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リンネの目 ④『憑く目』

 槙は手帳を片手に街を彷徨っていた。昨日、別れ際に鈴音から指示を出されたのだ。あの場所で起きた事件、その犯人の自宅周辺で沙歩の姿を見なかったか聞き込め、と。理由を聞いても曖昧に答えるだけで詳しいことはわからない。それでも彼女たちに依頼した以上、できることはしなくてはと思う。
「……ここだな」
 口の中で呟きながらアパートを見上げる。この一階右端の部屋に、犯人である惣付潤が住んでいたらしい。あれから住人が入っていないのか、その部屋の窓にはカーテンも掛かっていない。周りを見渡してみるが、平日の昼間という時間帯のせいか人の姿は少なかった。その少ない人通りの中、懸命に聞き込みをするが沙歩を見たという者はいない。普通に考えれば当然なのだ。惣付のアパートは沙歩がいたとされる場所から距離がある。彼女の自宅の近くでもなければ、通っている小学校の近くでもない。この場所は沙歩と繋がるような場所ではないのだ。
「あ、この子……」
 半ば諦めながら買い物帰りの女に沙歩の写真を見せると、彼女は眉を上げた。
「見覚えが?」
 思わず声が大きくなる。女は驚いたように目を丸くしつつ頷いた。
「ええ。先週でしたか、この辺を歩いてたんです。平日の朝なのに妙だなと思ったので、印象に残ってて」
「どんな様子でしたか。彼女は一人で?」
 女は思い出すように視線を上げると首をかしげた。
「様子は、別に普通でしたよ。一人で散歩でもしているようにあっちの方へ歩いていきました」
 言って彼女は道の先を指差した。槙はそちらに目を向ける。狭い車道の先に信号が見える。交差点の向こうは目抜き通りだ。
「先週のいつ頃だったか覚えておられますか」
 女は眉を寄せて考えながら「たぶん、水曜か木曜くらいじゃなかったかと」と言った。
「そうですか」
 ありがとうございます、と頭を下げると女は会釈しながら去って行った。槙は交差点に視線を向ける。信号が変わったばかりなのか、車が一斉に通り抜けていくのが見えた。沙歩はあまり所持金がないはずだと母親は言っていた。それでもバスくらいには乗れるだろう。槙は考えながら携帯電話を取り出し、教えてもらった鈴音のアドレスにメールを打ち始めた。

 一度仕事に戻り、定時に上がった槙は急いで惣付のアパートへ向かう。アパートの前には二人の少女の姿があった。
「あ、やっと来た」
 槙の姿に気づいた美鈴がパッと笑みを浮かべた。鈴音はブレザーのポケットに両手を入れて面倒くさそうに振り向く。
「すみません。待ちましたか?」
「待ってないよ」
「待ちました」
 双子が同時に答え、槙は苦笑いを浮かべた。すみません、ともう一度謝ってからアパートに目を向ける。
「そこが昨日言っていた事件の犯人、惣付潤が住んでいたアパートです。一階の右端の部屋ですね」
 すると二人はそろって背伸びをしてバルコニーから中を覗く。
「誰も住んでないんだね」
「そりゃ、自殺した殺人者が住んでた部屋だよ。肝試しなら行くけど、住むなら僕だってご免だよ」
 鈴音は眉を寄せてから槙を振り返った。
「それで、ちゃんと調べてくれましたか」
「あ、はい。周辺で聞き込みをしたところ、先週この辺りで沙歩ちゃんの姿を見かけた人がいました」
 すると双子は複雑そうな表情で顔を見合わせた。驚いたという様子ではない。
「あの、どうしてここで彼女の目撃情報があると思ったんですか? ここは彼女の行動範囲の外なのに。いや、実際に目撃されていたわけですから、そうとも言い切れないのかもしれませんが」
 それでも、彼女がここに来たという根拠がなければ鈴音も聞き込みをしろという指示は出さないだろう。何か、ここと沙歩を繋ぐものがあったのだろうか。鈴音はアパートに目を向けると小さく息を吐いた。
「目は稀に人に取り憑く。昨日、僕がそう言ったのを覚えていますか」
 彼女は言いながらこちらへ顔を向けた。槙は頷く。
「意味はよくわかりませんでしたけど」
「人は目を落としたとき、ほんの一瞬ですが空洞ができるんです」
「目があった場所に?」
 鈴音は頷いた。
「特異な目は、その空洞に入り込むことがあります。一瞬の隙に」
 それはつまり、落とした記憶の代わりに他人の記憶が入り込む、ということだろうか。
「そうなると、どういうことに?」
「他人の目が入るとね、その人を操るんだよ」
 そう答えたのは鈴音ではなく美鈴だった。彼女はアパートの壁に背をもたれて立っている。
「目が人を……? だけど、それは記憶なんですよね。意思を持っているわけじゃないのに」
