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帰る場所があるということ【ハイダグワイ移住週報#27】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

4/23(火)

バンクーバー国際空港、到着ロビーで目を覚ます。一晩を明かしたベンチはお世辞にも寝心地がいいとは言えなかったが、別にホテルを取ればよかったとも思わなかった。ティム・ホートンでコーヒーとエッグマフィンをテイクアウトしてみる。酷い味だ。

ハイダグワイに飛ぶ便は朝8時。メインターミナルとはかけ離れた、田舎の空港のような南ターミナルからの出発である。ターミナル行きのバスに乗っていると、朝日に照らされてたリッチモンドの街を覗き見ることができる。桜並木が陽光を浴びる様は美しいのに、仕事に向かうのであろう沢山の車と遠くに臨むダウンタウンの高層ビルを見るとため息が出る。つくづくバンクーバーという街に何のときめきも覚えない自分に笑ってしまう。

マセット行きの待合所にはレオナおばあちゃんがいた。
「コーホー!こんなところで何してるのよ!」
「スウェーデンに行ってたんだ。おばあちゃんたちは?」
「ハイダグワイに関する立法手続きで、ヴィクトリアの議会に行ってたのよ」
そういえば、僕がハイダグワイを留守にしている間に大きなニュースが飛び込んできたのだった。ハイダ族評議会とBC州政府との合意がなされ、ハイダグワイ全土におけるハイダ族のタイトル(優先的権利)が認められたのだ。どおりで伝統的衣装に身を包んだエルダーたちがたくさん空港にいるのか、と納得する。

マセットまでの二時間弱のフライトはあっというまで、島の姿が見えるとほっとした。空港ではルークが迎えにきてくれていた。「おかえり!長い旅だったな!」
外に出て息を吸い込むと、生命の香りが満ちていた。すっかりハイダグワイは春模様のようだ。

荷解きをし、ベッドに倒れ込む。長い昼寝をする。夕方に目を覚ますと、ジュディおばちゃんからメッセージが入っている。「あんた帰ってきてんでしょ?今日のウェルネスグループ、来なさいね」そんなこと言われるとNOとは言えない。着替えて久々に自分の車にエンジンをかけ、村に向かう。

毎週火曜日のウェルネスグループだ。いつものメンバーが揃って夕食を食べていた。暖かくおかえりといってもらえるのが嬉しい。コーディネーターのダンはフェールラーベンポラーに興味を持ったらしく、いろいろと質問をしてくる。
「最高なイベントだな。今年応募するよ!」

毎週恒例のカードゲームはさすがに眠かったので辞退する。明日から仕事に復帰するのだ。早めに寝よう。

4/25(木)

時差ぼけの影響か、また朝5時に目が覚める。せっかくなので朝から作業を進める。暗いうちから原稿に向き合うのはなかなか素敵な気分だ。

明るくなり、タロンとサシャが仕事に出掛けていく。僕は炊飯器で米を炊いて朝ごはんの支度をする。ベーコンエッグを照り焼き風に仕上げたものを炊き立てご飯に乗せる。味噌汁はインスタントだが悪くない。

今日から友達がふたり遊びにくる。三週間半北欧の友達たちの家に居候させてもらったあと、すぐに友人を二週間ほどホストするというわけだ。なかなか体力がいるけれど、久しぶりに親友に会えるのは嬉しい。

定刻通りにバンクーバーを飛び立ったというメッセージをもらい、11時過ぎにマセット空港に向かう。素晴らしい天気だ。きっと機内からは美しいハイダグワイの島々を見下ろすことができているだろう。

30人乗りの小さなプロペラ機がささやかな騒音を立てて滑走路に降り立つ。陸上係員が手押し車で荷物を機体のトランクから降ろし、乗降用のタラップがつけられる。ロビーで待っていると、ふらふらとふたりが降りてくるのが見える。

