責任を背負う意義
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イチローが引退会見で野球を楽しいと思ったことは始めの一軍に行ったり、二軍に行ったりを繰り返している時で、それ以降は充実はしても純粋にそうは思わなくなったとおっしゃっていた。
ファンやチーム関係者やメディア、いろんな関係者の思いを背負うということ。その重みというものを感じられての発言なのだろう。
仕事を行うことの責任の重さ。これは何もプロ野球のみならず、すべての業種でいえることなのだと思う。
仕事をしてお金をいただくということは責任が伴う以上、そこに重さが加わるので純粋に楽しいといえないのかもしれない。
ましてや現場の中心メンバーや責任的な立場になればなおさらだろう。
とはいえ、だからこそ、その中で達成すること、納得のできる仕事をした時の充実感はまたひとしおなのだと思う。
その充実感こそが人を成長させるものだと自分は思う。
そしてその機会を与えるのもまた企業の役割だと思う。
2
今、自社では現場責任者の育成が経営課題の一つになっている。
そのために、意欲がありそうなとある人間に、その役割を与え、テストしている最中。
当然、ベテランと比べて至らぬ部分は多い。
でもこの前の隊員の教育を見て感じたが、少しづつ成長しているのが分かる。
こちらがある程度、フォローはするものの、自分なりにプランを立てて、積極的に発言をし、リードしようとする意欲は伝わってきた。
以前と比べ、表情もいきいきとしている。
今の仕事に充実感を感じ、隊員や現場に対する責任感というものを自覚し出しているのだなあと思う。
とはいえ、彼にはいくつか問題を抱えている。とりわけ健康管理といった自律的な自己管理で問題はそう。
でもそれも乗り越えてくれることを期待している。
本当の意味で隊員に対し、責任というものを持つのなら、きっと乗り越えてくれるはずだ。
じゃないと、彼を信じて日々の仕事を頑張ってくれる隊員達に対する示しがつかない。
そう信じて焦ったり苛立つ気持ちを抑え、彼の成長を見守ったり、時にフォローすることが任命した社長である自分の責任。
そしてそれこそが社長としての自分の成長にもつながると思うのだ。