思いがつまったモノを捨てられないとき
無職のままゴールデンウィークに突入。
応募中の企業も連休に入り、選考結果は待ち状態。結果を待って次の動き方を決めたいから とにかく今は待つのみの日々に心が悶々とする……。
ギュウギュウに詰まって隙間の無い本棚が気になる。まるで私そのものみたい。いろんなカテゴリーが自分の中でひしめき合って何にどれくらいときめいてるのかもよくわからない。変わりたいのに過去の「スキ」を全部とっておこうとするから今の自分が何に惹かれているのかわからない、だから捨てたい!捨てよう!と決めてはみたものの……
ときめかないけど捨てられないモノ、ありませんか。
使ってないのに捨てられずにスペースを陣取っているモノ。10年間習い続けた韓国語の教材とノートたち。借金返済でスクールをやめてから学習欲が失せ、現在も机に向かいたいと思わない。それでも夢中で取り組んだ韓国語のノートには愛着たっぷりでずっと捨てられなかったんです。
でも先日やっとサヨナラできました。
捨てられない理由としては
・思い出があるから
・いつか使うかもしれないから
大体この2点だと思います。※私は前者が強かったです。
それぞれの理由に対して「でも〇〇だから捨てる」と納得できる回答が必要ですよね。私なりのロジックですがぜひご参考あれ!
①思い出があるから→過去は自分の後ろに連なってるのではなく今の自分の中に凝縮してると意識してみた
市販品でない、自分が作成したノートなどは捨ててしまえばメルカリで買えるわけでもないので踏ん切りつかないですよね💦ただ自分にとって「この過去の品物が変容の足かせになっている」「今の自分にマッチしない」となんとなくでも感じるなら、それは真実だと思います。直感・感覚を信じましょう✨
とはいえ、韓国語のノートをパラパラめくると、やっぱり捨てられない……どうしよう💦と半ばパニックに!Σ( ̄ロ ̄lll)
そんなときフッと「でも思い出って自分の後ろにドミノのように並んで分断されたものじゃなくて、今の自分にみっちり詰まっていて取り外せない記憶だよね🙄」という感覚が降りてきました。(私は別にヒーラーでも占い師でも何者でもなく、ただの直感です☆)
過去に勉強した結果は今生きてる自分として体現されていて、ノートがあろうが無かろうが関係ないと思えたんです。仲良くなった先生との関係が途絶えるわけでもなく、勉強を再開することになったら土台は出来ている、この状態が在る今「使ってないノートって必要かい?」と思えました。
そうして特に思い入れがあった2冊のノートと1冊の教科書だけを残して他は捨てると決心できました。
②いつか使うかもしれない→真新しいノートと教材で取り組むほうが新しい自分を創っていける気がした
これは割と単純で。過去に使った教材とノートで培われた語学力は既に今の自分として結果が出ている、と考えてみてはどうでしょう。
役目は果たし終わっていると👏
もしもう一度学習したいとなったとき、新しい教材にスッと折り目をつけて、初めてみる例文に頭をフル回転させて、赤ペンの印もマーカーラインも何も書かれていないノートに新たに文字をつづるほうがワクワクすると想像できたんです。
古い教材だとダメというわけでは無いですが、新しく芽生えた好奇心と共に机に向かうほうが上達スピードが速い気がしませんか!?だったらその時がきたら新たに教材買ったほうがいいや😙と。
それでも捨てたことを後悔したときは
こんなにも悔やむほど大切な思い出をまた新しく創っていけばいいんです。
過去を懐かしむ時間も幸せですが、未来を創り新たに感動する時間を増やすほうが私は人生得してると思います✨
まとめ
今回は、学習に使った過去の頑張りや思い出がつまった捨てられない教材について自分なりの “捨てると納得できる考え方“ を書いてみました。参考になれば嬉しいです!
でもまだ捨てられないモノがありまして、、過去のプリクラ。笑
39歳、いつどこで使うねん😂あ~~捨てられない~~😂