「来ちゃった〜」と実花。久しぶりの再会のハグをする。
「フライトはどうだった?あの飛行機、揺れるでしょ」
「ちょっと揺れたけど快適だったよ。こちらはヘレンね」ともう一人の女の子を紹介してくれる。
「ヘレンです。実花は幸平って呼んでるけど、私もそう呼んでいい?」
「よろしく、よく来たね。そう呼んでくれて大丈夫」

実花は大学一年生の時からの友人。同じ学生団体に所属していて知り合ったのだが、彼女はすぐ辞めたのでなぜ仲良くなったのかはあまり思い出せない。それでも、いつも確固たる自分と独特の発想を持っていて、常に尊敬しつつ付き合い続けている友人の一人である。最後に会ったのは2022年末に東京でビールイベントを開催した時だっけな。

まずは村のスーパーで食料品を買い込み、ガソリンを入れて自宅に向かう。
「ヘレンはアウトドアとか抵抗ない?」と僕が聞く。
「日本で山登りとかは会社の上司とよく行く。ブーツも持ってきたよ」とヘレン。土も触ったことないOLだったらどうしようと思っていたので安心。
「そんな子連れてこないから安心して。ヘレンは体力オバケだから」と実花。

ヘレンと実花はワシントン大学での交換留学時代の友人だという。ソウル大学で宗教学を修めたあと、今は東京でコンサルタントとして働くエリートである。日本語も驚くほど流暢。「高校三年間で詰め込まれたの。語学に力を入れてる学校でね」と彼女。そんなことある?

家について部屋に案内し、家の周りを見せて回る。ウォーリーとサルサも連れていつものビーチに向かう。途中でルークにも挨拶する。いつものランニングコースを通り、ビーチに出る。森の新緑が気持ちいい。北欧に行っている間にハイダグワイにはすっかり春が訪れている。実花とヘレンもただっぴろいビーチを歩きながら気持ちよさそうにしている。

 

家に戻り、さっと昼ごはんにする。ベーコンを焼き、染み出した脂にクリームを注ぐ。そこにスーパーで買ってきたほうれん草を細かく切って入れ、コンソメや塩胡椒で味を整える。パスタを混ぜ合わせてほうれん草クリームパスタの完成。スウェーデンのダニエルが教えてくれたクイックランチだ。

本当に自炊しないの、というヘレンが感心したようにパスタを口に運んでいる。喜んでもらえて嬉しい。
「これから仕事に行くけど、好きに過ごしておいて。家も川も自由に使ってね」
「何かハイダグワイに関する本ってない?」ヘレンが尋ねる。
自分の部屋からハイダ語に関する図鑑、ハイダグワイの料理本、地図、そして星野道夫のエッセイ集を持ってくる。実花はエッセイ集に興味を持ったようだ。「晴れてるし、河原で寝転びながら読もうかな」

彼女たちにトイレや風呂の使い方を教え、仕事に行く。今日のクライアントたちはご機嫌斜めで、ご飯の準備などに少し苦労する。久しぶりに職場復帰したのだからいろいろとキャッチアップが大変だ。

「鮭カレー、いい感じだよ」仕事中に実花からラインがくる。彼女たちが持ってきてくれたカレールーを使ってサーモンのカレーを夕食に作ったらと伝えておいたのだ。

10時過ぎに家に帰ると、ふたりとも風呂上がりのようだ。
「サウナに入ってきたの。自家製サウナルーム、すごい素敵ね」
隣のルークの家のサウナにふたりともお邪魔していたらしい。僕が仕事の間でもふたりの相手をしてくれた隣人に感謝である。サーモンカレーは美味くないわけがない。

コンサルタントとしてゴリゴリに働くヘレンは残してきた仕事を進めなければいけないようで、せっせとパソコンを開いて何か作業をしていた。実花とお茶を飲みながら仕事の話などを聞き、1時過ぎに就寝。

4/26(金)

8時過ぎに起きると、ヘレンはすでに外にいた。彼女はいつも早起きらしい。

カナダっぽい朝ごはんが食べたいという注文を受け、パンケーキを焼く。慣れたもので、7枚ほどさっと焼いてしまう。メープルシロップとジャム、バターも大きく切って乗せてあげる。

