足利義満 八 勘合貿易
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●勘合貿易
応永8年(1401)5月。京都北山第にて。
足利義満、九州の商人・肥富(こいとみ)と僧・祖阿に明国皇帝にあてた国書を託す。
「日本准三后道義、書を大明皇帝陛下に上(たてまつ)る」
国内を平定したので、古式にのっとり明の皇帝に貢物をたてまつる趣旨。
金千両・馬十疋・鎧や刀剣、明から日本に漂着していた者を帰国させる。
国内情勢安定による。
南北朝の合一。
今川了俊を左遷。
九州~瀬戸内海~京に至るルートを確保。
応永9年(1402)8月、使者、明の使節を連れて戻る。
義満、北山第で明の国書を拝見。
「日本国王道義よ、明国より二人の使者を遣わす…」
使者滞在中、明で政変。
燕王棣(えんおう・たい)が帝位を奪い、即位。世祖永楽帝。
応永10年(1403)、義満、明に使者。禅僧の絶海中津に国書を作らせる。
義満を皇帝の「臣下」とし永楽帝の即位を祝う。明の使節も返す。
反発の声。
「あの返書の書きっぷりはもっての他だ。天下の重大事である(「今度の返牒は書様以の外なり、是天下の重事也」二条満基の日記)」
「それに、使節への対応も、丁重すぎる!(管領斯波義将・三宝院満済)」
明と日本の交易が始まる。
894年に菅原道真によって遣唐使が廃止されて以来、500年ぶりに日本と中国に正式の国交が結ばれた(私貿易はのぞく)。
朝貢貿易。中華の皇帝が全世界の上に君臨、周辺の国々は、献上品を奉って、そのお返しをいただく形。中国の「臣下」という扱い。
貿易するほうにもメリット。
中国皇帝は献上品に対して「お返し」を与え。中国皇帝のメンツにかかわる。
十分すぎるほど利益。
義満は、メンツを捨てて実利を取った。
朝鮮や中国沿岸に、倭寇が出没。
↓
倭寇と、正式な船を区別する必要。
↓
明、各国に勘合を与える。
真ん中から二つに切って、半分を明の組合が、半分を日本の船が持つ。
二つをあわせると正しく文字があらわれれば、貿易を許可される。
「勘合貿易」
日本→明への輸出品は銅・硫黄などの鉱物。扇子・刀剣・漆器などの細工品。
明→日本への輸入品は明銭(永楽通宝)、生糸、織物、書物など。
足利義満は貿易を独占し、貨幣を独占し、利益を上げた。中国皇帝に「日本国王」として認定させ、帝位を簒奪することを考えていた、という説も。
義満の明に対する態度は卑屈で弱腰。中華かぶれ。
息子義持、義満の中華に対する卑屈さを嫌った。
義満が死ぬと義持はすぐに日明貿易を停止。
再開されたのは六代将軍義教の時。
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