新刊『ハイパー・アンガー・マネジメント』第1章を期間限定公開します
はじめに
私は人を怒れない。
たとえ誰かに失礼なことをされても、その場では「私が悪いのか?」と自分にも責任があるような気がして、その場をやり過ごしてしまう。そもそも相手の悪意に気付けないことも多くて、一緒に過ごしていた人に「あれ最悪だったよね」と言われてもピンと来ないなんてこともある。
そして五年とか十年経って、風呂とか入ってる時に不意に「あれって、やっぱりおかしくないか…!?」と気づき、そこでやっとムカついてくるのである。アンガーマネジメントが過ぎる。6秒どころか315,360,000秒くらい経ってやっと怒りを意識している。
ここ最近、「あのとき結構、嫌なことされてたよな」と思い出すことがいくつかあった。そして私は、小学校の頃に向けられた悪意について、二十年越しに怒りを覚えたりしているのである。
私がもし血気盛んな人間だったら今からでもその相手に連絡を取って「オイ、あのときのあれおかしくねえか?」と果し状を送りつけ決闘を申し込んでいるところだが、私にはその勇気もないし、きっと相手を前にしたら萎縮して結局何も言えなくなってしまうのだろう。
では私のモヤモヤをどうするか。
こうなったらやることは一つ。
このやり場のない怒りを文章にまとめて一冊の本にし、不特定多数に頒布するしかない。
この本では、タイムカプセルのように埋められていた私の中の怒りを掘り返し、過去「怒りそびれた」ぶん、ムカつきを発散するために死ぬほど悪口を書いていきます。
第1章:788,400,000秒前 〜小学校時代の怒り〜
私が生まれ育った街は、東京都内某所のベッドタウンだ。東京ドーム約十三個分というにわかに信じ難いくらいドデカい公園と、団地が十二棟も建ち並ぶ総戸数一万二千戸の団地エリアが隣接し、その隙間を縫うようにして学校などが配置されている。公園と団地を軸としたいわゆる「公園と団地軸タウン」である。(そんな言い方はない)
私はその団地群の隙間にある病院で生まれ、高校一年の頃まで暮らしていた。話は二○○○年、小学校五年生の頃に遡る。
私は大城夕美ちゃんという子と大の仲良しで、放課後はほぼ毎日二人で遊んでいた。夕美ちゃんは、目鼻立ちのはっきりしたお人形のようにかわいらしい見た目の女の子だった。そんな見た目とは裏腹に性格は非常に変わっていて、異常に筋肉の種類に詳しかったり(「ひらめ筋」は小四の時に夕美ちゃんに教えてもらった)、モー娘。のラブマシーンに合わせて「ヘイ! ヘイ!」と掛け声をかけながら本家とはかけ離れた意味不明なダンスを踊ったりする子だった。
時には、団地十二棟すべての各階エレベーターホールに飛んでいるハエを縄跳びで鞭打ちしてすべて殺す、みたいな残忍な遊びを二人で延々とやっていた。あの時期にあの地から一匹もハエがいなくなったのは我々の功績である。
また、図書館に行ってたまたま見つけた絵本の最後に「とっぺんぱらりのぷう」と書いてあることに爆笑し、その他にも「とっぺんぱらりのぷう」で終わる本があるかを図書館中くまなく探す、みたいなことをやっていた(全部見たが、なかった)。夕美ちゃんと喧嘩することは一度もなく、二人でいるときはずっと爆笑しかしていなかった。
そんな風に、小学生らしいアホで愉快な毎日を楽しく平和に過ごしていた。
そんな最中、五年生に進級し、同じクラスになった別の子ともよく話すようになった。
吉田絹子という名のその子は、身長が高く、いつも長い髪を三つ編みにして、前髪はピッチリとセンターで分けていた。私は姉からお下がりのよくわからないトレーナーなどを着て過ごしていたが、吉田絹子はいつもメゾピアノとかの高価なブランドの上品な服を身に纏っていた。さらに吉田絹子は団地住まいではなく、団地群とは少し離れたエリアにあるマンションに住んでいた。そのことも、団地住まいの子供たちとはどこか一線を画す存在と思わせることに一役買っていた。