曇天だが、今朝はトウ・ヒルを歩きに行くことにする。のそのそと起きてきた実花にもパンケーキを食べさせ、10時過ぎに出発。3時からは仕事だけど、そのまえには帰って来れそうだ。ウォーリーも車に飛び乗る。

車中では僕のSpotifyで実花がK-Popを流す。彼女とは短くない付き合いだが、僕たちの共通の趣味であり続けているのはK-Pop、特に女子グループだ。実花はダンスグループにも所属していて、僕も数回彼女がステージ上で踊るのをみたことがある。
「こんなところでもちゃんと新曲追ってるんだね」僕のお気に入りプレイリストから流れてきたトレンド曲を聞いて彼女は満足そうだ。

トウ・ヒルのトレイルヘッドに着く。ウォーリーは待っていましたと言わんばかりに車から飛び出し、僕たちを先導するかのようにさっさと走っていってしまう。サロモンのしっかりした登山靴を履いてきたヘレンと僕がウォーリーを追いかけてずんずん歩き、その後ろから実花がついてくる。

「ヘレンは日本でもよく登山するの?」
「日本でしかしたことない。会社の上司がよく連れてってくれるの」白いマウンテンパーカーを着たヘレンはいかにもアウトドア慣れした人間に見える。ハイダグワイの森を歩きながら、ソウル大学出身のエリートが東京のグローバル企業で日々戦っている話を聞くのは不思議な感じがする。

雲はそこまで低くないようで、頂上の展望台からはアラスカが望めた。ILLITの新曲を流して実花とふたりで踊り、「トウ・ヒルの頂上で初めて『Magnetic』を踊った人類になったね」とふざけ合う。

潮は大きく引いていて、いつもは水浸しの岩礁地帯を歩くことができる。じっとりと湿度を含んだ風はもうそこまで冷たくなく、色っぽく肌を撫でる。

すぐ対岸にあるハイアレン村のトーテム・ポールを見に行く。近くでは新しいロングハウスが建てられていた。「イエローシダーのいい香りがするだろ!」と工事現場のおっちゃんが楽しげにこちらに叫びかけてくる。

ハイアレン村に建てられている『熊のポール』は、マセットのマスター・カーバーであるクリスティアン・ホワイトの力作だ。百年前のポールをアイデアに、2017年に復元されたその優美なポールには、さまざまなモチーフが描かれている。実花はポールの裏側を注意深く見上げ、ヘレンがポールのモチーフを指さしている。
「あの長い帽子をかぶっているのは?」
「あれはウォッチメン、世界を監視する番人だよ。彼らの帽子に描かれたリングは『ポットラッチリング』といって、ポットラッチを何度開催したかを示す富の象徴なんだ」
上から下までのさまざまな彫刻を読み取れるようになっている自分にも驚く。

家に戻る途中、タモからメッセージが入る。彼もヴィクトリアに出張でまだ帰国してから会えていなかった。「今日帰るよ。夜に村でドキュメンタリー映画の上映会をやるけど、くるかい?」
僕は仕事でいけないが、女子二人に聞いてみると行きたいということだった。タモも大喜びで、ガールズを迎えにいってくれる人を探すよ、とのこと。

家に帰って昨日の残りの鮭カレーをいただく。カレーはやはり二日目に限る。しばらくするとヴァネッサから音声メッセージが届く。看護師である彼女も去年の十一月以降ずっと本土に戻っていた。
「わたしも今日帰ってきたの!あなたの友達、上映会に連れてってあげられるわ」
実花とヘレンが躊躇なく地元イベントに参加したがるのもすごいが、僕の近所の友達たちのホスピタリティにはつくづく感心してしまう。ありがとう、また後で会おうね、と僕もボイスメッセージを入れておく。

