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リンネの目 ⑩『再開発』

 夕食を終え、美鈴たちが風呂に行っている間に槙は本館へ向かった。村についての情報を集めようと思ったのだがフロントに人の姿はない。何人で業務をこなしているのかわからないが、おそらくスタッフの数は少ないのだろう。もしかすると坂上と守屋の二人だけかもしれない。そう思ったとき、フロントの奥から白い調理服を着た若い男が出てきた。彼は槙に気づくと愛想のよい笑みを浮かべて軽く頭を下げる。
「どうかされましたか。あ、売店ですか?」
「あ、いえ、まあ」
「売店、そっちの奥なんですよ」
 言いながら彼はフロントから出ると、斜め向かいにある太い柱の方へ移動する。そこは四畳半ほどの狭いスペースだった。置かれた木製の棚には菓子やつまみが並んでいる。レジは見当たらない。まるで駄菓子屋のようだ。だが、棚の隣に設置された細長い自動販売機だけはその雰囲気に合っていなかった。男は棚の向こう側へと回って「商品、これくらいしかないんですけど」と申し訳なさそうに笑った。
「たしかに少ないですね」
 正直に答えて笑いながら、槙は彼の左胸にある刺繍に目を向けた。
「坂上、さん?」
 彼は自分の胸に目を向けて「ああ、これ学校のときに使ってたものなので」と恥ずかしそうに頭をかいた。
「たしか、女性の方も坂上さんでしたよね」
「ええ、妹です。この宿は自分と妹の歩、あと幼馴染みの守屋の三人でやってるんですよ」
「そうなんですか。三人で――仕事、回りますか?」
「それが大丈夫なんですよね。お恥ずかしい話、オープンしてから今まで満室になったことがないもので。のんびり仕事ができて自分的には満足なんですけど」
 なんと答えればいいのか思い浮かばず、槙は笑ってごまかす。それでも営業が続けられているということは、少ないながらも継続して客が来ているのだろうか。
「あ、食事美味しかったです。ごちそうさまでした。オムライスまで作っていただいて」
「ああ、いえ。あまり豪華なものじゃなくて申し訳ないですが」
「いえ。本当に美味しかったです。ここはとてもいい宿ですね。連れも喜んでましたよ。ネットとかで紹介すれば、もっと人気が出ると思いますけど」
 うれしいなぁ、と坂上は頭を掻く。
「だけど、村の人は自分たちが余所者を呼び込むと言ってあまり協力的じゃないんです。せっかく来ていただいても、邪険な扱いをされることが多いらしくて」
「村の人たちはって……。坂上さんはこの村のご出身ではないんですか?」
「ええ、まあ。自分たちは二十年くらい前に越して来たので。この村の中心部、行かれました?」
 槙は頷く。
「あそこ、中途半端に開発されてたでしょう? 二十何年か前に、市の補助を受けて村おこしの計画があったんです。もっと人の出入りを多くさせて過疎に歯止めをかけようっていう。そのときに自分たちは越してきたんですよ。土地もかなり安く売り出されていて、街に続く道も新しく作られるっていうんで」
 今、この村にいる二、三十代のほとんどがそうなのだと彼は言った。
「ああ、すみません。変な話を……」
 槙は首を横に振って、時間があればもう少し話をしないかと誘ってみた。彼ならば色々と詳しく話してくれそうだ。坂上は困ったように視線を彷徨わせる。
「あ、お仕事がまだ?」
「いえ。片付けも終わりましたし、今日はもう」
 おそらく客と雑談をしてもいいものかどうか悩んでいるのだろう。槙は適当につまみを手にとって代金と一緒に彼へ差し出す。
「じゃあ、これでも食いながら。少し息抜きしましょうよ」
 本当は俺が息抜きしたいだけですけどねと槙は言葉を付け足す。坂上は不思議そうにこちらを見たが、すぐに納得したような顔で頷いた。
「大変ですね、引率ですか?」
「まあ、そんな感じで」
 槙は入り口近くのソファへ移動するとテーブルの上に買ったばかりのナッツの袋を開いた。槙が酒は呑めないと言うと坂上は炭酸飲料を出してくれた。そして向かいに座り、何か聞きたそうな視線をこちらに向けてくる。きっと槙と美鈴たちのことを聞きたいのだろう。正直に宿帳に全員の名前を書いたのだ。兄妹という言い訳は通じない。どう答えようか。
