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リンネの目 プロローグ

 授業が終わった午後の昼下がり、正門を抜け、下校していく生徒たちの姿を眺めながら鈴音は窓を開けた。渇いた秋の風が吹き込んでくる。
「お願いします! 早く探してください」
 思い詰めた声。振り返った先では机を二つ突き合わせ、二人の女子生徒が向かい合わせに座っている。その右側に座った生徒は、今にも泣き出さんばかりの表情で向かいに座る生徒を見つめていた。
「とても大事な物なんです。失くして以来、母はすっかり落ち込んでしまって――」
「んー、今探してるからちょっと待ってね」
 左に座った女子生徒はのんびりと言って、セミロングの髪をサラサラと揺らす。
「ねえ、鈴音。お茶が飲みたいなぁ」
 緊張感のない笑みを浮かべた彼女に頷くと、鈴音は黒板の隣に設置された古ぼけた棚からティーセットを取り出した。上等なものではない。家にあった安物のティーセットだ。
「ミルクティー? ストレート?」
 カップを用意しながら尋ねると、ミルクティーという答えが一つだけ返ってきた。鈴音は振り返り、心配顔の生徒に視線を向ける。
「飲みますか」
 すると彼女は目を丸くして首を横に振った。鈴音は「そうですか」と言いながらティーバッグを二つのカップに入れてポットからお湯を注ぐ。一分待ってからミルクと砂糖を一杯ずつ入れてかき混ぜた。そしてカップの一つを左の席に座る彼女の前に置き、もう一つは手に持ったまま、再び窓の近くに移動する。外から吹き込んだ風が白い湯気を掻き消していく。
「あー、やっぱり紅茶はミルクティーだよねえ」
 両手でカップを持ったセミロングの彼女はホッと一息つく。
「あの、本当に探してくれてますか?」
「え? あ、うん。探してるよ。あとちょっとかなぁ」
 依頼人の生徒は眉を寄せてこちらに顔を向けた。鈴音は視線を逸らして窓際に置いた椅子に腰を下ろす。
「ねえ、ケーキはないの?」
 カップを持った右手がこちらに向けられる。制服の裾から覗いた手首にはオレンジのリストバンドが見えた。
「ないよ」
「えー、残念」
 頬を膨らませたセミロングの彼女はふいに「あ、帰ってきた」とカップを机に置いた。
「え?」
 依頼人は眉を寄せて部屋を見回している。しかし、部屋に一つしかない戸は開かない。廊下から近づく足音もなかった。
「あの……?」
 不安そうな声の向かい側で、セミロングの彼女はじっと目を閉じていた。背筋を伸ばし、微動だにしない。そのまま十秒ほど経過して彼女は「ふうん」と声を洩らす。
「見つけたよ。指輪」
「本当ですか!」
「うん。えーと。キッチン、かな。キッチンにある食器棚。その裏」
「食器棚の?」
「そう。ネコ飼ってるでしょ? その子がテーブルに置いてあった指輪で遊んで、棚の裏に入り込んじゃったみたいだよ」
「ランが……?」
 依頼人は呟きながらポケットからスマホを取り出して耳にあてた。
「あ、お母さん? 指輪のことなんだけど食器棚の裏を――」
 そんな声を聞きながら鈴音は立ち上がり、カップを椅子に置いて二人の近くへ移動する。
「うそ! あったの? ほんとに?」
 依頼人は呆然とした様子で通話を終えると、視線をゆっくりとこちらへ向けてきた。
「あの、見つかった、みたいです……」
「そうですか。では、今回の依頼報酬料として二千円お願いします」
 鈴音の声に依頼人は素直に頷きながら財布を取りだした。
「たしかに」
 千円札を二枚受け取って鈴音は頷く。しかし依頼人は席を立とうとしない。
「どうかしましたか?」
「いえ……。あの、どうしてわかったんですか。指輪の場所」
「どうぞ、お引取りください」
 質問には答えず、右手を戸へ向ける。依頼人は少し迷う素振りを見せたが、やがて立ち上がると教室から出て行った。遠ざかる足音を聞きながら鈴音は椅子に置いていたカップを持って、部屋の角にある二人掛けのソファに座る。
「鈴音って、無愛想だよねえ」
 同じくカップを持って隣に座ったセミロングの彼女は「もっと愛想よくしたらいいのに。客商売だよ?」と鈴音の頬を指でつついた。
「僕まで愛想がよかったら区別がつかない」
 頬に当たる指を軽く払って鈴音はカップに口をつける。秋風に吹かれたせいか、紅茶はほどよく冷めていた。
「そうかなぁ。ちょっと試してみようよ。鈴音も髪を下ろしてさ、クラス入れ替えっこしてみよう。あ、それともわたしがポニーテールにしてみようかな」
 彼女は楽しそうに鈴音のポニーテールを手で弾いた。
「しないよ、そんなこと」
 そう答えると彼女は不満そうに口を尖らせる。
「えー、楽しいのに」
「僕は今のままでも充分楽しいよ」
 言って、手に持っていた二枚の千円札を揺らす。
「これを飲んだらもう帰ろう。依頼料でケーキでも買おうか」
 途端にセミロングの彼女は一気に紅茶を飲み干した。
「ほらほら、鈴音も早く飲んで。わたし、カップ洗ってくる」
 慌しく彼女は部屋から出て行く。その姿を鈴音は微笑って見送った。のんびりとカップを傾けながら部屋を見回す。十数年前まで音楽室として使われていた部屋には五線譜が書かれた黒板がある。鈴音は立ち上がって黒板の前に立つとチョークを手に今日の日付を書いた。日付の後に『一』という漢数字。とくに意味はない。ただの記録だ。
「まだ飲んでるのー?」
 廊下から声が聞こえた。
「今行くよ。美鈴」
 そう声をかけ、鈴音はぬるい紅茶を一気に飲み干した。

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