夜に仕事を終えて家に帰ると、ちょうどヴァネッサがヘレンと実花を家に降ろしたところだった。
「久しぶりね!」
「おかえり。元気そうでなによりだよ」暗くて顔は見えないけど、ヴァネッサとハグをして再会を喜び合う。
「ふたりを連れてってくれてありがとうね」
「お安い御用よ。映画も見たし、村も案内したし、ホッケーも観にいったの」

実花が今日のマセット村観光の写真を嬉しそうに見せてくれる。よかったね。

4/27(土)

「スピット・ミッションだ!」
朝からタロンが楽しそうに母屋にやってくる。ハイダグワイ西端の岬であるローズ・スピットまでドライブして朝ごはんにしよう、と昨晩に話していたのだ。

タロンのトラックに薪や調理器具、チェーンソーを積み込む。天気が崩れるかもしれないので実花とヘレンに雨具を渡し、トラックの後部座席に座ってもらう。ウォーリーはふたりの間に狭そうに座っている。

タロンのピックアップ・トラックでいつものようにビーチをひた走る。ところどころでイーグルが宙を舞い、ヘレンが歓声を上げて写真を撮る。実花は眠そうに窓の外を見ている。

ローズ・スピットの手前のビーチにいいスポットを見つけ、そこで火を起こすことにする。車に酔ったという実花は少ししんどそう。彼女を車の中に寝かせ、タロンと一緒に火を起こして食事の支度をする。今日はカニ・オムレツだ。

「ふたりでカニの身を剥いてくれ」
じゃがいもを切りながらタロンが指示する。バケツには中くらいのサイズの茹でられたダンジネス・クラブが入っている。もうおいしそうだ。ヘレンにカニの剥き方を教える。
「まず奥歯で殻を割って、指で身をこそぎ出すんだ。ほら、こうやって」
「りっぱなカニだね。美味しいカンジャン・ケジャンも作れそう」
確かに、上海蟹に近いダンジネス・クラブを醤油漬けにしてケジャンを作っても美味しそうだ。七月のカニシーズンになったらやってみよう。

今日の付け合わせは薄く輪切りにしたじゃがいもをオリーブオイルで素揚げにしたもの。剥いたカニの身を各種スパイスで味付けし、グリルの上に広げた卵によそっていく。卵で包み、少し火を通したら完成だ。皿の準備をしていると、日産の黒いトラックもやってくる。ルークとエレーナだ。
「うまい朝ごはんがあるって聞いたぞ!」

ビーチで食べるカニ・オムレツ。卵のとろりとしたまろやかさ、茹でたカニの旨み、土の香りを楽しめるじゃがいもの素焼き。素晴らしい組み合わせだ。
「このオムレツ、今まで食べたものの中で一番美味しいかも…」
ずっと車酔いで無言だった実花も口を開く。

ヘレンがエレーナや犬たちの面倒を見てくれている間、タロンとルークと僕で丸太をトラックに積んでいく。薪用のものはそこらじゅうに漂着しているが、建材に使えそうなレッドシダーがなかなか見つからない。

腹ごしらえをしたあとは岬の先っぽまで向かう。ハイダグワイとアラスカを隔てるディクソン海峡、ハイダグワイとカナダ本土を隔てるヘケート海峡が交差するローズ・スピットは、潮がぶつかり合い、風が吹き抜けていく島随一の荒々しいスポットだ。今日は風がなかなか強く、岬にも高い波が打ち寄せている。
「何かがこっち見てる!」ヘレンが海に浮かぶ黒い頭たちを指差す。
「アシカだよ。あいつらも好奇心が強いんだ」
アシカたちの黒い頭が波の中でゆらめいているのはなんとも奇妙な光景だ。風がさらに強くなり、アゲート石探しに熱中している実花をトラックまで引き戻す。