吉田絹子はキンキキッズとV6が好きだった。いつも雑誌のMyojoを切り抜いて下敷きに挟んでおり、会話の内容もジャニーズに関するものかテレビの話題が多かった。私はうっすらキンキキッズの曲が好きで、それを受けて吉田絹子から「私は光一くんが好きだからひとみちゃんは剛くんね!」と突然役割を言い渡され、そっか私は剛くんのファンなのかと謎のハラオチをしたうえで、親にキンキキッズのCDを初めて買ってもらったりした。
私と夕美ちゃんとの遊びに、ある日から吉田絹子も加わるようになった。
私と夕美ちゃんだけのときはクソくだらなすぎる遊びだったのが、吉田絹子が入った途端に恋バナとかするようになった。吉田絹子が入ると会話の感じが違うなあ、と思ったりもしていたが、特にそれが嫌だとかいうこともなかった。当時私にはリキくんという好きな男の子がいたのでその話をしたり、あとは何も買わないのにショッピングモールを見て回ったり、持っているシールを交換するなどの遊びをしていた。
あるとき、吉田絹子の家に私一人で遊びに行くことになった。夕美ちゃんがいなかった理由は忘れたが、一人きりで、家から少し離れたマンションまで行き、恐る恐るインターホンを鳴らしたことを鮮明に覚えている。
十階建くらいのマンションの最上階。団地以外の友だちの家に行くことなんてほとんどないから、私は緊張していた。ソバージュみたいな細かいパーマをかけた赤リップの吉田の母(上沼恵美子似)が出迎えてくれ、足を踏み入れると床も壁もダイニングテーブルも何もかもが白くてまぶしかった。
吉田絹子の家は、信じられないくらい「金持ちの家」だった。
トラが開かれているみたいな絨毯がリビングに敷いてあったし、壁には鹿の剥製が飾ってあった。さらに、上沼恵美子似の母の膝にはペルシャ猫が座っていた。
しかし虎、鹿、猫はさすがにアニメの金持ちすぎる。高級なマンションに初めて入ったショックで脳内で勝手に記憶が改竄されたのかもしれないが、でもあの光景を思い起こそうとすると今でも色褪せずに、虎の絨毯の肌触りや、鹿の剥製の無感情な横顔が記憶として蘇ってくる。世の中の金持ちの元ネタは吉田絹子の家だったのかもしれない。
吉田絹子は自分の部屋を持っていた。私は当時姉と同部屋だったので、そのことも彼女を大人っぽく見せた。綺麗に整頓された本棚にはたくさん買い貯めてあるMyojoやポポロが並んでいて、当時まだデビューしたばかりの嵐や、生田斗真についての話を教えてもらった。 私も読んでいいよとMyojoのバックナンバーを手渡されたが、雑誌を読んだ経験のない私には情報量が多くてどこをどう読んだらいいかわからず、結局「写真がいっぱい載っているなあ」ということだけ把握して終わった。ジャニーズジュニアの誰それがかっこいい、と言ってたが、子供やん、と思った記憶がある(自分も子供である)。
そんな日々を過ごす中で、吉田絹子との関係性に変化が訪れたのは突然のことだった。
ある日自宅でひとり留守番していると、いきなり玄関チャイムが鳴った。開けると吉田絹子が一人で立っている。
「今から電話を借りてもいい?」と彼女は言った。なにかトラブルでもあったのかと不安になり、断る理由もないから家に上げる。電話の子機を渡すと、慣れた様子で電話番号をピッピと押している。
会話内容からしてかけている相手は恐らく吉田絹子の母(上沼恵美子似)なのだけど、はっきり言って長電話である。小学生ながら電話にはお金がかかると知っていた私には、その時間が異様に長く感じられた。その日は私以外誰も家にはいなかったのだけど、私は「母に早く帰ってきてほしいかも」、とぼんやり思っていた。
