2019年12月27日の話
その瞬間を一言で表すなら、間違いなくわたしはこう言うだろう。
『命を救われたのだ』と。
2019年。
わたしは荒れていた。
何があったのかを具体的に話すとそれだけでひとつの記事が出来てしまうので割愛するが、職場の人に恋して大失恋した。
それだけで終わればよかったのだが、2019年はとにかくひどかった。
トラウマ寸前とも呼べる相手を同じ部署の隣の席に置きながら、こちらは話さないように必死で避けているのにご本人と何も知らない上司による恋愛談義を席の横でされるので結局被弾するという毎日であった。
それでもおまんま食らうため、満身創痍の精神で仕事を続けていた。(なお身体はとても丈夫である。パパママありがとう)
だが。
2019年12月27日。
わたしの精神は限界を超えた。
1年の最後の仕事の、本当に全ての業務が終わった最後の最後。
上司に向かってその人が、『婚約者家族と顔合わせをする』旨の話をしているのを、わたしが片付け作業をする真横で聞いてしまった。
ねえ、なんで。
目の前にわたしがいるのに。
なんでそんな何食わぬ顔で、わたしの聞こえる範囲で堂々と話が出来るのか。
涙をこらえて帰った。
コンビニで買ったご飯は味がしなかった。
話を聞いて欲しくてミラティブで雑談枠流したけれど、正直泣きそうだった。
お風呂にお湯をためたけど、あったかさなんて感じなかった。
シャワーを頭から被ったまま、何度か棚の上のカミソリに目がいった。
たぶんその日、何かしらのタイミングとか状況とかが違えば確実にわたしは死のうとしていたと思う。いや、本当に。
次の日予定があったから、何とか踏みとどまったけど。ホルモンバランス崩れていたら分からない。
何か、音が欲しい。
なんでもいい。沈黙は精神を地に落とす。
そうだ、動画でも見て気を紛らわそうじゃないか。そのまま風呂出て寝よう。
そう思ってTwitterを見ていたら(動画じゃないのか)、本当にたまたま表示された、読み込み前のTLのトップのツイートに目がいった。
まず第一印象。
『誰だっけ………?』(本当に申し訳ありません)
次にプロフィール。
『あっっっゼロワンの不破さんの中の人!今日誕生日なんだ!おめでたいな〜!』(本当に本当に申し訳ありません)
その周辺のツイートを遡り。
『えっっっ同い年!?まじで!?へえ~~~親近感湧くなあ!!』(本当に本当に本当に申し訳ありません)
※というか、この時まで自分がTwitterをフォローしていたことさえ忘れていました。コンテンツ始まるととりあえず中の人の垢を公式垢から遡ってひたすらフォローする癖があるので、その時に一緒にフォローしていたみたいです。本当に本当に本当に本当に申し訳ありません※
同じ平成5年生まれの26歳で。
たまたま、ゼロワンで「……格好と性格好みだなこの人……」と思っていたキャラの役者さんで。
たまたま、ライブ告知ツイがTLトップで。
そしてこの日が、お誕生日。
色んな偶然の重なりだったけれど、わたしに動画URLを押させるには十分な動機だった。
後半に差し掛かっていたその配信。再生ボタンを押した先でわたしが見たのは、
Mr.Childrenの『Tomorrow never knows』をギター1本で弾き語りする、赤いヘッドホンを被ったひとりの男性の姿であった。
その後少しして配信は終わってしまい、わたしが参加出来たのはラスト10分程度。
チャットやスパチャも見てないし、ライブ配信を見たことがなかったから、自分から飛ばすこともしていないけれど。
動画再生を終えて真っ暗になった、防水ケースに入れたiPhoneSEを前にして、
わたしはぼろぼろに泣いていた。
その時の涙の理由は、今でも説明がつかない。
今日あったことを漸く実感したのか、Tomorrow never knowsの歌詞がその時のわたしには余りにも刺さりすぎていたのか、目の前の動画の人の歌声が心に響いたのか。
たぶん全部だと思うし、それ以外の感情も渦巻いていたとは思うけれど。
そして思ってしまった。
『このタイミングで、この人に出会ったのは奇跡かもしれない』と。
わたしがTwitterを見てなきゃ気づかなかったし、しかもすぐTLを読み込んでいたらトップにツイートは出てきてないし。
そもそも配信に参加してた隊員(視聴者のことをこう呼ぶ)の誰かがリクエストしてくれていなければ、きっと聞く事が出来なかったし(リクエスト送ってくださった隊員の方、その説は本当にありがとうございました。ここで勝手に感謝させてください)。
ゼロワン見てたとか、知らないうちにTwitterをフォローしてたとか。
そんな些細な偶然が折り重なっていなければ、きっとこの人には出会っていなかった。
深夜テンションも相まって本気でそう思ったし、すぐにWikiやら事務所HPやらをサーフィンしまくった。全裸で。(当方風呂上がりである)
それが、2019年12月27日の話。
最低で、最悪で、悲しくて、でもそれらを覆すくらいの衝撃を受けて、すべてがひっくり返った、怒涛の1日の話。
現実逃避だと言われても構わない。
たったそれだけのこと?と呆れられても構わない。
わたしをとりまく現実は何も解決してないことも認めている。
それでもわたしは前に進む。過去を悔やんだって戻ってこないから。
前だけ見て突き進むしか道はないのだと、教えて貰ったような気がした。
あの日あの時あの瞬間がなかったら、わたしは本当に死んでいたかもしれないな、と今でもふと思う。
言いすぎだろうか。
でも、それくらいの出来事だった。
岡田龍太郎さんに出会った、あの10分間は。
そして2020年。
わたしは今日も、健やかに生きている。