「親戚の子なんですよ、あの子たち」
 考えた末、槙は答えた。できるだけ自然な笑みを浮かべてナッツを一粒口に運ぶ。
「ああ、そうなんですか」
 坂上はホッとしたような残念そうな、複雑な表情を浮かべた。槙は苦笑しながら彼女たちの学校が明日休みなので連休を利用して旅行に来たのだと説明した。
「なるほど。だけど、どうしてここに?」
 言ってから彼は慌てて「こちらとしては有り難いんですけど」と手を振る。
「ただ、この村って名所的な場所もないですから」
「ええ。じつは――父の昔の知り合いにこの村出身だった人がいたんですよ」
 槙はふと思いついて、兼村の名を口にした。自分が産まれる前の古い知り合いで、父がよくこの村の話をしていたのだと適当に説明をする。
「兼村さんですか。聞いたことないですね。この村、家が少ないので名前はだいたい知ってるんですけど」
「そうですか。じゃあ、ご実家はどこかへ越したのかもしれませんね」
「そうかもしれませんね。……そのお父様のご友人は今どちらに?」
「亡くなったと聞いてます。たしか二十四年前ですよ。俺はまだ産まれてないのでよくわからないんですが、事件か何かで」
 言いながら槙は坂上の表情を窺う。彼は興味深そうに頷いた。
「へえ、二十四年前っていえば、ちょうどこの村の再開発事業が始まった頃ですね。俺たちがここに越してくる前の話かな」
 坂上は思い出すように言いながらナッツをつまむ。槙は不思議に思って首をかしげた。
「坂上さんたちは再開発のときに越して来られたんですよね?」
「ええ。けど事業開始と同時に越してきたわけではないですから、越してきたのは――」
 二十一年前ですね、と彼は言った。
「だからそれ以前のことはあまり知らないんですよ。昔からの住人たちとあまり関わりもないですし。住んでる地区も分かれてるので」
「分かれてる?」
「はい。俺たちが越してきたのは再開発で作られた住宅地なんです。市街地寄りの。ここへ来るまでに通りませんでした?」
 ナビに従っていたら裏の方から来てしまったと答えると坂上は気の毒そうに目を細めた。
「あっちから来られたんですか。道、悪かったでしょう? それにあちら側は村の人しか寄りつかない場所ですし。嫌な思いされませんでした?」
「いえ、特には。ただ、立ち寄った雑貨屋にいた人たちが少しよそよそしかったくらいですよ」
 そうですか、と彼は安堵した様子を見せた。
「そんなに村の人たちは余所から来た人を嫌ってるんですか?」
「嫌っているというか、村に近寄らせたくないみたいで。前に泊まっていただいたお客様はこの宿で少し前に殺人事件があったとか、根も葉もない話を聞かされたようで。俺が刑務所帰りだとか」
 槙が目を丸くすると、彼は「嘘ですよ」と笑った。しかし、すぐにその表情をしかめる。
「ほんとに、いつもフォローが大変なんです」
 それでリピーターも望めないのだと彼は深くため息をついた。
「大変ですね。こんなにいい宿なのに」
 槙が言うと坂上は力なく微笑んだ。もともと、こういう山間部の村というのは閉鎖的だという印象はある。外部からの侵入を嫌う。それもわかるが、しかし村は再開発が行われていたはずだ。それはつまり、村の者たちも外部との関わりを持とうとしたということではないのだろうか。そう尋ねてみると、坂上は少し身を乗り出して自分の膝に肘をついた。
「それがどうも違うようなんですよね。再開発について、村は全体的に反対だったそうなんです。だけど、どういうわけか村の土地を一気に市が買い取ったらしくて。市はこの土地になにか観光施設を置こうとしていたらしいですよ。それがまあ、バブルが弾けての資金難で凍結されてしまったらしいんですけど」
 市はそれきり開発から手を引き、結果、あのような状態になっているのだと彼は言った。
「開発に反対だったのなら、どうして土地を売ってしまったんでしょうね」
 それなんですよねと坂上は頷くと腕を組んでソファの背にもたれる。
