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リンネの目 ⑦『捜索開始』

 翌日、朝早くに出発した槙たちは兼村兄弟の実家があるという街へ向かっていた。しかしどういうわけか、ナビに従って車を走らせるほど周りに建物がなくなっていく。昼を過ぎた頃には、すっかり山の中に入り込んでしまった。
「……ねえマッキー。道、間違えてない?」
 後部座席で美鈴が不安そうな声をあげた。ミラーを見ると鈴音も少し不安げな様子でこちらを見ている。
「たぶん間違ってないと思うんですが」
 しかし、走っている山道は舗装されているものの整備されているようには見えなかった。道幅も、車が一台通れるほどしかない。その狭い道は山と山の間に無理矢理作られたようで、両側には岩だらけの斜面が迫っていた。山肌というよりは崖である。さらに、アスファルトはところどころ陥没していてハンドルをとられてしまう。ただ普通に走るだけでも神経を使わなければならなかった。
「こんなとこに住んでて、不便じゃないのかな」
「他に道があるんじゃないの? この人が選んだ道はハズレだったんだよ、きっと」
 そっか、と納得する美鈴の声が聞こえた。たしかに道は何本かあったが、ナビがこの道を選んだのだから仕方ない。やがて、一度戻ったほうがいいのではと美鈴が言い始めた頃、遠くにポツリポツリと民家が見え始めた。安堵しながら車を進めていくと、民家の間に小さな商店らしき建物があった。空き地をそのまま活用した駐車場には軽トラックが一台停まっている。槙はその軽トラックの隣に車を停めた。
「とりあえず、店の人に彼女を見なかったか聞いてみましょう」
 そうですね、と頷いて車を降りた鈴音の隣で、美鈴は怪訝そうな表情を浮かべている。
「美鈴? どうしたの」
「なんか、ここ――変だよ」
「なにが」
「目が――」
 たくさん落ちてる。そう彼女は言った。思わず槙は足元へ視線を向けたが、粗い砂利が敷き詰められているだけで何もない。
「そんなにたくさん?」
 美鈴は頷く。
「なんかここ、変だよ」
 美鈴は再び同じ言葉を口にした。じっと地面を見つめるその顔が強張っている。
「ポチに探させてたの?」
「ううん、何もしてないよ。でも車を降りた途端、すごい気配が……」
「ポチが勝手に動いてるの?」
 美鈴は足元に視線を向け、首をかしげた。
「そうじゃなくて――目があるなっていうのが伝わってくるだけで誰かの記憶が流れ込んでくるわけじゃないの。でも、なんていうんだろ。こう、ざわざわした塊がそこらへんに散らばってるっていうか。見えないんだけど、存在だけがわかるっていうか」
 美鈴は懸命に説明するが槙にはよくわからない。それでも鈴音には伝わったのだろう。彼女は険しい表情のまま頷いた。
「気配が多すぎてポチの方でセーブできないんだろうね。無視できないほど、目があるっていうことかな」
「どうしましょう。一度戻りましょうか」
 どういう状況かわからないが、話を聞いていると美鈴に負担がかかっているようだ。しかし美鈴は「大丈夫だよ」と笑った。
「別に記憶を見てるわけじゃないから。ちょっと違和感があるくらいで。もう慣れてきたし」
「本当ですか?」
 槙は美鈴にではなく、鈴音に問う。鈴音は美鈴をじっと見つめていたが、やがて「大丈夫みたいですよ」と頷いた。
「まだここに彼女がいると決まったわけでもないですしね。彼女の情報が一つも得られなかったら、さっさと帰りましょう。それと美鈴はここではポチを使わないこと。いいね?」
 鈴音が美鈴に人差し指を突きつける。美鈴は神妙な面持ちで頷いた。
「そういうことですから、ここにいる間は美鈴の力は期待しないでください」
「わかりました。今回は俺が聞き込みを頑張りますから」
「そうですか。じゃあ、まずはあそこでお手並み拝見ですね」
 鈴音は言って広い駐車場の向こうに立つ小さな商店に視線を向けた。

