不登校を乗り越えて2起立性調節障害
これは、息子と娘が不登校になった頃の記録です。
ご興味を持っていただけましたら、不登校を乗り越えて1~今悩んでる人へ~からお読みください!(^^)!
ウイルスに対して神経質になる
2022年。今でこそ、ウイルスにいつ誰が感染してもおかしくないと言える世界になったが、当時はまだ違った。
初めて聞く未知のウイルスが国内に入ってきたというだけで外出する人が減って、シーンとした街の風景に、時代が変わった瞬間を感じた。
私たち家族の住む地域は田舎で、感染者はまだいなかった。
隣町に初めて一人感染者が出たとき、その家は嫌がらせを受けたそうだ。
どうやら、家に石を投げつけられたり、塀にいたずら書きをされたらしい。
そして嫌がらせを受けたその方は引越していったという噂が流れた。
この地域に住む人は皆知ってるほどに有名な噂だった。ウイルスに感染するより、風評被害のほうが目立ち、人間の方が怖いとさえ思い震えた。
娘の体調不良
7月に入り、頑張って登校していた娘は頭痛を訴えたり土日に発熱したりした。
その頃は、ウイルスの事があり世間もピリピリしていた。
仕事をしていたら職場に電話がかかて来て、「娘さんが発熱しています」と言われ迎えに行くことになった。
今思えば風邪なのだが、当時は広がるいろいろな情報に惑わされすぎて、ドキドキした。
まだPCRなるものもすぐにうけられるような感じでもなく、病院では風邪薬が処方された。
そしてその後、私は見事に娘の風邪ををもらってしまい、二人で高熱を出してしまった。
息子が起きてこない
中学生になった息子は、卓球部に入部し、すごくストイックに頑張っていた。
小学校の時は毎日食べていた朝食も、食べず学校へ行く日々が続いた。
今思うと新しい生活に慣れないで本人は余裕がなかったのだと思う。
食事の量がやっぱり少ないように感じたが、夏だったので食欲もないのだろうとも思った。
そうしてるうちに、朝起きてこない日が何日か続いた。
起きてきてゆっくり支度し、10時ごろトボトボと登校したり、そのまま昼過ぎまで寝ていることもあった。
学校へ行きたくないのなら気持ちを聞きたいと思って何度も問いかけたが、反抗期で彼との会話がかみあわず話にならない。
最後にはいつも話がもみくちゃになり彼を怒らせてしまう。
(無理やり聞くことはできない。)
このころから息子の部屋の前を通ると、私はなんとも言えない気持ちがして、心が重くてしんどくなった。
小学生の頃は本当に明るくてよく話し、みんなを引っ張っていってくれるような子供だった。
そんな事を思い出し、私は隠れて部屋で泣いた。
(どうしたの?何があったの?学校に行きたくないのなら話してほしい。私は気持ちが知りたい。)
そして自分がどれだけ息子の明るい笑顔に支えられていたか、頼りにしていたかを考えた。とにかく息子に笑って欲しかったし、普通の会話がしたかった。「お母さん、お母さん!」と笑顔で寄ってくる顔を思い出しては泣いた。
息子は部屋に閉じこもり、カーテンも締切り暗くして出てこなくなった。
(どうしてこうなった…?辛いことがあるなら力になるから話してほしい…。)
子供二人共の具合が悪くなってしまい、私も娘からもらった風邪がひどくかかってしまい、なんだかもうめちゃくやな状況になってしまった。
しばらくして、私も娘も風邪は治った。だけど、私はずっと心に違和感があった。
起立性調節障害
ある朝、息子が起きてきた時間は9時ごろだった。学校へは遅れて行くと言うので見守っていた。
モタモタとあっちにいっては、こっちにいってはを繰り返し支度をしている様子だったが、私はじっと黙っていた。
(きっと何かあったんだね。でも理由は絶対言わないのね。気持ちを知れたらもういいと言ってあげたい…。)
すると息子が、私に近づいてきて、一言、「お母さん…。学校行きたくない」と呟いた。
私はすかさず、「そっか。でもよく今日まで頑張ったね!!あなたが行きたくない場所になんてもう、行かなくてもいい!もういい!もういいよ!」
自分が座っていた椅子に息子を座らせて肩をさすった。
息子は安心したようだった。
ただ、起きられない症状や食事が減ったことは心配していた。
息子を説得して病院行くのが、これまた大変だったのだ。
息子の様子をみた私の母は「病院に行こう」と本人を説得してくれた。
母に協力してもらい、病院にかかった。
息子は血圧の検査をうけて、「起立性調節障害」と診断された。
起立性調節障害とは自立神経の病気だそうだ。
憶測だが、楽しかった学校生活は急におわりを迎え、休校から自律神経のバランスを崩しはじめたのではないかと。そして中学生になった事で、環境の変化についていこうと頑張ったが、心も体もうまく対応できなかったのではないかなと思った。
それに、「学校に行きたくない」と彼は言ったので、私は、学校で何かの問題はあったと思っている。
原因がわかって少しホッとした。
しかし、朝、娘を学校へ送りに行くとき、自転車や徒歩で通学する中学生と何人もとすれ違った。
皆の元気な姿を目の当たりにして、涙が出た。
私はまだ心のどこかで、息子の不登校を受け入れきれてなかったようだ。
自分の子供が不登校になることがこんなにも辛く重いことだなんて…。
あなたは、もしも、自分の子供が不登校になったら、それを受け入れる事ができますか? つづく,,,
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