「俺も大人になってその話を聞いたときに不思議に思ったんで、親に聞いてみたんですよ。けど、親もこの村に知り合いがいるわけじゃないですから当時のことはよくわからなくて。学校の同級生とかに聞いたりもしたんですけど、どうやら村出身でも俺たち世代の奴は何も知らないらしくて。詳しいことを知ってるのは親世代みたいなんですよ。だけど、ここの大人たちは本当に口が堅くて」
 坂上はため息混じりに言って肩を竦める。
「諦めたんですね」
 坂上は笑った。そしてふと槙の肩越しに視線を向けて「あ、どうされました?」と腰を上げた。振り返るとセミロングの少女が立っている。
「お風呂上がったんですね。沙歩ちゃんたちはもう部屋に?」
 彼女は頷くと視線を奥へと向ける。何か探しているのかと問うと、彼女は「ケーキを」と答えた。
「ケーキ?」
「美鈴が、食べたいと言うので」
「え……」
 思わず槙は眉を寄せる。そして、ようやく彼女が美鈴ではないことに気づいた。目の前の彼女は冷めた視線を向けてくる。
「今、間違えましたね?」
「いや、そんなことは……。あ! ケーキ、ありますかね?」
 笑ってごまかしながら坂上に尋ねる。彼は不思議そうな表情を浮かべて「いえ」と答えた。
「申し訳ないんですが、うちにケーキは」
「ですよね」
 さきほど見た限り、売店にあるのはスナック類とつまみだけだ。
「コンビニなら売ってると思うんですが、近くの店は九時に閉まるんですよね」
「え、早いですね」
 今は午後九時を過ぎたところだ。もう閉店しているのだろう。
「少し遠くてもよろしければ、自分たちの実家近くにコンビニがあるんです。あそこは二十四時間営業ですから」
「じゃあ行ってこようかな。ナビで行けますかね?」
「大丈夫だと思いますよ」
 坂上は頷いた。しかし、念のため簡単に道順を教えてもらう。その説明を鈴音も熱心に聞いていた。
「俺一人で行ってきますから大丈夫ですよ」
「いえ、一緒に行きます。あなた一人では頼りないですから」
 そのとき、背後で声が聞こえた。振り返るとセミロングの少女と沙歩が並んで立っている。少女の右手首には紫のリストバンド。今度こそ美鈴に間違いない。
「ケーキあった?」
「ないよ。だからコンビニまで買いに行ってくる」
 美鈴はそれを聞くと「じゃあ、いいよ」と首を振る。
「ないんだったらしょうがないし。わざわざケーキ買うために出るっていうのも悪いしさぁ」
「食べたいんでしょ?」
 鈴音が言うと美鈴は小さな声で「食べたいけどさ」と答えた。
「車ですから大丈夫ですよ。お二人は疲れてるでしょうから、部屋で休んでいてください」
「んー。じゃあ、お言葉に甘えて」
「ああ。皆さん、こちらにいらっしゃったんですか」
 そう言って現れたのは坂上の妹の歩だった。彼女は兄の姿を見ると不思議そうに眉を上げた。
「兄さん、まだ調理服?」
「あ、すみません。俺が話につき合わせてしまって」
 頭を下げると彼女は慌てて両手を振った。
「ああ、いえいえ。そんな謝っていただくようなことじゃないですよ」
「槙さんたち、今からコンビニへ出かけられるんだ。だから道をね」
「あ、そうなの。この時間だと向こうのコンビニね」
 坂上は頷いた。そして「何か用事か?」と問う。彼女は思い出したように頷いた。
「そろそろ、お布団を敷かせていただこうと思って。よろしいですか?」
「はい、お願いします。俺と彼女は出ますが、そっちの二人は残ってますから」
「わたしたち、手伝いますから!」
 美鈴は沙歩の手を掴んで、ぐいと挙げた。あら、と歩は嬉しそうに笑う。
「美鈴、邪魔しないようにね」
「しないよ。ちゃんと手伝えます。子供じゃないんだから」
 美鈴は頬を膨らませると沙歩と手を繋いで部屋へ戻っていく。歩も軽くこちらに頭を下げてその後に続いた。
「じゃあ、俺たち行ってきますね」
「万が一、迷ったら電話してください」
 坂上の言葉に「わかりました」と頭を下げて槙は鈴音と一緒に外へ出た。

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