「もちろん、普通の目にそんな心配はありません。問題なのは」
 人の意思が込められた目なんです、と鈴音は言った。その特異な目とは、昨日彼女が言っていたような予期せず死んでしまった者が残した目を指すのだろう。そのような目は持ち主の分身と同じだと、彼女は言っていた。
「つまり、その特異な目が入ってしまうと別人格になる、ということでしょうか」
「まあ、簡単に言えばそうです。目に込められた意思が人を操る。そして今回もその可能性があります」
「そんな!」
 声が周囲に響き、思わず口を閉じた。鈴音はうるさそうに片方の耳を手で押さえている。
「だから聞き込みを頼んだんですよ。もしそうだったら記憶の主を探さなきゃならない。憑かれた人間は気配も変わってしまいますからね。最近、あの場で死んだ人間は二人。犯人か、またはその友人。ここに彼女が来ていなければその友人のところを探してもらうつもりでした。だけど、彼女はここに来ていた」
「では、たまたまあの場で目を落としてしまった彼女に、偶然にもそこに落ちていた惣付の目が憑いてしまったと?」
 鈴音はじっと槙を見つめたかと思うと、小さく肩を竦めた。
「それを調べてるんですよ。まあ、美鈴が見た記憶と現状からすると、その可能性がかなり高いですが」
 言いながら彼女は美鈴を見る。問うような鈴音の視線に美鈴は笑顔で頷いた。
「バッチリ。ポチが気配をキャッチしました!」
 まるでゲームでヒントを得たように彼女は言うと、率先して歩き出した。鈴音が静かにその後に続く。
「気配って、沙歩ちゃんのですか?」
 惣付のですよ、と鈴音は前を向いたまま答えた。
「話してる間に美鈴がポチを空き部屋に入れてたんです。あれから誰も住んでいなかったようですから、気配も残ってたんでしょうね。そしてポチは外で彼の気配を掴んだらしいですよ」
 ますます彼女が惣付に憑かれている可能性が高くなりましたねと鈴音は他人事のように続けた。一瞬、意味がわからなかったがすぐに彼女の言葉を理解する。つまり一年も前に死んだ人間の気配が動いているということ。それを辿れば沙歩が見つかるのか。そう訊ねてみたが、鈴音はちらりとこちらを振り返っただけだった。
 美鈴は地面に視線を向け、迷う様子もなく交差点へ向かう。それは昼間に聞いた沙歩が辿った道と同じだった。目抜き通りに出ると横断歩道を渡り、さらに真っ直ぐ歩いて川に出た。街を横切るように流れる小さな川だ。美鈴は橋を渡って立ち止まり、ある場所を指差した。そこは中央公園。街で一番大きな公園だった。
「あそこが怪しい」
 美鈴はそう言うと妙に真剣な表情で足を速めた。その公園は最近、城のようなアスレチックが新設されたばかりだ。そこで子供達が楽しそうに遊んでいる。アスレチックの近くには噴水があったが、季節のせいか水は出ていなかった。美鈴はいそいそとアスレチックを登っていく。遊具の上から眺めてみるのだろうか。そう思っていると鈴音の呆れたような声が聞こえた。
「遊びたいだけなので、ほっといていいですよ」
 そう言うと彼女は園内を見回しながら歩き出す。
「えっと、止めなくてもいいんですか。あの、制服のままですけど……」
「大丈夫ですよ。スカートの下はスパッツですし」
 いつものことなのだろうか。鈴音はあまり気にした様子もなく、キョロキョロと視線をめぐらせている。
「僕は公園の周りを少し歩いてきます」
「あ、はい。じゃあ、俺は園内を探してみます」
 鈴音は頷くと公園から出て行った。槙は遊具の周りをゆっくり歩いてみる。沙歩の姿はない。遊具の近くにいないのならば噴水の方だろうか。そう思ったのだが、水の出ていない噴水の近くには誰もいなかった。どうやら園内に沙歩はいない。深くため息をついて槙はベンチに腰を下ろした。あとは鈴音が戻るのを待つしかないだろう。子供たちの笑い声に混じって美鈴の楽しそうな声が聞こえてくる。そのとき、子供達が一斉にアスレチックから降り始めた。時計を見ると六時半。太陽が完全に沈む直前になって、ようやく子供達は帰宅し始めたようだった。公園から出て行く子供達に手を振って、美鈴が駆けて来る。
「あれー、鈴音は?」
「公園の周りを見てきてくれてます」
 ふうん、と頷きながら美鈴は隣に腰を下ろした。少し息が上がっている。
「彼らの中にいませんでしたね。沙歩ちゃん」
「うん、そうだね。でも楽しかったよ」
 彼女は嬉しそうに笑みを浮かべると足元に手をやって、何もない空間を撫でる。そこにポチがいるのだろうか。
「……ポチは、探してる人物の居場所をずばり見つけることはできないんですか」
