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リンネの目 ①『依頼』

「……実際見るとすごいな、この坂道」
 心地よい秋の日差しを受けながら槙零人は呟いた。目の前には急傾斜の上り坂。そこをブレザー姿の高校生たちが雑談しながら下りて来る。車は近くの駐車場に停めてきた。学校への道は狭いから訪ねるのなら歩きで行け、と妹に言われたからだ。たしかに道は狭い。離合できそうな場所も少なく、慣れない者には難しい道かもしれない。それにしても。
「傾斜、何度あるんだろう」
 うんざりしている槙の横をジャージ姿の団体が走り抜ける。陸上部だろうか。彼らは掛け声をあげながら勢いよく坂道を駆け上っていく。
「行くか……」
 ため息をつきながら足を踏み出す。その坂は渦を巻くように丘の上へと向かっていた。誰があんな場所に学校を作ろうと言い出したのか。これでは学校行事に来る訪問者もうんざりすることだろう。そんなことを思いながら山登りの要領で坂を上りきると、腰に手をあてながら呼吸を整える。そして周りに目を向けた。
 正門を入るとすぐに駐車場があった。教職員用なのだろうが、停まっている車両は多くない。その左には白い校舎が壁のようにそびえていた。校庭には二つの校舎の間にできた狭い空間を横切らなければならないようだ。しかし、目的は校庭ではない。駐車場の向こうに建つ木造校舎。新校舎建築中であった十数年前まで使われていたという三階建ての旧校舎だ。今では珍しい木造校舎は、そこだけ空間が切り取られたようにレトロな雰囲気を醸し出していた。槙は周りの様子を窺ってからその校舎へ足を踏み入れた。
「三階。音楽室。ここか……」
 人の気配のない旧校舎の最上階、廊下の突き当たりで足を止める。教室入り口、引き戸の上にかけられているのは『音楽室』という札。なんとなく緊張しながら「失礼します」と声をかけて戸を開けると、小柄な二人の女子生徒が同時にこちらへ顔を向けた。その途端、槙は思わず目を丸くした。同じ顔が並んでいたのだ。
 肌の色は白く、目は大きい。それに比べて鼻と口は小さかった。外見の違いといえば髪型くらいだ。一人はセミロングの黒髪を無造作に垂らし、もう一人はポニーテールにしている。二人は外を眺めていたのか、窓際に立っていた。
「何か御用ですか」
 ポニーテールの彼女が無表情のまま言った。静かな、大人びた声。槙は我に返って頭を下げた。
「あ、はい。えーと、依頼を……」
「依頼? 学校関係者ではないようですが、どなたでしょうか」
「まあまあ、鈴音。まずはお客様に席を勧めてはどうでしょう」
 槙が名乗る前にもう一人の少女が言う。こちらの少女は幼い印象を受ける。彼女は無邪気な笑みを浮かべて「そちらにどうぞー」と右手を差し出した。その手首には、紺色のブレザーにはあまり似合わないオレンジのリストバンドが見えた。
 彼女が指した場所にあったのは、学校の備品であろう机と椅子がが二つずつ。勧められるまま椅子に座ると、向かいの席にリストバンドの少女が座る。彼女の相方はその隣に立って無表情のままこちらに視線を投げてきた。
「あ、えー。私、槙零人と申します」
 言いながら槙は鞄から名刺を取り出し、机に置く。
「警察の方ですか」
「うそー、本物刑事? わたしたち、何か悪いことした?」
「ああ、いえ。先ほども申しましたとおり、今日は依頼に来たんです。こちらに、失くし物をすぐに見つけてしまう人がいると聞いたもので」
「聞いた? 誰から」
「妹です」
「ここの生徒ですか」
「いえ。別の学校ですが、妹の友人がここに通ってまして。その友人が先日、こちらで指輪探しの依頼をしたところ、あっという間に見つけてしまったと」
「あー、こないだの子だよね。指輪って」
「そうだね。だけど」
 ポニーテールの彼女は視線をこちらに戻して腕を組んだ。
「どうして警察官がこんな子供を頼りにするのかわからない」
「個人的な頼みなんじゃないの?」