家に戻り、薪をトラックから降ろす。仕事前に30分ほど昼寝をし、村に向かう。タモが薪風呂に火を入れるよといっていたので、女子二人に伝えておく。

仕事から終わって帰っていると、タモの家の銭湯スペースにはまだ灯りがついていた。
「ブラザー!おかえり!」風呂に浸かったタモが嬉しそうにいう。僕がいない間に銭湯スペースも大きな進展を遂げていた。桶風呂だけだった風呂スペースには寝転べる大きな階段がつき、薪も十分に積み上げられている。実花もヘレンもヴァネッサも気持ちよさそうに浴槽に浸っている。

すぐに家に戻ってシャワーを浴び、水着に着替えてタモの家に戻る。桶風呂の湯加減はうれしい熱さ。四十六度だ。肩まで浸かると、体の底からほっとする。レッドシダーの香りがお湯に移り、まるで香水に包まれている感覚になる。
「これだよ、これ!」感嘆する僕を見てタモも嬉しそう。風呂に浸かるのも実に9ヶ月ぶりだ。

「犬ぞりはどうだった?」タモがカヌーパドルでお湯をかき回しながら聞いてくる。湯もみの要領だ。
「凍えたけど、唯一無二の経験だったよ。スウェーデンの旧友たちとも再会できていい時間だった。アラスカは?」僕が北欧に行く前、タモはアラスカで自身の映画上映ツアーをしていたのだ。
「素晴らしい旅だった。長老たちをつれて、彼らのストーリーを一緒に伝えられるのは光栄なことだったよ」

ヘレンもお湯に浸かり、実花もすっかり体調が戻ったようだ。友達といっしょに湯船に浸かるというのはいつも心和むものだ。地元に帰省すると、いつものメンバーと近所のスーパー銭湯まで自転車を走らせ、湯疲れするまでしゃべったものだな、と懐かしくなる。ハイダグワイの友達と東京の友達が楽しそうに交流しているのも嬉しい。

風呂とサウナで十分に身体を温め、家でデザートをいただく。冷凍ブルーベリーとラズベリーに練乳を垂らし、シナモンをかけたタモのお気に入り「ブルーベリー丼」。ベリーのきりっとした冷たさと酸味を練乳が甘く包み込んでいる。

ヘレンと実花はタモのイスクート旅のアルバムを見ている。毎回彼の家に来るたびにアルバムを開いて感心してしまう。僕も北欧旅とハイダグワイのアルバムをつくろう。タモとヴァネッサにおやすみを言って別れる。

ヘレンは疲れた様子ですぐベッドに上がって行った。ストーブに火を入れ、実花と遅くまで喋る。石灰石で新素材を作る会社で働く彼女の話は新鮮で、エネルギーや政策の話にまで及んだ。

4/28(日)

数週間ぶりの何もない1日だ。1ヶ月弱の旅を終え、帰国後の四連勤。疲れも溜まっている。ゆっくり起きる。

「バンクーバーで買ってきたの。島で絵描きたいなって思って」
11時過ぎに起きてきた実花が取り出したのは油絵セット。すでに風景画の下書きがされており、大人の塗り絵といったところだろうか。「ここから見える景色を描こうかな」
うちのダイニングテーブルからは裏に流れる川と森が綺麗に見渡せる。下書きされた謎の海の街の絵を完全に無視し、そのうえに我が家からの景色を描こうというわけだ。絵の具を器用にパレットに出し、描き始める。

天気もよくなってきたので、ヘレンと軽くランニングに出かける。
「ヘレンはなんで日本で働いてるの?」彼女はソウル出身の韓国人だが、驚くほど流暢に日本語を操る。名門ソウル大学出身というのも頷ける。
「韓国に住むのが嫌になって。日本も学歴社会・企業社会だけど、ソウルはもっと酷いの」
エリート層の家に生まれ、「家事の手伝いする時間があるなら勉強しなさい」と言われて育ったヘレン。世界的な会計事務所で激務に奔走する彼女は、僕とは真反対の生活を営んでいる。何もないハイダグワイのビーチをふたりで走っているもの変な感じだ。

明日明後日も休みだからカヌーキャンプに行こうか、と話すとふたりともすごく乗り気。食品も尽きてきたので村に買い出しに行く。お気に入りのクランベリージュースとクリームクッキーをたくさん仕入れ、明日のキャンプ飯のためにチリビーンズを買う。

