大関をたった14場所で陥落した男⑤いざ、伊勢ヶ濱部屋へ
2013年、春場所終了とともに間垣部屋は閉鎖した。
正式に閉鎖の話を聞いたのは1月上旬。読売新聞の朝刊で報じられた日の夜に、親方から告げられた。
その後時間を空けず、移籍先が一門外の伊勢ヶ濱部屋に決まった。間垣親方と伊勢ヶ濱親方が同郷(青森県津軽地方)という縁もあったのかもしれないが、それは異例のことだった。
「横綱のいる部屋で関取衆も多い。大きな部屋ってこともあるけど、一番の不安は一門が違うことでした」
通常、相撲界では部屋単位や一門単位で行動する。一門が違えば、交わることはない未知の世界だ。
三人はそれぞれ不安だった。
しかし、どうあがいても、嫌と言える立場ではない。辞めるか行くかのどちらかだ。
「行ってダメならその時考えよう」
三人は初めて心をひとつにし、一歩を踏み出した。
移籍後、照ノ富士は変わった。
「間垣の時は僕らが教えても、わがままを言って聞かなくなっていた。けど、関取衆からもいろいろ言われたんでしょう。こっちに来て、素直に聞くようになった」
親方が不在で、相撲部屋というよりは大家族のようだった前の部屋とは全く違う環境で、照ノ富士は、ようやく相撲道を自分のモノにしていった。
「最初はまだ『気遣い』ってことがわからなかった。来たばかりの時は、横綱も安美関(あみぜき) ※も、みんな本当に厳しかったですよ」
稽古でも、普段の生活でも厳しく言われてばかりだったが、次第にその意味を理解していった。
「怒って教えるのが先輩の仕事。先輩は嫌われてなんぼですから。それでも教えるしかない。俺も今、新弟子に嫌われてますよ」
と、嬉しそうに笑った。
様々なタイプの関取がいる伊勢ヶ濱部屋では、稽古ひとつとっても学べることが多かった。親方や兄弟子の厳しさと真剣に向き合い、見て覚え、身体をぶつけて力をつけた。自分の相撲が上達していくのを感じるにつれ、もっと強くなりたいという想いはどんどん膨らんだ。
「この部屋に来られて本当によかったです」 (つづく)
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※安美関・・・同部屋の兄弟子である安美錦関の愛称
(本記事は、(株)宣伝会議が主催する教育講座「編集・ライター養成講座」の卒業制作として提出した記事から掲載しています)
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