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国家の代表

1964年のオリンピックの時の記事をもうひとつ。

1964(昭和39)年10月19日(木)『毎日新聞』夕刊「ある視点」

 二十年くらい前、つまり戦争中のことだが、当時学生だった私は、身体検査の時に、若い医者にひどくしかられた記憶がある。別に病気ではなかったけれども、体格が悪かったので、非国民だと罵倒された。この国難の時期に、どうしてからだをきたえなかったかというわけだ。私の素朴な考えでは、体格の原型は小学校を出るころまでにきまっていて、それから以後はいくら努力しても骨組みまで変わるはずがない。私はもちろんそういう努力をしたことがなかったけれども、不当な叱責だと思った。日本のファシズムについて考える時、いつも思い出すのはこの医者の態度である。
 彼は当時の日本国家の意思を代表していたのだ。代表の義務をもたない人間が進んで代表者となるという日本社会の仕組みに、私は少なからぬ興味をもっている。戦争中は、配給所の商人までが国家を代表してお得意をしかったりした。進んで代表者となったわけではなかったけれども、BC級戦犯たちの多くは、日本国民の代表として死ぬと書きのこして死んでいった。
 オリンピックにかんして気がかりだったのは、メダルをとれなかった選手が過度の代表意識のために、傷心で打ちのめされはしないかということだった。しかし、たいしたことはなかった。たとえば、水泳日本の威信はおちたが、選手たちは心配したほどしょげはしなかったようである。二十年たって、すべてが変わったわけではないが、しかし少しずつ変わってきている。(啓)


「代表の義務をもたない人間が進んで代表者となる」という言い回しは、ユーモアを帯びて作田らしいものであり、笑える。たしかに日本社会でよく経験するものだ。これは今も変わらないように思える。たとえばマスク警察。
 近年の日本選手に悲壮感はほぼ感じられることはなくなり、楽しもう!という言葉が飛び交うのは気持ちがよい。一方で、「日の丸を背負って」という言葉が今も時々メディアで使われている。いわれなく代表を押しつける社会の圧力は跳ね飛ばしてゆきたいものだ。(粧)

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