「んー。動かないモノならすぐに探せるんだけどね。ただのモノだったら、探してる人の気配を辿ればたいてい見つかるんだよ。あとは家族とか友達とかの気配をね。モノには意思がないから。だけど人間は違うでしょ。自分で考えるし、移動するし。ポチは気配を辿ってるだけだから」
「気配……。鈴音さんは人が残した軌跡みたいなものだと言ってましたね」
「そう。鈴音が言うには、人はいつも記憶を零しながら生きてるんだってさ。記憶っていうのは零れても、どこかで持ち主と繋がってるの。ポチはそれを辿りながら人を探すみたい」
「ということは、普段少しずつ零れている記憶が一度にまとまって落ちると、それが目になるというわけですね」
「そういうこと」
「へえ。匂いとは全然違うんですね。ポチって名前から、てっきり犬みたいなものを想像してたんですが……」
 槙は先ほどまで彼女が撫でていたところに視線を向けた。どんなに目を凝らしても、そこはただの地面でしかない。美鈴はその地面をじっと見つめ、小さく唸った。
「基本的には犬みたいな感じだよ。でも毛が青いの。で、耳は尖ってて長い。それから頭に角があるの。大きさは、これくらい」
 彼女は両手を肩幅くらいに広げた。
「へえ。喋ったりするんですか」
「ううん。喋ったら楽しいのにね。でもポチはわたしが喋らなくても言いたいことをわかってくれるの。鈴音が言うには、ポチとわたしは頭の中が繋がってるんだろうって。だからポチが食べた記憶がわたしにも流れてくるんだって。まあ、どうしてそういうふうになっちゃったのかは、さすがの鈴音でもわからないらしいけど」
「そうなんですか……。やっぱり、俺にはちょっと難しくて理解できないですね」
「じつはわたしもだけどね。鈴音はいろいろ考えてるみたいだけど、わたしにはさっぱり。鈴音はすごいよねえ」
 そう言って美鈴は嬉しそうに微笑んだ。
「お二人は本当に仲がいいんですね……」
「うん。わたしは鈴音がいないと生きていけないと思うんだよね。わたし、一人だと朝も起きられないし、料理もできないし」
 美鈴は笑う。そして制服のポケットからスマホを取り出した。横目で覗いてみると、画面には二人の少女が写っている。まだ幼い、同じ顔をした二人が同じように右手にシャーペンを持って笑みを浮かべている。
「五年前の夏休みの写真だよ。宿題を夏休みの最初に終わらせようって二人で決めたところ。決意表明の一枚」
「終わったんですか? 計画通りに」
 尋ねると、彼女は笑って「できなかった」と答えた。
「そうですか」
 夏休みの宿題など、たいていはそういうものだろうと槙も笑う。
「でも、どうして五年前の写真を壁紙に?」
「別に理由はないけど。携帯アルバムって感じで流行ってるの、わたしの中で。他にも昔の写真たくさん入れてるんだよ」
 彼女は言ってから、ふいに公園の出入口に目を向けた。ちょうど鈴音が戻ってきた。
「外にも、それらしい子供は見当たりませんでした」
 彼女はベンチの前に立つとブレザーのポケットに手を入れながら言った。
「そうですか……。もう子供は残ってないですし、ここにはいないんでしょうか」
「気配はこの辺りにかたまってるんだけどね。もう日が暮れたからどこかに潜んでるのかも。近くの建物とか」
「建物、ですか」
 槙は公園の外に視線を向けた。車道を挟んだ向かいには市民ホールと市役所がある。その隣はコンビニやマンション、飲食店などがあった。公園の隣にはビジネスホテルや個人病院などが建ち並んでいる。建物だらけだ。
「でも、気配はこの公園に集中してるんだよね?」
「そうだよ。この近くから動いてはないみたい」
「だったら、日中に来たほうがいいのかも」
 鈴音の言葉に槙は頷いた。
「明日、また来てみましょう。土曜日だから、お二人は学校休みですよね?」
「わたしたちは休みだけど、マッキーも休みなの?」
「いえ、仕事です。でもなんとか出てきますから、昼にここへ来てみましょう」
 その提案に美鈴は頷いたが、鈴音は面倒くさそうな様子でため息をついた。もしかすると予定があるのだろうか。そう思って尋ねてみると、彼女は「予定はないですが」と口を開いた。
「休日料金は割り増しですからね」
「え……」
「当然です。時間千円にしときますから」
 いいですね、というように鈴音は片方の眉を上げた。たしか成功報酬は四万だっただろうか。そこまで払うのならば、もういくら請求されても一緒のような気がする。槙は素直に頷いた。
「鈴音ってば、マッキーから搾り取れるだけ搾り取ろうって魂胆だね」
 美鈴の言葉に鈴音はただ薄く笑っただけだった。

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