「あの……」
 遠慮がちに口を挟むと、二人は会話を止めてこちらを見た。
「お二人が失くし物を探してくださるんでしょうか」
 すると目の前に座るセミロングの少女は頷き、その隣に立つポニーテールの少女は首を横に振った。
「正確にはこっちの美鈴が探します」
「あー、そっか。うん、そうだね。で、こっちの鈴音が依頼料を徴収します」
「違う。僕が依頼を受けるかどうか決めるんだよ」
「で、依頼料を徴収します」
「それじゃ、僕が守銭奴みたいじゃないか」
 槙は目を丸くして鈴音と呼ばれたポニーテールの少女を見つめた。その視線に気づいたのだろう、彼女は不機嫌そうに眉を寄せる。
「なにか?」
「あ、いや。えーと、美鈴さんに鈴音さん? あ、名字は」
「滝川です」
「でも、どっちも滝川で面倒くさいから下の名前で呼んでくれていいよ」
 美鈴は楽しそうに笑みを浮かべると机に身を乗り出した。
「それにしても刑事ってスーツじゃないんだね。なんかパーカーとか着ちゃって学生っぽい」
「あ、今日は非番なので。それに私は刑事じゃありません」
「そうなの? なーんだ。ちょい残念」
 美鈴はがっかりしたように肩を竦めた。すみません、と頭を下げてから槙は姿勢を正した。
「それで、依頼の件ですが。こちらでは人を探していただくことも可能でしょうか」
 鈴音はわずかに眉を寄せて「失踪人の捜索、ということでしょうか」と言った。槙は頷く。
「そんなものは警察が担当するべきことだと思いますが。たしか、最近警察に新しい課が設立されましたよね。失踪捜査課とかいう。そこに依頼を出したらいいのでは? もしくは、どこか興信所などに頼んでみてはいかがでしょう」
「私は、その失踪捜査課に所属しています」
 美鈴は驚いたように口を少し開けたが、鈴音は目を細めただけだった。槙は顎を引いて二人を見据える。
「妹が聞いた話によると、あなた方に見つけられなかったものはない。どんなものでもすぐに見つけてしまう、すごい方たちだと」
「いやー、それほどでも」
 嬉しそうに照れる美鈴とは逆に鈴音の表情は厳しい。それでも槙は続けた。
「早急に見つけていただきたいんです。事情があって警察は動きません。興信所に頼もうかと思ったのですが、信頼できるところがなかなか見つからず」
「知り合いですか? その探して欲しい人というのは」
「いえ、違います。子供なんです。まだ十二歳の」
 美鈴と鈴音は顔を見合わせる。そして鈴音が小さくため息をついた。
「依頼を受けるかどうかは別として、まずはお話だけ伺います」
「ありがとうございます」
 そう頭を下げてから槙は話を切り出した。

 一年ほど前、警察に新しい課ができた。失踪捜査課という、捜索願に基づく失踪人捜査が目的の課だ。設立の背景にあったのは国民の不満。捜索願を警察に提出しても捜してくれない。どうして警察は動かないのかという国民の声。最悪の場合には遺体として発見される失踪者もおり、裁判沙汰になるケースすらあった。失踪捜査課はそんな不満を解消させるべく作られた、いわばクレーム逃れのための課であった。そんな課にどういうわけか異動を命じられたのがつい二ヶ月前のことだ。槙の仕事は新しく届出された捜索願や情報をリスト化して管理するという、デスク業務が主だった。
 異動をしてからの一ヶ月。わずかその間に、失踪捜査課は一人の失踪者を探し出した。新設された課は確実に成果を上げている。そう国民にアピールをしているのだが、実態はそうではない。失踪者の中には故意に姿を消している者が多い。そういう者たちは住む地域を変えただけで、身を隠していない場合がほとんどなのだ。身を隠していないのだから探し出すこともたやすい。課ではそうした人物を探し出しているだけにすぎなかった。居所が確認されている失踪者のストックがなくならないように、届人への報告スケジュールを決める。そんな日々の仕事に嫌気が差してきたつい二日前のこと、失踪捜査課の部屋に女性が訪ねて来た。
