は不思議そうにこちらを見た。そのとき、鈴音の鞄から着信音が聞こえた。
「あ、マッキーだね」
 美鈴の嬉しそうな声を聞きながらスマホを取り出す。着信相手は彼女の言う通りだった。
「あ、こんばんは。槙です」
 スマホを耳にあてると緊張したような声が聞こえた。
「事件についてわかりましたか?」
「はい。どうやら死んでいた二人は県の端に位置する小さな街から越してきた兄弟だったらしいです。事件の詳しい原因は二人とも死亡していたのではっきりとはわかりませんが、どうやら女性関係について揉めていたらしいですね」
「女性関係ですか」
 ふと気づくと美鈴が起き上がってじっとこちらを見ていた。鈴音はテレビを消し、通話をスピーカーにしてテーブルに置く。
「はい。当時の捜査では二人の故郷で兄弟の関係について話を聞いたらしいんですが……」
 槙は一度言葉を切った。情報を確認しているのだろう。少し間を置いてから再び話し始める。
「えー、二人の氏名は兼村遼太郎、弟は浩介。遼太郎はこちらの街で就職をしたため、故郷を離れて一人暮らしをしていました。彼には故郷に婚約者がいたようです。婚約者の名は吉瀬春花。しかし、その婚約者を弟に取られてしまい、そのことが原因で仲違いをしていたそうです」
「なるほどー。それで勢い余ってお互いを殺しちゃったってことね」
 美鈴が納得顔で頷く。あれ、と不思議そうに槙の声が言った。
「美鈴さんもいるんですか」
「はい。スピーカーにしてます」
「ああ、なるほど。美鈴さん、具合は大丈夫ですか」
「うん。寝れば治るよ」
「ということは、大丈夫じゃないんですね……。本当に無理をさせてしまって申し訳ありませんでした。明日からは俺も気をつけますから」
 何に気をつけるというのだろうか。沙歩を探すために美鈴の力が必要であるというのに。鈴音は小さく息を吐いた。そんな鈴音の様子に気づくわけもなく、槙の声は続けた。
「俺は明日、この兄弟の実家に行ってみようと思うんです」
「実家に?」
「はい。沙歩ちゃんに憑いた目が兄弟のどちらかのものなら、もしかしたら婚約者に会いに行ったんじゃないかと思いまして」
 なるほど。たしかにその可能性もあるだろう。しかし、学校帰りの小学生がそこまでの交通費を持っていたのか疑問に思う。そう言うと槙は少し声を落とした。
「じつはあのアパート近辺でこの一週間、何か事件がなかったか調べてみたんです。手がかりがあるかもしれないと思いまして。そうしたら、近くでひったくりが一件ありました」
「ひったくり、ですか」
「ええ。しかも、目撃者によると犯人は子供だったと」
「子供だったのに捕まらなかったんですか」
 そうなんです、と槙は深刻そうな声で言った。
「うまくどこかに隠れて逃げたみたいで」
「それが彼女であると?」
「おそらく……。顔までは確認できていないようですが、年恰好が彼女と一致しているので。ちなみに、ひったくられたバッグはすぐ近くで発見されました。現金だけ抜き取られたようですね」
 ひったくりですか、と鈴音はもう一度呟きながら美鈴を見た。美鈴も少し眉を寄せていた。
「何か?」
「いえ、別に。だけど、県境まで行って探すとなると日帰りでは難しそうですが。すぐに見つかるとも限りませんし」
「そうですね。だから今回は俺一人で行ってこようかと。明日は公休なので連休になるように有給をとりました」
 そうですか、と鈴音は頷く。一人で行くというのならそれで構わない。そう思ってから、これがさっき言っていた彼なりに気を遣ったということなのだろうかと気づく。しかし、きっと美鈴はそれを受け入れないだろう。その予想通り、美鈴が「えー」と不満そうな声をあげた。
「わたしたちも行く。マッキーだけ一泊旅行とかずるいよ」
「い、いやしかし、美鈴さんは体調が。それに明後日は月曜ですから学校も――」
「だから、寝れば治るんだってば。明日わたしたちも行く! 行くよね、鈴音」
「学校は?」
「一日くらい休んでも大丈夫だって。よし、そうと決まれば準備しなくちゃ」
「美鈴、具合は――」
 鈴音が声をかける前に彼女は白い顔のままフラフラと部屋を出て行ってしまった。
「あの、美鈴さんは……?」
 テーブルに置いたスマホから槙の声が聞こえた。鈴音はスピーカーをオフにしてそれを耳に当てる。
「行く気みたいですね」
「いいんでしょうか」
「本人が行くって言うんだから、いいんじゃないですか。……待ち合わせはどうしますか」
 鈴音は待ち合わせの時間と場所を決めると通話を切った。美鈴の部屋でドタバタと音が聞こえる。
「ねー、鈴音。旅行鞄がないんだけど」
「それより薬、ちゃんと飲んだ? 倒れても知らないよ。ああ、でもその前に何か食べないと」
 鈴音は言いながら、慌しく明日の準備を始めた。

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