メンターは組織の問題
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昨日、昨年通っていた経営塾のOB会があった。
自分の師匠がこの塾においては顧問という形で一線から退くという発表があり、やや複雑な気分になった。
細かい部分では違うと思う部分はあるものの、大枠では納得できる部分が多い。
やはり少なくとも事業承継においては、自分にとって師匠。いやっ、メンターといった方がいいか。
主体的に物事に取組むには、したいこと・すべきことは最後は自分で見つけ、実行しなければいけないと思う。
でもその手助けや対等の立場でアドバイスしてくださるメンターのなくしてはそれを成し遂げるのは難しい。
なぜなら、人は主観の生き物。思いの強さが達成の原動力になり、また失敗の原因となる。
だから自分を客観視してフィードバックした上で、励ましてくれる存在が必要となる。
これをウチの会社に当てはめると隊員にとってのメンターは話しやすいベテランだと最初は思った。
でも、その人が相談者に気づきを与えられなければそれはメンターとは言えない。
ではそれは隊長か?
半分当たっていて半分違うと思う。
確かに、自分の業務向上に関することや勤務日等の相談相手としてはメンターに近いと思う。
でも、あくまで上司にとって従業員は評価の対象であり、指示・命令の上下関係がどうしても尾を引く。
思うに、メンターは個人の問題というよりは、組織の問題だと思う。
誰をメンターにするというより、役職関係なくメンター的な人が現れる土壌を作ればいい。
例えば隊長の場合だと例外的な場合を除き、隊長の隊員に対する指示・命令が対話によるお願いとアドバイスという形で自発的になされる組織形態を将来的に作っていくというふうに。
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ご存知の通り世の中の組織のあり方としてこれからの上下関係からフラット化に移行する現在、管理のあり方も従来の管理型からメンター型に変わっている。
それは警備業でも基本的に同じだと思う。
隊長や班長が隊員に一方的に命令を下し、場合によっては叱りつけて強引に従わせるのがいままでの警備業の管理手法だった。
でも先代の対人尊重の観点からウチはその流れに距離を置いてきた。
あまり上下関係をキツくせず、隊員の自発性を大切にする組織というか集団を維持してきた。それが一人親方を生み出す土壌を作り、わがままな言動を許してきた側面もある。
そのことでかつて付き合いのある他の同業者からおたくの会社は甘いと言われたこともあった。
でも、結果的にそれでよかった。まあ一人親方量産の土壌を変えなきゃいけないとは今でも思うが。
今や締め付け管理方式を選択するのは完全な時代遅れ。
決して隊員のわがままを許すわけではないが、隊員と同じ目線でものを見て、一緒に目標を考えていくメンター的な組織がこれからの主流というか主流にならざるを得ない。じゃないと人が集まらないから。
具体的にどうしていくかは手探りで考えていくしかないだろう。
でもキーワードになるのが仲間同士を思いやる共益の観点だと思う。
組織を時代にあったよいものにしていく。そんな気持ちで経営していきたいと思う。