私と遊んでいない日もいきなり私の家にやってきて、かなりの頻度で私の家から電話をかけていた。内容はよく覚えていないが、わざわざ友だちの電話を借りてまでする必要のない話をしていたと思う。私はいつも電話料金のことを気にして、「早く電話終われ」と念じながら、彼女が電話を終えるのをじっと待った。電話が終わると、ありがとうとかなんとか軽くお礼を言って、吉田絹子はすぐに私の家から帰って行った。
また別の日のことだ。
当時大流行していた「学校へ行こう!」というテレビ番組を、ひとみちゃんの家で録画してくれない? と吉田絹子から頼まれた。特に理由を聞きもせず、私は二つ返事で了承した。
家に帰って母に「余っているビデオテープはあるか」と聞くと、新しいものが三本ほど積み上がっているのを渡された。それに録画して、言われたとおりに翌日吉田絹子のもとに持っていった。軽く感謝された。そしてその依頼は翌週、その次の週まで続いて、さすがに自宅にあるビデオテープがもったいないなぁと思い「絹子ちゃんの家では録画できないの?」と聞いた。
すると、翌日からまったく話しかけられなくなった。
夕美ちゃんと吉田絹子が教室に一緒にいるのでそこに合流しようとすると、吉田絹子は夕美ちゃんの手を引いてどこかへ行ってしまう。そして、私がいたポジションには、田城佳奈ちゃんという子が新たに加わっており、その三人で行動を共にするようになっていた。これまでのすべては実は「吉田絹子の友だちオーディション」で、その審査から脱落したような感覚だった。
しかし意外なことに、特に私には大きなダメージはなかった。なぜなら同じクラスには、幼稚園時代からの別の友だちがたくさんいたからである。もっとも仲の良い夕美ちゃんと行動を共にできなくなったのは寂しかったが、そこに入れなくなったのなら千明ちゃんや紘子ちゃん、とおるくんやひろしくんとメインで遊べばいいだけのこと。当時のうちのクラスが特殊だったのか、小学生がそういう性質なのかはわからないが、厳密なグループ分けみたいなものもなく、すんなりと輪に入ることができた。私は放課後、そういったメンバーと団ドロ(団地全体を使った大規模なドロケイ)をしたりしながらそれなりに楽しく日々を過ごした。
そんな日々の中で、かねてから好きだった男の子であるリキくんと隣の席になった。リキくんはシンプルに顔がかっこいいにもかかわらず、いつも語尾に「ディヨ」をつけてしゃべる変わった子だった。リキくんが算数のテストで低い点数を取った時に「残念無念ディヨ!」と叫んだことで私が爆笑したのが恋に落ちたきっかけだった。私はリキくんにウケようと、趣向を凝らしてさまざまなボケを繰り出した。将来の夢を話し合うみたいなテーマの授業で「ポッキー屋さん」と言ってウケた日のことは忘れられない。
そんなリキくんも含めたメンバーで放課後、公園で遊んでいたときのこと。普段は公園ではあまり遭遇しない吉田絹子が、いきなり現れた。絹子ちゃんじゃん、と思いながらも私たちはブランコを爆漕ぎしたりして遊んでいた。
「リキ、ちょっと来て」
吉田絹子は、ジャングルジムの頂点にいるリキくんを呼び出した。リキくんはジャンプして、着地した。私は「忍者みたいでかっこいいな」と思った。
「私のこと好きなの?」
吉田絹子は唐突に言った。するとリキくんは、少しうつむきがちに「えっ? うん……」と返した。それを見ていた私は、そうなんだ、と驚いた。だってリキくんって絶対好きな子とかいそうな感じじゃないから。「デュクシ!」とか言ってるタイプの男子、恋心とかあるんだ。でも、ここで恥ずかしがって「好きじゃない」とか返さないのは、偉いなと思った。
「私は全然好きじゃない」
吉田絹子はそう言った。無情すぎる。どういう思考回路で、わざわざ公園まで来たうえで自分に好意を持っている相手に好きじゃないと伝えるに至ったか、私にはまったく理解が及ばなかった。
