リフレクションジャーナルを再び#1
ナラティブに関する勉強会に参加したのは3月だった。そこで紹介された「物語としてのケア」を半年以上経った今日よむ。
コーチングや教員として人と関わる中で“ケア”に関わることは少ないかもしれないけどその要素がないわけではない。というよりこの本は、自分との関係性をよくしたいと思ったからこそ読み始めたのだった。
読みながら思ったこと。
リフレクションジャーナルを再開しよう。
物語は語ることによって(言葉にすることによって)物語となる、というようなことが書かれていた。語流だけでは不十分で、誰かにその語りを聞いてもらってこそらしい。他者の存在が大事だな〜と思っていたけど、何も別に直接聞かれなくてもいいことに気がついた。それはリフレクションジャーナルを知っていたからだ。
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誰が読むかもわからない、でも誰かが読んでくれるだろう。そんな信頼が物語を物語とさせてくれる。でもそうか、別に読まれなくても構わないのだ。だって自分が読むのだから。
リフレクションジャーナルをやる目的はいくつかある。
①振り返り、自己成長につなげるため
②書くことによって書く力そのものを向上させたいため
③自分の思考の軌跡をただ残すため(①のためか)
以前やっていた時はそのようにしてやっていたと思う。でも、一番は「リフレクションジャーナルがいいらしい」というどこかの誰かの声に従っていただけだ。
誰かの物語を生きようとしていたのだと思う。
でも、これからの目的は違う。正確に言えば以前のものは内包しつつも、ただ「自分との関係性をよくしたい」これに尽きる。
そのために、自分がどういう物語で生きているのか、自分がその物語をどのように語っているのか、そしてその語りをどのような物語としてみているのかをただ知りたいのだ。今はそれだけで十分だろう。
できれば毎日続けたい。なので、一つだけルールを設けよう。
リフレクションジャーナルにかける時間は5分とする。
もちろん時間に余裕があれば、もっと時間をかけてもいいとしよう。そして、毎日続けなくてもいい。単に今の自分が毎日続けたいと言っているに過ぎないのだから。
そうだ、10月3日は一粒万倍日だった。それでふと始めようと思ったのだった。どんなものが実るのだろうか。実らないのかもしれない。それも含めて今はとても楽しみだ。
2021年10月3日23:50