スーパーを出ると、外の世界の変わりように度肝を抜かれた。パチンコ玉サイズの霰が鬼のように降り、地面と車を叩きつけている。車をゆっくりと走らせ、家に向かう。しばらく地面はまっしろだったが、数キロ走ると一気に晴れ模様。
「島の天気って不思議だね」ヘレンが感心したようにいう。

今日はとなりのレイチェルの誕生日。ちょっとしたホームパーティがあるということで顔を出しに行く。タロンが早めのディナーを作っている。村の仲間たちも10人ほど集まって、小さな誕生日会だ。

「誕生日おめでとう!いつもありがとう」レイチェルに大きくハグをする。
「こちらこそ、コウヘイが居てくれて私たちも幸せよ」レイチェル一家は今夜島を離れ、数ヶ月バンクーバー島に移る。レイチェルは村の看護師だが、新たな資格を取るための研修なのだとか。「サルサと家のこと、本当にありがとうね」
彼らが居ない間、隣の家と犬のサルサを預かることになっている。最高の隣人がしばらくいないのは悲しいが、サルサと数ヶ月一緒にいられるのは嬉しい。

「ふたりを連れてカヌーキャンプをしようと思ってるんだけど」ルークにいいキャンプ地を教えてもらおうと思って話しかける。
「ジュスカットゥラ湾かな。あそこは静かで景色もいいし…天気を見てみよう」カヤックやカヌーのことになるとルークは目の色を変える。やはり生粋のパドラーだ。
「ちょっと風が強そうだな…火曜日なら問題なさそうだけど」
「そうだね。湖とかはどうだろう?」僕がそういうと、彼は目を見開く。
「湖…!すっかり忘れてた。ヤクーン湖だよ!」
ルークは携帯を取り出し、マップを開く。
「トレイルヘッドから10分ほど歩くと、白い砂浜に出る。最高に美しいところだ。スキディゲートの山々も一望できるよ。少し漕いだこのへんのビーチもキャンプに最高。最初の砂浜にテントを張ってもいいしね。なんでこれを思いつかなかったんだ?」ルークが興奮気味にルートを教えてくれる。快くふたりぶんの寝袋とスリーピングマットも貸してくれる。ありがたい。

同居人のサシャと即席で作ったケーキに蝋燭を立て、バースデーソングを英語とハイダ語で歌う。エレーナも身を乗り出して母親といっしょに吹き消す。おめでとう、おめでとう。

「素敵なコミュニティでしょ」奥のソファでくつろいでいた実花に話しかける。
「うん。あなたもこの場所で真摯に関係つくってきたんだなって思ったよ、すごいと思う」

レイチェルにお別れを言って、家に戻る。タモにカヌーを借りる連絡をし、明日の準備に取り掛かる。朝の10時に出発すれば、昼過ぎには南部のヤクーン湖のトレイルヘッドにたどり着けるはずだ。

手分けして準備を進める。実花にはチリビーンズを作ってもらい、僕はギアのパッキングをする。ヘレンには洗い物などを片付けてもらう。こうして友達とキャンプをするのも久しぶりだ。大学の登山サークルを思い出す。大学の14号館の一階で地形図を広げてぐだぐだミーティングをし、装備を部室に取りに行って、早稲田駅近くのサイゼでご飯を食べる。そんな日々を少し懐かしく思う。

「はじめてチリビーンズ作ったんだけど、悪くないでしょ?」実花が味見をさせてくれる。最後に少し入れたクリームが正解だったようだ。コクがありつつスパイシーで食欲をそそる。ここにキャンプ地で卵をおとして北アフリカ風チリビーンズといこう。

ザックに3人分の寝袋とマット、二人用テントをふたつ、たくさんの防寒着とクッキングギアを詰め込む。もう11時を回っている。明日は早い。日付が変わる前にベッドに入る。

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上村幸平|kohei uemura
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