そう言われたリキくんはというと、すごくたじろいで「えっ……」と言って固まっていた。そこは「残念無念ディヨ!」だろうが。
吉田絹子はすぐにどこかへ行ってしまった。
そこからの吉田絹子の行動は意味不明だった。
私のことを仲間はずれにしたと思ったら、今度は私を元通りに仲間に引き入れた。
また夕美ちゃんと一緒に遊べることが素直に嬉しかったが、私が入ったことで今度は佳奈ちゃんがはじき出された。吉田絹子といっしょに遊べるのは二名まで、という謎のルールがあるのか、吉田絹子を水戸黄門としたときの助さん・角さんスタイルでの人員配置が絶対になっていた。
遊んでいるときにリキくんを見かけることがあって、そのたびに吉田絹子が「やっぱりリキって、かっこいいよね……」みたいにつぶやくのも、意味がわからなかった。
自分がわざわざ相手に「好きじゃない」と伝えに行ったのに、そのあとため息混じりに恋心を募らせている感じ。相手から告白されて振ったならまだしも、自分から始めた物語を自分で複雑にしている。でも私は恋とか理解できていない幼稚なタイプの小学生女子だったので、なんか大変そうだな、としか思わなかった。自分自身が失恋したことは、結構すぐに忘れておりあまり傷ついてはいなかった。
その後、私と佳奈ちゃんのトレードは五回くらいあったと思う。なんの前触れもなく、唐突に教室で話しかけられなくなり、夕美ちゃんと佳奈ちゃんを連れて休み時間も消えていく。そうなると「あ、今日からそういう感じね」と受け入れる。柔軟だったグループは次第に固定化されていき、私は別のグループに入れてもらう勇気もなく、一人で過ごすことも多くなった。だけど数日から数週間経てば、また佳奈ちゃんと私の立場が入れ替わるのだった。
今考えると、私は佳奈ちゃんに悪いことをしていたなと思う。佳奈ちゃんと二人で仲良くすればよかった。そしたら仲間はずれにされて不安な思いをする人はいなくなった。だけど、私と佳奈ちゃん、そして夕美ちゃんには、吉田絹子に逆らうという発想がなかった。吉田絹子に引き入れられた状態で佳奈ちゃんと話をすることを選べば、安全が保証された平和な世界が終わってしまう怖さがあった。佳奈ちゃんのことはまったく嫌いなわけじゃないし、別に私は彼女を仲間はずれにしたいという意思などないのに、つねに私は見えないリードで吉田絹子に繋がれているような感覚だった。少し不自由だけど、そこに繋がれたまま同じ場所にとどまれば大きな争いは起きない。
このエピソードを思い出したのは、先日実家で小学校の卒業アルバムを見たことがきっかけだった。
卒業アルバムには行事ごとの写真などもあるが、最後のページに学年全員を空から写した写真がある。みんな好きなように、仲の良い友だち同士で思い思いのポーズで写っている。そこで私は、クラスの輪から完全に外れて一人でカメラを見上げていた。最悪なことに、卒業アルバムの集合写真を撮るその日、私は吉田絹子からはぶかれていた。
吉田絹子とは小学校卒業以来一度も会っていない。
◼️◼️◼️怒り発散コーナー◼️◼️◼️
当時怒れなかった自分の代わりに時を超えて三十四歳の私が怒りを発散するコーナーです。
やはりこうしてまとめてみると吉田絹子の行動は
「いじめ」と呼べないギリギリのところを攻めている。無視されている時期もあるが仲良く遊んでいる時期もあるので、担任や大人たちから見たら何が起きているのか非常に分かりづらかったのではないだろうか。
そもそも夕美ちゃんと私の二人のあの空気感によく入ってこれたよな吉田絹子は。身の程知らずだ。私なら無理だね。この段階でかなり空気の読めない人間だということがわかる。親友みたいになってる二人の間に割って入っていくなんて相当なことだ。夕美ちゃんに近づいたのもどうせ顔がかわいいからとかそういうしょうもない理由なんでしょう。夕美ちゃんの魅力は顔もそうだけど何よりも会話が死ぬほど面白いことだというのに。
