ビーチを爆走し、猫が失踪する【24.3.9】
・「いいサーフが立ってそうだ。ビーチで焚き火を焚いてスープとパンを作ってランチにしよう」朝起きたあとのコーヒーを啜っていると、同居人のタロンが興奮気味にやってくる。今日の満潮は12時過ぎ。10時過ぎに出かけることにする。
・トラックにダッチオーブン、水筒、スープとパンの材料、焚き火用の薪、ウェットスーツを積み込む。アーセナルの試合は後半途中でスコアはドロー、惜しかったが勝ってくれることを祈って助手席に乗り込む。
・こうしてタロンとふたりでトラックに乗り込み、外遊びに出かけるのも久しぶりだ。彼も僕もここ二ヶ月ほど仕事で忙しく、昨年夏や秋のように魚釣りや狩りに出かけることも減っていた。
・家からビーチづたいに東に10分ほど走ったところにタグワールというサーフスポットがある。11時前に着くと、すでに海には真っ黒の分厚いウェットスーツを着たサーファーたちがそこかしこに浮かび、波を待っていた。60キロ向こうのアラスカの島々が望める晴天、風もほとんどなく、波もいいサイズのものがテンポよく押し寄せている。シーズンのなかでも特に素晴らしいコンディションだ。
・ファイヤピット(焚き火口)でも子供達と犬が遊んでいた。近所の友達に挨拶をし、いい波に乗った仲間たちに口笛を吹いて冷やかす。長い木の棒を3本建てて即席の囲炉裏を作り、そこにダッチオーブンをぶら下げる。チキンと野菜を炒め、スパイスを加えて鴨の出汁で煮込む。
・スープを煮込んでいる間、海に入る。ウェットスーツをぎこちなく着込み、ロングボードを担ぐ。波の小休止をぬってパドリングして沖に出る。
・久しぶりのサーフィンということもあったのか、それとも今日の波は初心者には大きすぎたのか、なかなかテイクオフすることができなかった。波を掴んで立ち上がるのが遅いのか、ボードごとひっくり返されてしまう。30分ほど波に流され巻き込まれ、海から上がった。今日はむずかしい。
・ファイヤピットには二時間以上も海に入っていた友達たちが暖をとっていた。タモとラヴィは興奮気味。僕と交代でタロンがハンナと海に入る。スープ番をする。いつもの小さなサーフコミュニティの友達のほか、サーフ旅でハイダグワイに二ヶ月ほど来ている、というカップルもいる。
・ハイダグワイ北浜は特徴的な形をしている。半円とまでは言わずとも、ゆるやかなお皿のように湾曲しながら長いビーチが続いている。そのため、風の吹く方向によっていい波が立つ場所が変わる。遠浅の砂浜は素晴らしいサーフを立て、その日の時間によって好きな場所を選んで波に乗ることができる。水温が年中10度台ということを気にしないハードコアなサーファーにとってはたまらない環境なのだ。
・タロンたちが海から上がってきたタイミングで小麦粉に水を加えて練り、簡単なビスケットを焼く。スープの付け合わせだ。チキンスープをコリアンダーと塩で味を整える。
・焚き火の横、サーフ上がりにビールを傾けながら、鴨の出汁の効いたチキンスープをいただく。素朴な味が身に染みる。ビスケットも上出来だ。つくづく料理のうまい同居人がいてラッキーだと思う。3歳のタリアとサシャも嬉しそうに方張っている。
・「夕方、潮が引いたらスピットまで行かないかい?」とタモ。スピットというのはハイダグワイ東端のローズ・スピット(岬)だ。ビーチを30分ほどドライブした先にあるサーフスポット。サーファーの皆はにんまりとして頷く。
・焚き火を囲んでのんびりとしていると、どこからともなく色んな人がビーチにやってくる。タロンも誰彼構わずスープを勧め、いっしょに火を囲んで食べる。親子連れがおり、カップルがおり、孤高のサーファーがおり、散歩に来たおじさんがいる。犬たちもたくさん。世界の隅っこのすばらしい週末である。
・「先週はレノ湾(ハイダグワイ西海岸)でダイビングをしてきたんだ。世界が変わったよ。地球の表面の七割ちかい海の下に、まだ知らない世界がたくさんあるんだ、って」
