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リンネの目 ②『ポチ』

 失踪捜査課に配属されて良かったことは時間の融通が利くということだろう。槙は手に持ったケーキの箱が傾かないよう気をつけながら、人気のない坂を上っていく。時刻は午後三時過ぎ。もうそろそろ授業が終わる頃だろうか。高校の頃の時間割を思い出そうとしたが、わずか四年前の記憶だというのに思い出すことはできなかった。
 学校に到着した頃、チャイムが鳴った。一気に校内が騒がしくなる。なんとなく懐かしいその喧騒を聞きながら、槙は旧校舎の音楽室へ向かったのだが、そこに双子の姿はなかった。
 無人の教室に一人ぽつんと佇む。部屋にあるのは学校机が二セット。窓に近い場所にはどこから持ってきたのか革張りのソファとローテーブルが置かれてあった。これも学校の備品だったのだろうかと不思議に思いながら、槙は数日前と同じ椅子に座った。正面の黒板にはまるでカレンダーのように日付が並び、その下には数字が書かれてあった。中には日付だけというところもあったが、槙がここを訪ねた日には『一』とある。
 黒板の隣に目をやると古そうな棚。ガラス戸のついたもので、おそらく音楽室として使われていたときには楽譜などが収められていたのだろう。しかし、今そこにあるのは白いティーセット、紅茶のティーバッグとミルクや砂糖が入っている透明な瓶だけだ。ガラス戸の下にも収納スペースがあるが、そこにもきっと彼女たちの私物が収められているに違いない。その棚の前に置かれたデスクには電気ポットが保温のランプを点灯させていた。
 学校側は彼女たちがここを使っていることを知っているのだろうか。そんなことを思っていると、派手な音を立てて戸が開いた。
「……っくりしたぁ。幽霊でもいるのかと思ったよ」
 胸に手をあてながらそう言ったのは美鈴だ。その後ろで鈴音が不機嫌そうに眉を寄せている。槙は立ち上がると「申し訳ありません」と頭を下げた。
「早く着いてしまったもので、失礼とは思いつつ先にお邪魔しておりました」
「堅っ苦しいなぁ。年下相手にそんなかしこまらなくても」
 美鈴は笑いながら鞄をソファに投げると槙の向かいの席に座り「これ、なに?」と机に置かれた箱を指差す。
「ケーキです。三丁目のケーキ屋で売っている、イチゴのケーキ」
「嘘だ」
 鈴音は美鈴が投げた鞄と自分の鞄を並べて置きながら言った。
「あそこのイチゴケーキは期間限定品。秋には売ってないはずですよ」
「ええ、たしかに。だから、作ってもらいました」
「どうやって?」
 美鈴はケーキの箱から目を離さないまま言った。鈴音も美鈴の隣に立って箱を確認している。
「あそこのパティシエに同級生がいたんです。だから、なんとか頼み込んで、値段割り増しで作ってもらいました。さすがに時期じゃないのでイチゴの糖度は劣るそうなんですが、それでも鈴音さんが言ったケーキであることに変わりありません」
 槙は言ってケーキの箱を開けた。中から大量のイチゴが乗せられた円形のケーキが現れる。それを見た途端、美鈴が悲鳴に近い歓声をあげた。
「……ケーキ、好きなんですか?」
「大好きだよ! やるねえマッキー。さすが刑事さんだよ」
「いや、刑事では。……マッキー?」
 困惑しながら鈴音を見る。彼女は困った様子でケーキと美鈴を見比べていた。
「美鈴、まだ受けるわけじゃないからね」
 鈴音の声が届いていないのか、美鈴はいそいそと黒板横の棚へと向かう。そして引き出しからナイフとフォークを取り出して戻ってきた。
「まだ、だからね」
 鈴音が低い声で言う。美鈴は口にフォークをくわえて小さく頷いた。視線はケーキを捉えたままだ。鈴音はため息をつくと槙を見据えた。
「あ、それと前金の二万も持ってきました。ここに」
 槙は懐から封筒を取り出して彼女に差し出す。鈴音は封筒の中身を軽く確認してから奇妙なものを見るような目をこちらに向けた。
「本気で、僕たちに依頼するつもりですか」
「はい。行方不明の子の私物も借りてきました」
 言いながら鞄から透明な袋に入れたハンカチを取り出す。
「……鈴音、まだ?」
 フォークを口にくわえたまま美鈴が言った。鈴音は美鈴からケーキ、そして槙へと視線を向けると諦めたように眉を上げた。
「いいよ。もう」
 どうでもいい。そう言うように彼女はため息をついて棚へと向かい、紅茶の用意を始めた。一方、鈴音から許しを得た美鈴は慎重にケーキにナイフを入れている。
「鈴音、お皿ちょうだい。マッキー用に」
「あ、私はべつに」
「いいから。マッキーが持ってきたんだから、食べなさいって」
 鈴音から皿を受け取り、彼女はケーキをナイフ一本で器用に皿へと移す。一人で食べるには少々大きい気がする。
「あの、ところでマッキーっていうのは」
