変わらない起きた事実
例題
りんご🍎が □個あったのに
25個盗まれた
残りは5個
盗まれる前のりんご🍎は全部で□個だった?
正解
25(盗まれたりんご)+5(残りのりんご)
=30(盗まれる前のりんごの全部の数)
この算数は簡単で殆どの人が正解を導く
「人と人との日頃の会話はどうやろか?」
この簡単な計算のような会話?を
成立できない人が多い気がする。(来夢)
あの人もそう言うてたけど、
あの人も成立できない人のひとりやと思う。
成立できない人は物事のぼんやりした
イメージ(先入観)を優先して話し出す。
そうなると、こんな式になるのかな?
盗まれたりんご25 ― 残りのりんご5 = 20
(盗まれる前のりんごは全部で20個)
会話の中で変わらないのは「証拠(事実)」
それを理解していれば「ピントがズレない」
曖昧にぼんやりと物事を捉えたり
猜疑心で鼻から物事を穿った視野で捉えると
子供の時に習った簡単な計算問題も
解けていないようなことになる。
算数はなんのために習った?
算数は「物事を的確に矛盾無く決める為」に
生まれたと聞いたけどな、、
本当に賢い考えの人は
人と人が公平になることを考えてる
算数を生み出した人もそのひとりやな。
人が、あーだから、こうだから、
だからなんやねん?
俺はそう思う。
人を裁く(批判し続ける)より
自分の良さを引き出し続ける
そのヒントは
簡単なところに隠れてる。
そう思う日々、、
影中 来夢