 古い木造の商店は二階部分が住居になっているようで、洗濯物がベランダで揺れていた。外に人の姿はない。入り口のドアは開けられたままで暖簾がかけられている。中からは数人の女の声が聞こえていた。
 こんにちは、と声をかけて暖簾をくぐる。店内は想像通りに狭く、棚には生活雑貨や食品類が雑多に置かれてあった。奥では、レジの周りに椅子を寄せ合って座っていた三人の女が、ピタリと会話を止めてこちらに顔を向けた。そうして槙たち三人を見ると、そのうちの一人が笑顔を浮かべて立ち上がる。
「あら、珍しい。外からいらっしゃったんですか?」
 少し高い声で女が近づいてくる。この店の主人だろうか。女は親切そうな笑みを浮かべているが、その奥に警戒心が隠れていることに槙は気づいた。
「外からのお客さんなんてずいぶん久しぶりだわ。この辺りに来る人なんて、滅多にいなくて」
「そうなんですか? でも、民宿はありますよね。今日はそこに予約を入れたんですが」
 すると女は「ああ」と頷いた。
「最近は、田舎暮らし体験みたいなことが巷で流行っているんでしょう? その流行に乗っかろうって若い子たちが勝手に始めたんですよ」
 女の口調はまるで自分たちはそんなことを許していないのにとでも言っているような嫌味っぽさが含まれていた。それに自分でも気づいたのか、女は口に手をあてて「あら、ごめんなさい」と謝った。
「それで、お客さんたちも田舎暮らし体験を目的に?」
 女は槙の後ろに視線を向けた。珍しそうに店内を見回す美鈴の横で、鈴音が無表情に立っている。
「あ、いえ。私たちは人を探してまして」
「人を?」
 槙は手帳に挟んでいた沙歩の写真を取り出して女に見せる。しかし、彼女は写真を一瞬見ただけで首を横に振った。
「見たことないですねえ」
「そうですか。そちらの方々も確認していただけませんか? 十二歳の女の子なんですが」
 言いながら槙は奥に座る二人の女に向けて写真を向けたが、彼女たちは立ち上がることもせず、小さく首を横に振った。
「見たことありませんねえ。それにこの数ヶ月、外から来た人はいませんよ」
 五十代くらいの痩せた女が言った。口調こそ柔らかなものだったが、その表情には余所者に対する警戒心が隠すこともなく浮かんでいた。隣に座る、やはり五十代ほどに見える女もまた、じっと睨むように槙たちへ視線を向けている。
「この子、あなたの知り合い?」
 そう言った店主の女に槙は視線を戻す。唯一笑顔を浮かべている彼女も、その目だけは笑っていない。
「あ、ええ。親戚の子で。少し家出の癖がある子でして」
「あら、まあ。それは心配ね。だけど、どうしてこの村に?」
「ええ。この辺りで見たっていう人がいたものですから」
 一瞬、女は鋭く目を細めた。しかしすぐにまた笑みを浮かべると「そうなの」と頷く。
「じゃあ、もしこの子を見かけたら連絡しますね」
「よろしくお願いします。私、槙零人と申します。明日まで民宿におりますので」
 女は小さく頷いた。そして視線を槙の後ろに向ける。
「あなたたち、双子なのね。妹さん?」
「え……」
 槙が振り向いて二人を見たのと同時に美鈴が笑顔で頷いた。その隣で鈴音が嫌そうに顔をしかめている。
「ところで、おばさん。ここって全然車通らないんだね」
 人懐っこく美鈴が言う。すると女は店の外に目を向けた。暖簾が風に揺れ、その隙間から駐車場が見える。必要以上に広いそのスペースにはこの店の商用車だろう軽トラと槙の車以外は停まっていない。
「ここは村の裏側なのよ。だから、こっちの道を通るのは村の人しかいないの。あなたたちは、どう間違ってこちらから来たのかしら」
 女はそう言って声をあげて笑った。その瞬間だけ、彼女の顔から警戒の色が消えたように見えた。後ろで「ほら、やっぱりハズレの道だった」と呆れたような鈴音の声が聞こえたが、聞こえないふりをして車に戻ることにした。
「えへへ。オマケしてもらっちゃった」
 後部座席で美鈴が嬉しそうに菓子の袋を開けている。さっきの店で帰り際に買ったものだ。その様子を諦めたように鈴音は見ていた。
「分けてあげるから、取り上げたりしないでよ」
「はいはい。まったく……。本当に太っても知らないよ」
 言って鈴音は美鈴から菓子を受け取っている。ため息が聞こえた。
「それにしても、ずいぶん警戒されてましたね」
 渡された菓子を口に運びながら鈴音は言う。
「そうですね。さすがに店の人は接客業で慣れてるのか表面上は親切でしたけど、レジのところにいた二人はあからさまでしたね。人を探してると言っただけで、あの雰囲気とは……」
 言いながら駐車場から車を出す。ここから先は一本道だったはずだ。ナビの必要はないだろう。そう思っていると「典型的な田舎なんでしょうね」と鈴音の声がした。槙は頷く。
「そうなんでしょうね。でも中心部に行けば違うと思いますよ。民宿があるということは、外部との交流があるんでしょうから」
「だけど店の人、民宿の話したときにすごく嫌そうな顔してたよね」
「たしかに……。もしかしたら、こういう小さな村にも派閥があるのかもしれませんね。ほら、民宿賛成派と反対派とか」
「なんですか、それ」
 鈴音が呆れたような声で言う。民宿に対して大げさな言葉だっただろうか。本当はダム賛成派と反対派と言いたかったのだが、つい口が民宿と発音してしまった。槙は一度咳払いをする。
「とにかく――少なくとも、その民宿をしている人は閉鎖的な環境を変えたいと思ってる人なんじゃないかと。きっと、さっきの人たちよりは協力的だと思いますよ」
「もしそれでも見つからなかったら本当に帰るの?」
 美鈴が助手席の背に手をかけて身を乗り出してきた。危ないですよ、と注意しながら槙は頷く。
「見つかることを願ってますが、そうなった場合は仕方ないですよね。なんとかして、他に手がかりをみつけましょう」
 そう、と美鈴はなぜか悲しそうな表情で呟いて顔を引っ込めた。

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