 先ほどから気になっていたその呼び名に戸惑っていると、美鈴は眉をあげて「あだ名、マッキーでしょ?」と言う。確かに幼い頃からあだ名はそれであったが、いきなり呼ばれるとは思ってもいなかった。
「美鈴、いちおうこの人は年長者なんだから」
 鈴音は紅茶のカップを美鈴に前に置き、フォークを槙に渡しながら言った。
「ああ、いえ。そう呼んでいただいて構いません。ただ、少し驚いただけでして」
 すると美鈴がピッとフォークの先を槙に向けた。
「その話し方、なんとかならないのかな。堅苦しいよ、マッキー。もっとこう、フレンドリーにいこうよ」
「はあ、じゃあ、そのように」
「うん。よろしく」
 彼女はそう言って、ケーキにフォークを突き刺した。どうやら切り分けたのは槙の分だけのようで、彼女はワンホールをほとんど丸ごと自分の前に置いていた。大きくスポンジを取って口に運んでは、幸せそうに笑みを浮かべている。
「それで、誰を探せばいいのですか」
 鈴音はカップを机にもう二つ置くと、窓際にあった椅子を持ってきて美鈴の横に座った。
「あ、はい。この子なんですが」
 慌てて手帳を取り出すと中に挟んでいた一枚の写真を机に置く。今年の春に撮った写真らしく、あどけない笑顔を浮かべた少女の向こうには満開の桜があった。
「行方不明になったのは辰川沙歩、十二歳。今月の七日、学校帰りに行方がわからなくなりました。母親が学校に確認を取ったところ、友人と下校したことは確かなようです。しかし、下校時一緒だった友人は塾に向かうため、途中で別れたと」
「別れた場所は?」
「国立病院近くの交差点です」
 そうですか、とあまり興味なさそうに頷くと鈴音はナイフを手に取った。そして美鈴が幸せそうに食べ続けているケーキを三分の一ほどの大きさに切り取って自分の前へと置いた。それが彼女の取り分なのだろう。二人が無言でケーキを食べ始めたので、槙もなんとなくそれに倣う。口に入れたケーキは生クリームが濃厚でなめらかだ。スポンジも柔らかい。しかし、やはりイチゴは酸味が強かった。
「……美鈴」
 しばらくして、ようやく鈴音が口を開いた。美鈴は口を膨らませたまま彼女の方を向く。
「話、終わったんだけど」
「……あ、え、そうなの?」
 美鈴は我に返ったように何度も瞬きをすると机に出していたハンカチの袋を手に持った。
「これ、出してもいいんだよね」
 槙が答える前に彼女はハンカチを取り出し、足元へ視線を向ける。つられて床に目を向けたが、そこに何があるわけでもなかった。不思議に思いながら机の上に視線を戻すと美鈴は再びケーキを食べ始めていた。
「あ、もうこれ片付けていいよ。ありがとう」
「え、でも」
「もう探してるから。あとはとりあえず待つだけ」
 そう言われても、彼女はただハンカチを袋から取り出しただけだ。誰かと連絡をとったわけでもなければ、犬を呼び寄せた様子もない。
「探してるって、どうやって」
「ポチがね、行ったから」
「ポチ……。犬ですか?」
「違うよ。ポチは――」
 言って彼女は困ったように鈴音に顔を向けた。鈴音はわずかに眉を動かし、睨むように槙を見てくる。そして「仕方ないね」と深くため息をついた。
「説明するだけしてみれば? ああ、念のため言っておきます。依頼の取り下げはいつでもお受けしますから」
 彼女はそう言ってわずかに口角を上げると美鈴に説明するよう促す。しかし、美鈴は嫌そうに顔をしかめてフォークをくわえた。そのまま紅茶のカップを持って椅子の背にもたれる。
「鈴音が説明してよ」
「なんで僕が」
「だってめんどくさいんだもん。それにわたしが説明しても理解できないって、いつも鈴音が言ってるんだよ」
 美鈴はふてくされたような表情を浮かべている。鈴音は「しょうがないな」と槙に面倒くさそうな視線を向けた。
「ポチについて、ですよね」
「というか、どうやって探してるのかってことですけど」
 すると鈴音は少し眉を寄せた。しばらく無言で食べかけのケーキを見つめる。その横で美鈴は自分の義務は果たしたとばかりにケーキの処理を再開していた。
「そうですね……。ポチは、美鈴にしか見えない存在です」
「は?」
 思わず妙な声が出てしまった。何度も瞬きを繰り返して鈴音の顔を見る。いたって真面目な表情だ。冗談を言っているようには見えない。彼女は続ける。
「ポチは人の気配を探ることができます。というか、人の気配を食べてそれを美鈴に伝えます。美鈴はポチから情報を得て、探し物を見つけるんです。それが僕たちの探し方です」
「ちょ、ちょっと待って。何がなんだか」
 慌てて槙は彼女の説明を止める。鈴音は「なにか不明な点でも?」と片方の眉を上げた。
「えーと。すみません、俺にはちょっと難しくて」
 言った途端、美鈴が目を丸くして顔を上げる。
「マッキーって、自分のこと俺って言うんだ」
「え、あ、すみません」
「いやいや、いいよ。ただ似合わないなぁって思って」
 美鈴は笑う。槙は苦笑しながら頭を掻いた。