私は吉田絹子との会話で爆笑した記憶はない。あんまりこういう言い方をしたくはないが、想像がつく話しかしない。学校へいこう! の翌日に近づいてきたらテレビの話だろうな、だし、下敷き片手に近づいてきたらジャニーズの話だし。意外性ゼロ。おもしろくね〜。お前との会話よりも降ってる雨粒見てる方がおもしろい。
夕美ちゃんに近づく私はというと縄跳び片手に「すべての団地のエレベーターホールで飛んでいるハエを、これで殺さない?」っていうかなりエキサイティングな誘いだからな。我ながら、おもしろそうに決まってんじゃん。吉田絹子、お前にこのソリューションが提案できますか? 無理だよな? 大衆向けに作られたエンタメを作り手の意図通りに享受するだけでクリエイティビティなど一ミリもない人間なのだから。
私から友だちも好きな人も奪っていることは、私を逆に意識しすぎているようにも感じる。もしかして私のことが羨ましかったのか? あまりに私が輝いているから? 自分にはなんのユーモアも個性もないのを自覚しているのでそういった方法で強く見せることでしか自分の居場所を確立できなかったんですか? 愚かすぎる。ベスト愚かジーニスト賞、受賞(愚かな人の中でもっともジーンズが似合う人に贈られる賞)
今の私なら夕美ちゃんや佳奈ちゃんと結託して逆に吉田絹子を無視するところだけど、そんなことしたら私たちも吉田絹子と同じく下劣な人間になってしまうので、そうしなかったのは賢明だった。そもそもお前と違ってピュアだからそんな発想すらなかった。物語だったとしたら私と夕美ちゃんは主人公でお前は完全に序盤のたいしたことない悪役。一話の後半で死ぬ。最終回付近では誰もお前の存在を覚えていないだろう。
仲間はずれにするとかはありがちな話だと思うけど、毎日電話を借りたり、ビデオテープを消耗させるのって私だけへの攻撃ではなく我が家の家計を圧迫するかなり悪質な行為だと思う。小学生の段階でその性根の悪さってことは、中学、高校ではどうなっちゃってるんですか? 教室の窓から机投げて「お前の席、ねえから!」って叫んだアレの元ネタもしかしてお前? 金持ちなのも親の功績であってお前の実力ではない。何があいつのいいところだったんだ? 小学生だから誤魔化せてたけどきっと大人になったら人からの信用を失って自分の周りからは誰一人いなくなり孤独な人生を送っているんじゃないでしょうか。
小学校卒業後、吉田絹子は私立中学に行ったので卒業以降はまったく会っていない。しかし私と夕美ちゃんは中学ではまた仲良くなり、同じ塾に通って高校受験まで共にしましたからね。さらに言えば中学時代のある日、夕美ちゃんと不意にリレー小説を書きはじめたことが私が文章を書くいちばんの原点になっていますからね。お前がいないことによって私と夕美ちゃんの仲はかけがえのないものになっていますからね!
お前に無視された私はそうやって素敵な関係性を築きつつ大人になりそこそこの大学に通ってそこそこ大きい企業で働き顔が好きな夫と結婚して子供も生まれて本も出版して幸せに暮らしてるんですけどお前はどう? お前が無視した女はこんなに幸せに暮らしてるんだけどどういう気持ち? なあ?
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出店情報
▼ブース M-34
▼サークル名
岡田悠・しりひとみ
(共同でブースを出している岡田悠さん(@YuuuO)は隣のM-33にいるよ!)
▼WEBカタログはこちら!
https://c.bunfree.net/c/tokyo39/w/M/33
▼今回いっしょに出店する岡田悠さんの本『日本最古の旅行記を27人で分けて読む』も、コンセプトからして確実におもしろいので要チェック!
https://c.bunfree.net/p/tokyo39/43192
以上