素晴らしい波を数本乗って満足げなジェフが、妻のクララが海に出たのと交代で子供をあやしながら語る。潜って美しい場所もあれば、波に乗って楽しい場所もあり、漕いでしか辿り着けない場所もある。こんなに小さな島なのに、すべてを味わい尽くすには人生がいくつあっても足りないよな、と笑い合う。
・焚き火を片付け、一度家にジャケットを取りに帰る。猫も連れていくか、とタロンがサミーをトラックに乗せる。後部座席には我が家の犬のウォーリー、そしてサミーが行儀良く座る。待ち合わせ地点には数台のジープとトラックに友人たちが乗っている。窓ガラス越しに頷き、ビーチを東に直走る。
・「こんなに飛ばしたことねえよ!」とタロンは興奮して叫ぶ。アクセルをベタ踏みしたトラックは、潮の引いたビーチを160キロで走る。タモたちのジープも追走する。マッドマックスの世界線のように、数台のトラックがショックウェーブにも似た水飛沫を立てて爆走していく。
・川を渡り、ビーチを走り、また川を渡り、ビーチを暴走してスピットに着く。家の前のビーチは北向きだが、スピットまでくると西向き、ちょうど太陽が沈んでいく様が見える。心なしかアラスカの山々も近く見える。いくつかの島は白く雪を抱いている。あそこでスノーボードしてえな、とダンがスーツに着替えながら言う。
・スピットの波はタグワールの波とは比べ物にならないくらい早く、大きい。上級者向けのサーフスポットである。僕はそんな波に打ち勝てるほどまだ上手くないので、浜で焚き火をしてサーファーを眺める。10人ほどが浮かんでいる。
・そういえば、スピットに着いてすぐ猫を離したんだっけな。猫をビーチに連れて行っても、いつもすぐ走ってトラックに戻ってくるから放っておいていいだろう、とタロンが外に出したのだ。
・僕らのトラックを探してみても、どこにもいない。周りの車の下を覗いても、いない。これはまずいことになった。猫が家から飛び出して二週間帰ってこないことはあったが、あれは家の周りだからよかった。今回は島の東端、流木と草っ原しかない遠隔地中の遠隔地である。隠れる森もない。外にはイーグルもたくさん飛んでいる。
・皆が海で波乗りに耽っている間、浜では僕とタロン、そして海に入らなかった友達たちで必死にサミーの名前を呼ぶ。手がかりはない。「犬も人間もたくさんいるし、隠れる場所もないし、どこかで息を潜めてるんじゃない?みんなが帰れば出てくるよ」とローラ。
・日が沈み、どんどん暗くなり、焚き火がどんどん強くなる。海に入っていた勇者たちも体を震わせながら暖をとり、ソーセージを焼いて食べる。ミドリが鮭おにぎりを持ってきており、2個ほどいただく。絶品。
・焚き火を囲んでいつもの友達や久しぶりに会う友達を話す。焚き火は最高の談話室をつくってくれる。
・真っ暗になるに連れ、どんどんと車が去っていく。そのたびに猫が飛び出してこないか確認しつつ、失望する。最後に残されたのはルークたちと僕らのトラックの2台。「明日、猫のおやつの袋を持ってきて探そう」とがっかりしたタロンが言う。
・ルークたちが去り、最東端のビーチには焚き火とタロン、寒そうに丸まるウォーリー、そして僕だけ。もう少し名前を読んで帰ろう、と声をかけようとすと、タロンの携帯が鳴る。さっきまで一緒にいたサーファーのピートだ。
・「うちのトラックの助手席の下に猫がいたんだけど、君たちの猫?」とピート。僕とタロンは愕然として顔を見合わせる。サミーはビーチについて外に放り出されてすぐ、隣の車に忍び込み、ひとりで昼寝していたのだ。君たちの家の近くまで来ているから、家に帰しておくよ、とピートが言う。ひっくり返って笑い叫ぶ僕たち二人を無関心そうに見るウォーリー。
・勝手にヒッチハイクして先に家に帰ってしまった猫。そんな話ある?爆笑しつつ、安堵しつつ、真っ暗なビーチを爆走して帰る。
・家ではサミーがソファの上で丸くなって待っていた。よかった、心配したよ、と餌をあげると、やれやれと言わんばかりにサミーは夕食にありついた。僕たちはサーフと料理、ドライブとたくさんのビールで完全に疲れ切っていた。シャワーを浴びる気力もなく、溶けるようにベッドで眠りについた。