「美鈴、ちょっと。話が進まないから」
 黙って、と鈴音の目が言っている。美鈴は軽く首をすくめるとケーキで口をふさいだ。
「説明のどこがわからなかったのでしょうか」
「えーっと、最初からわかりませんでした。ポチというのは、つまりどういう?」
「美鈴にしか見えない存在です。わかりやすく言うなら……」
 妖怪、でしょうかと彼女は言った。槙は眉を寄せて考える。
「妖怪……。よく漫画やアニメで見るような?」
「まあ、美鈴に言わせると違うようですが」
 槙は美鈴に目を向けた。彼女はケーキの最後のひとかけらを口に放り込むと「ポチは、ムシだよ」と言った。
 ムシ。虫だろうか。さらにわけがわからない。
「ムシ、というのはあくまで美鈴がそう言ってるだけです。彼女が言うには、そのムシという存在がこの世にはいるんだそうです」
「彼女にだけ、それが見えるということですか」
「いえ。美鈴に見えるのはポチだけです。まあ、一時期は他のムシたちも見えていたらしいですけど。僕には何も見えないので、それがどういう存在なのかよくわかりません」
 鈴音は言いながら少し顔をしかめた。嫌悪するような、そんな表情だ。
「……からかっているわけでは、ないんですよね」
 おそるおそる尋ねてみる。鈴音は薄く笑みを浮かべた。
「そう思われるのなら、依頼を取り下げてもらってかまわないですよ。どこかまっとうな興信所に行ってください。前金は返せませんけど」
 槙は顎に手をあてて考えた。しかし考えたところで理解などできるはずもない。見えない存在。そんなマンガや小説のような話、小学生でもいまどき信じることはないだろう。だが、どうやら彼女たちは本気のようだ。普通ならばここで依頼を取り下げ、彼女の言うようにまっとうな興信所を探すべきかもしれない。だが、槙は昨日、妹の友人に会って話を聞いたのだ。彼女たちが指輪をどのようにして探したのか。それによれば、この二人は一歩も部屋から出ることはなかったという。何もしないままぼんやりしているので苛立ってきたころ、美鈴が指輪の在り処がわかったと言い出した。その時間、わずか三十分。そして電話で確認してみると、美鈴が言った通りの場所に指輪はあった。超能力としか思えなかったと彼女は言っていた。彼女の友人にも、何人か依頼した者がいるようだが、その誰もが同じことを言っていたらしい。
「マッキーも、わたしたちのこと頭のおかしい奴とか思ってるんだねえ」
 美鈴が机に肘をついて呟くように言った。槙は慌ててそれを否定する。しかし彼女は「いいんだって」と笑った。
「慣れてるんだから、そういうの。ねえ、鈴音」
 鈴音はケーキにフォークを刺しながら頷いた。
「陰で僕たちのことを変人だ、異常者だと言ってる奴らが、いざ困るとへつらいながら物を探してくれと頼みに来るんだからね。それで見つけてやるとまた、こいつらは頭がおかしいとか化け物だとか言い出すんだ。自分勝手だよね。どうせ僕たちのことを外で吹聴している連中も、そういう奴らばかりだよ」
 そうだろう、というように彼女は槙に視線を向けた。しかし、少なくとも直接話を聞いた妹の友人からはそんな雰囲気は受けなかった。単純に不思議がっていただけだ。そう伝えると鈴音は思い出したように頷いた。
「ああ、たしかに指輪の子は素直そうだったかな。珍しく」
「だから依頼料も格安にしてあげたんだよね」
 美鈴の言葉に鈴音は頷いた。ふとその値段が気になって尋ねてみると二千円という答えが返ってきた。槙は思わず目を見開いて机に置かれたままの封筒を見つめる。
「……二千円、ですか」
 自分は前金ですら二万だったというのに。そんな槙の思いを鈴音は鼻で笑う。
「これ以上払うのが嫌ならお引取りくださっても――」
「いえ。よろしくお願いします」
 鈴音の言葉を遮って槙は姿勢を正し、頭を下げた。もう前金は払ったのだ。捜索が失敗したとしても、経費以外請求されることはない。ならばこのまま調査を続行したほうがいいに決まっている。それに、正直言って好奇心もあった。
「じゃあ、とりあえず……」
 顔を上げると鈴音は残念そうな表情を浮かべていた。そして紅茶のカップを持ったままソファへと移動する。美鈴が不思議そうにその姿を目で追った。
「なにするの?」
「宿題」
「じゃあ、このケーキ食べてもいい?」
 鈴音の皿にはまだほとんどケーキが残されたままだ。いいよ、と鈴音は言って鞄から教科書とノートを取り出した。美鈴は嬉々として残されたケーキにフォークを向ける。
「すごいですね」
 思わず呟くと、美鈴は不思議そうに顔を上げた。
「なにが? てか、マッキーも食べなよ。待ってる間、やることもないんだし」
「……いただきます」
 素直にケーキを食べ始めると美鈴は嬉しそうに笑った。

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