 四十代と思われる女性は顔色が悪く、ひどく疲れた様子だった。話を聞くと、彼女の十二歳になる娘が先週から行方が知れないので探してほしいという。
「捜索願は出しました。でも、あの子はこれまでに何度も家出を繰り返してことがあって、そのたびに届けを出してきたんです。ですから今回も待っていれば帰ってくるのではと言われてしまって」
 たしかに家出を繰り返した過去がある人物は、待っていればそのうち帰ってくる可能性が高いのだろう。だが、彼女は強い口調で「だけど、今回は家出ではないんです」と訴えた。
「そう思う根拠が?」
 尋ねると、彼女は深く頷いた。
「あの子が家出を繰り返すのは父親を嫌っているからなんです。最近、わたしが再婚したばかりでして」
「なるほど。十二歳と言えば、難しい年頃ですからね」
 女性は頷きながら「だけど、家を出ても行く先はたいてい友達の家とか親戚の家だったんですよ」と言った。
「今回もきっとそうなんだろうと思って、心当たりの家には聞いてみたんですが……」
 どこにもいなかったのだろう。
「絶対に、今回はいつもの家出ではないんです。捜索願を出しただけでは不安でしたので、直接こちらに」
 女性はすがるような目で槙を見つめていた。槙は室内を振り返って課長の吉浦に指示を仰ぐ。しかし彼は睨むように目を細めただけだった。早く追い返せということだろう。どうしたものか。悩んだ末に槙は答えた。
「わかりました。きちんと、捜索させていただきますので」
 それが、精一杯の答えだった。それでも女性はわずかに笑みを見せ「お願いします」と深く頭を下げて帰って行った。なんとなく、後味の悪さが残る。
 課として依頼を引き受けることができるはずもない。優先順位はすでに決まっている。ほとんど居場所がわかっている失踪人たちだ。吉浦にかけあってみたものの、軽くあしらわれただけだった。いちいち相手をしていたらきりがない、と。たしかにその通りだろう。ならば個人的にでもできることはないだろうか。ビラを配ったり、少女の家の近所で聞き込みをしたり。しかし、それで彼女が見つかるのならば母親だってとっくにそうしているだろう。悩んでいたとき、妹から話を聞いたのだ。ここに探し物を見つけるプロがいると。

「ふうん。それでわざわざ、こんなとこまで来たんだ」
「はい。だけど妹もあまり詳しく話を聞いたわけではないようで、ただこの学校の旧校舎三階にすごい人がいる、と」
「それで訪ねて来たものの、相手がこんな子供で困っていると」
 鈴音は無表情のまま腕を組む。たしかに驚いていますと正直に答えると彼女はため息をついた。
「そもそも妹とはいえ、警察官が子供の言葉を真に受けるのはいかがなものでしょう。しかも内部の情報をこんな場所で暴露してしまっていいんですか。かなりブラックな部分も聞いてしまった気がしますが」
「……ブラック?」
 何かまずいことを言ってしまっただろうか。少し考えてから槙は慌てて「あっ!」と声をあげた。
「あの、すみません。課の内情については聞かなかったことに」
「まあ、別に興味ないですから誰にも話しませんよ。しかし大人として、もう少し気をつけたほうがいいと思います」
「すみません……」
 返す言葉もない。槙は軽く咳払いをして「とにかく」と二人の顔を交互に見比べた。
「お二人が探し物を見つけるのは本当のことですよね。今まで見つからなかったものはない。高校生の間では有名な話だと聞いてます。今回の件は警察官ということは関係なく個人的にお願いしたいんです。どうか、このとおり」
 槙は机に額をつけて頼み込んだ。
「その子さえ見つかれば、それでいいんですか」
 静かな声に槙は顔を上げる。腕を組んだまま鈴音が眉を寄せてこちらを見ていた。
「……たしかに捜索願は毎日多く受理されてますし、心配している人が多くいることもわかっています。そのうちの一人だけでも見つけ出すことができればと、そう思うことが悪いことだとは思いません」
