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大人になるということ

───"大人になるということ"をぼくは幼い頃より恐れていた。



物心がついた頃に"大人"と認識をするのは、家族あるいは自分の身近な大人だと思う。そしてその人らを見て言動に耳すまし育つ、少なからずともぼくはその"大人"たちの影響を受けて今の人格が備わっている。

ぼくの場合、ヒステリーな祖母と母と「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない祖父がいて、哀れな老人を演ずる悲劇のヒロインの曾祖母がいた。それをいつからか反面教師にして過ごすようになったが、もちろん彼らにもいい面はあるがここでは一旦伏せておく。

不思議なもので、似ないように徹していても気を抜くと言動や行動は得てして同じことをしていたりして、それに否全く気づかないこともある。

そう、ぼくは気づいてしまったのだ。
ぼくの理想的な大人になる為には、"いつまでも悲観に浸って人にあれよあれよと話す"ことや、"納得がいかないからと言って理詰めをして相手を捩じ伏せたり、はたまた嫌味を言う"ことをしていては、ただの"クローン"でしかないことを。
それらは、やはり余裕がない行動だとぼくは見受けられるし、いずれにせよ客観的ではないということを。


これからもそうやってぼくは"大人になるということ"は何か?長い人生の中で模索をして失敗をして、反芻をし、客観視をしてみて、自分の中に落とし込み、学んでいく。

そういった"大人"がぼくの理想であり、現実になり、過去となりゆくのである。


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