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本当に大切なことは目には見えない【24.2.12】

・昨晩の残りの鮭カレーを温めて朝食にする。朝に食べる二日目のカレーほど素晴らしいものってあまりないのではないか、と思う。

・一週間ほどハイダグワイまで遊びに来ていたまりこも、今日の便で本土に戻り、明日日本に帰る。サンドスピット空港を15時に出発する便だ。サンドスピットまでは三時間ほどかかるので、昼前に家をでる。

・最後に少しビーチに行きたい、と彼女が言うので、隣のサルサも連れて外に出る。遠野の友人が僕のいつもランニングコースにいるというのがやはり不思議だ。

・潮が大きく引いている。ビーチは昨日の満潮線から300メートルほど後退し、海水がゆっくりと引いていく砂浜はまるで鏡のようだ。サルサは何度も木の枝を投げてと走り回り、少し離れたところでまりこが歌いながらついてくる。

・「はじめての海外旅行は10年前、おばあちゃんと家族とベトナムにいった」と彼女は言った。「そして今回が初めての海外一人旅だったんだけど、おばあちゃんが一緒に来てくれているような気がするの」

・遠野では故人は山に還ると語られ、ハイダの人々は人は死ぬ際にカヌーに乗り、引き潮と共に海に旅立つと教えられる。生まれ育った遠野盆地の山を越え、太平洋を渡ってきた彼女は、その引き潮に何を見ていたのだろう、と思う。水平線はあくまで白く、遠くに見えるはずのアラスカは今日は望めなかった。

・マセットからサンドスピットを目指して車を走らせる。道中のポートクレメンツ村で、もう一度訪れたいと頼まれていたゴールデン・スプルース・トレイルに寄る。

・「やっぱり二月の、この新月のタイミングでここに来れて、本当に良かった」おもむろにブーツを脱ぎ、彼女は裸足で苔むす森に踏み出す。裸足で森を歩くことの大切さを教えてくれたウプサラ時代の友人のことをふと思い出す。

・「日本でハイダの神話は生まれなかったのと同じように、この地で『もののけ姫』が生まれることもなかっただろうね」とまりこが言う。「その地の自然が人間に訴えかけてくるメッセージというのは、いくら植生が似通っていたとしても全く違うものなの」
ハイダグワイにいる一週間、彼女は自身が自然から感じたことの多くを僕に伝えてくれた。その真意のほとんどを、僕はなんとなくでしか理解できていないと思う。ただ、それほどまでのメッセージを自然が僕たちに伝えているということは、すん、と心に落とし込む形で感じ取ることができた。

・サンドスピット行きのフェリーのゲートが閉まる寸前でなんとか乗船し、南島に渡る。二匹のワタリガラスが何か意味ありげにフェリーの管制部の上で声をあげていた。

・「言いたいことは大体伝えておいたはずだから」とまりこは助手席で旅を振り返り、一仕事を終えたかのごとく言った。「去年の夏に遠野に来た時、丹内山神社に連れて行ったでしょ?その時に、君はある荷物を持たされてこっちに来たのよ」
「荷物?」
「君は土地に呼ばれて二年前遠野に来たのだし、今回もこの土地に呼ばれて君はハイダグワイにいる。私も同じ。そうでなきゃ、こんなところには行きつかない」

・本当に大切なことは目には見えない。その目に見えない何かに対して、どれだけ感覚を澄ませることができるか。太陽を、月を、海と風を読み、どれだけ自身の野生を呼び起こすことができるか。そんなことの大切さを、今回の友人の訪問で再認識した。

・彼女はサンドスピット空港の出発ゲート(とはいっても実家の部屋の扉のような簡素なものだが)をくぐり、にこやかに、そしてまるで何かのしるしのように手を挙げ、消えた。小さなプロペラ機はささやかな騒がしさを残し、2月にしては珍しく雲ひとつないハイダグワイの空に飛んで行った。

・サンドスピットに来ることは当分ないだろうと思い、近くのトレイルを歩く。ドーヴァー・クリークというトレイルがフェリー乗り場までの道のりにある。昨日タモに教えてもらったものだ。

・すぐそこの湾に流れ込む小川が心地よい音を立てている。じっとりと生命の香りを含んだ空気が支配する空間だ。傾きつつある陽光が木々の隙間から差し込み、苔だらけの地面をパッチワークのように彩っている。滑らないように気をつけつつ、森を歩く。友人が日本から持ってきてくれた言葉を消化する、ひとりの時間が必要だ。

・都会でひとりぼっちでいることは孤独だけれど、自然の中でひとりぼっちでいることには寂しさは存在しない、と彼女は言った。自分が住んでいる場所に友達が遊びにきてくれるということは、大学を卒業して東京を後にして以降、度々あった(大変ありがたいことだ)。友人が帰って一人残された時には、心にぽっかりと穴が空いたような、そこはかとない寂寞を抱えたものだった。ただ、今回友が去った後に自然の中にひとりで立ち尽くしていると、何かしら諦観のようなものを得た感覚があった。

・人はある時に現れ、そして時がくれば去っていく。それが理というものだ。僕たちは結局のところ、この地球において、ひとりで自分の生と対峙せねばならない。そんな半ば諦めにも似た感情である。

・フェリーでスキディゲートまで渡り、マセットを目指してひた走る。何か物語が欲しくなって、オーディオブックで村上春樹の短編集「女のいない男たち」を聞く。この短編集に収録されている「イエスタデイ」が気に入っている。

・帰宅して、残りのカレーライスを平らげてしまう。なかなか長い運転だった。一缶残っていたビールを飲む。

・その夜、別の友達と電話をする。つい最近会社の登記を済ませたというので、どんなビジネスをやっていくかについて聞かせてもらう。外国人観光客向けの食事オプションを増やすことや、いわゆる観光ランドマークではないローカルな場所に案内するようなアイデアを練っているらしい。

・その土地や人々のあいだにあるコンテクストをいかにリスペクトするか、という主題で面白い会話ができた。UAEに留学経験があるその友人とは、日頃頻繁に連絡を取り合うわけではないけれど、数ヶ月に一回まとまった時間話し込むというのが恒例になっている。いる場所や仕事内容がここまで離れていても、コアにある部分で話し合えるのは楽しい。

・まりこが置いて行ってくれたテニスボールで筋膜リリースとストレッチをし、心地よい眠気に誘われてベッドに潜り込んだ。

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