 自己満足や偽善と思われても構わない、そう続けて槙は双子を見つめる。向かいに座った美鈴は机に頬杖をつくと鈴音を見上げた。
「どうするー?」
「僕は受けたくない。人を探したことは今までないし、それに何よりめんどくさそうだ」
「あ、めんどくさいのカンベンだよね」
「そこをなんとか!」
 慌てて下げた槙の頭が机とぶつかって派手な音を響かせた。額がじんと痛む。
「す、すごい音がしたけど――」
「依頼料とかもちゃんと払いますし」
 美鈴の声を遮って槙は言う。そのとき、ガラッと部屋の戸が開いた。
「あのー、すみません。探し物してるんですけど」
 顔を上げて振り向くと、気の弱そうな男子生徒が廊下から顔を覗かせていた。
「あ、どうぞー」
 美鈴が明るく笑みを浮かべて生徒を中へと促す。
「何をお探しで?」
「ゲームソフトなんですけど。誰かに貸したまま消えちゃって。誰に貸したのか調べてほしいんです」
「はいはい。おやすい御用です」
 美鈴は言って鈴音を見上げた。鈴音が頷く。
「あの、私の依頼は……?」
「んー、なんかめんどくさそうだしさぁ。それに鈴音が受けたくないって言ってるし」
 槙は視線を鈴音へ向ける。やはり高校生に頼るなど馬鹿げたことだったかと心の中で思う。そもそも彼女たちに見つけられるかどうか怪しいものだ。しかし、今こうして他の生徒が探し物をしてほしいと依頼に来ているのだから、校内での実績はあるのだろう。だがそれも考えてみれば校内という限られた場所でのこと。人探しなどしたことがないと彼女も言っていた。ここは、やはりどこか興信所を頼るべきだろうか。そんなことを考えながら鈴音を見つめていると彼女は小さく息を吐き出した。
「依頼を受けるにしても必要な物がないのでムリです」
「必要なもの? あ、情報なら――」
「情報もですが、一番必要なのはその子の私物です。何でも結構ですが、それがなければ話になりません。それと……」
 鈴音は言いながらスマホを取り出して画面に触れた。向けられたそこには電卓が表示されている。
「依頼料、前金として二万。成功報酬はプラス四万。経費は別払い」
「たかっ……」
 思わず漏れた声に鈴音は薄く笑みを浮かべた。
「それと」
「まだあるんですか」
「本通の三丁目、バス停付近にケーキ屋があるんです。そこのイチゴのケーキをワンホール。それを持ってきてくれたら考えてもいいです。ああ、前金は依頼に失敗しても返しませんから」
「ませんから」
 鈴音の言葉に美鈴が続いた。無表情の鈴音に対して、なぜか美鈴はとても嬉しそうだ。
「では今日はお引取りください。次の依頼人が待っているので」
 槙の後ろでは男子生徒が所在無げに立っていた。仕方なく立ち上がりながら、そういえばケーキ屋の名前を聞いていなかったと気づく。
「それこそ、妹さんに聞いてください。有名なお店ですから」
「じゃあ、バイバーイ」
 美鈴に手を振られて槙は席を男子生徒に譲った。
「えーと、ゲームソフトだっけ。タイトルは?」
 美鈴の声を背中に聞きながら槙は戸に手をかける。生徒が告げたゲームソフトは数ヶ月前に発売された人気ソフトだった。
「おっけー。じゃあ、すぐに探すね」
 ふと、どうやって探すのだろうかと疑問に思って槙は振り返る。しかし二人が動き出す気配はない。不思議に思っていると鈴音が睨むように目を細めた。早く帰れということだろう。彼女に向けて軽く会釈してから槙は部屋を出た。
 一歩足を出すたびに廊下の床板が軋む。その音を聞きながら考える。提示された依頼料は貯金を崩せばなんとかなる金額だ。興信所に頼むよりは安く済む。ケーキ屋については鈴音の言うとおり、妹に聞けばいいだろう。あとは。
「私物か。何に使うんだろう」
 もちろん捜索に使うのだろうが、まさか犬を使うわけでもあるまい。今も、彼女たちはゲームソフトを探すと言いながら一向に教室から出てこない。首をかしげながら、槙は旧校舎を後にした。

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