反出生主義が嫌いな理由に挙げた自然について
YouTubeの続きになるんですが、私自身反出生主義がかなり嫌いで、動画内では自然ではないから、という説明をさせていただきました。
ですが、自然ではないってどういうことなの?という人もいると思いますので、反出生主義の補足も含め、できるだけ細かく説明していければなと思います。
”まず、私が言う「自然」という言葉は半分造語みたいなもので、一般的に私と同じような言い方はしないのではないかと思います。なので、造語的な使い方をしているということだけは頭に入れてこの後の文章を読んでいただければと思います。”
最初に皆さんが自然と聞いた時に想像するものは何でしょうか?
人によっては木々、動物、災害、天気など、いうなれば人間の手がほとんど及んでいないところで暮らしている象徴のような存在をイメージするかと思います。
確かに、自然に存在するのは今あげたようなものだと思うんですが、逆に言うと、今言ったものがなければ自然ではないか、というとそんなわけはないというのも理解できるのではないかと思います。
というのも、人間の手が付けられていない場所であっても動物が存在しないところもあれば、砂漠などの木々がほとんど存在しない場所もあります。
宇宙まで含めるのであれば災害もなければ天気すらありません。
もっと言うのであれば、人間の営みは自然ではないのでしょうか?
人間は人工物を作り生活しているため、自然ではないと感がられるのかもしれませんが、ほかの動物を見てみると、人間ほどではないにしろ何かを作り出し、活用しているものもいます。
鳥の巣、うさぎの巣の穴、ラッコの石など、作り出しているという点であれば、ある意味では人工物といえてしまいます。
となると、人間が欲求に任せて家などの建物、道具を作ることは自然的ともいえるのではないかと思うのです。
でも、別にすべての道具がなければ人間が生きていけないわけではないし、ほかの動物も同様です。
じゃあ自然って結局何なの?ということになると思いますが、一言でいうのであれば、つかみどころがないが、それがなければ存在しえないものになります。
さっきもいったように、人間はいてもいなくても世界は存続するだろうし、一部の動物が絶滅したところで、生態系がとんでもないことになることは少ないでしょう。
でも自然というものはよくわからないバランスのようなもので保たれています。つかみどころももちろんありません。
これが私の考える自然の考え方なんですが、ここで一つ疑問が出てくるものとして、反出生主義によって人類が絶滅しても、自然には影響しないのだからいいのではないか、という意見があるかと思いますが、それは自然をはき違えているのではないかと思うのです。
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