エンヴィーメモリー(2)

何百年もむかし、とある街に1人のお嬢様がいらっしゃいました。

そのお嬢様はとても美しく、金色のカールのかかったミディアムヘアに赤い薔薇のような深紅の瞳は、街の男達を魅了しました。

彼女は教養もあり、礼儀作法もお裁縫もピアノも、なんでも出来る素晴らしい方でしたが、その反面、とても嫉妬深い方でした。

彼女には生まれた時から許嫁がいました。

それは隣の国の皇太子、ツバキ様です。

ツバキ様は美しい赤毛に黄色い月のような美しい瞳の美青年で、乙女たちからとても好かれておいででした。

お嬢様は許嫁であるツバキのことが幼い時からだいすきでした。

ですが、ツバキ様はお嬢様が苦手でした。

ある時、お城でダンスパーティーがひらかれました。

ツバキ様はいつもよりめかされておいででしたがどこか不満げです。

そんな気も知らず、めいっぱいおめかしをした乙女たちは金平糖を奪い合う蟻さんたちのようにツバキ様と仲良くなろうと話しかけだしました。

そこで気に食わなかったお嬢様は、乙女たちに向かって軽蔑の目線をうかべ、つららのように鋭く冷たい声でこう言い放ったのです。

「この雌犬共が。ツバキ様には釣り合わないのにどうして近づくのかしら。彼の婚約者は私ですのよ。皇太子様を汚したくないのなら散りなさい。」

乙女たちはお嬢様の剣幕に蹴落とされ、すごすごと引き下がるしかありませんでした。

それを見たお嬢様はニヤリと笑うと皇太子の腕を取ってダンスに誘うのでした。

(私がいちばん綺麗で一番偉い伯爵の娘ですのよ。ああ、みらいのだんなさま。骨の髄まで愛しいですわ。あなたのすべてが欲しい)

お嬢様は確かに美しくて教養もあり、身分も高いのですが、性格にどこか狂気に似た恐ろしさがありました。

そんなふたりは大きくなって、結婚できる年になりました。

お嬢様は結婚式に着るウェディングドレスや靴を何日もかけて選ぶほど、結婚を楽しみにされていました。

そんなお嬢様とは対照的に、皇太子様は憂鬱な気分でした。

おしろのおにわをお散歩しながら何度もため息を吐くのです。

そして皇太子様はある時、お城を抜け出して変装をし、町や畑を見て回りました。

街では商人たちが大きな声で商品のアピールや安売りをし、路地裏に入ると、物乞い達が虚空を見つめていました。

(彼女はこの人たちにすら情けをかけやしないだろうな。汚いと怒って蹴り飛ばすに違いない)

お嬢様はとても綺麗好きな方でしたので、ドレスに紅茶を少しこぼしただけで不機嫌になってしまいます。

皇太子様は物乞い達に1枚ずつ金貨を恵み、路地をぬけました。

しばらく歩くと、農奴たちの畑にでました。

(ボロボロの服を着て長い時間労働をしているのに、給金はサボり魔の大臣よりずっと低いなんて。)

皇太子は幼い頃から、いつか自分が王になったら家柄関係なく好きな人と結婚できるようにし、奴隷や農奴、物乞いたちも幸せにできるような皇帝になりたいと思っておりました。父のように税金ばかり高くして贅沢をするような皇帝にはなりたくなかったし、何よりお嬢様との結婚が嫌だったのです。

(確かに傍から見れば彼女は文句なしの美人で愛らしい。それに教養もある。でも、僕とは合わないと思うんだよな。一度でいいから皇太子って肩書きはいらない。結婚せずに皇帝になれないのかな)

当時、皇太子様の国では結婚をしなくては皇帝になることは出来ませんでした。結婚と言っても、結婚相手は貴族でなくてはならなかったのです。

どうにかならないものかと考えていた時、1軒の水車小屋が目に入りました。

川のせせらぎが気持ちよいところでした。

皇太子様が川のせせらぎと水車の美しい音に聴き惚れていると、水車小屋から、16歳くらいの少女が出てきました。

三角巾をつけて、灰色のワンピースにエプロンをつけた長い髪の女の子でした。髪は綺麗なプラチナブロンドで、目は綺麗な桃の色でした。

少女は小さな体にムチを打ち、綺麗な顔を泥で真っ黒に汚しながら畑を耕していました。

そんな少女の努力や頑張る姿を見て、皇太子様はお嬢様には感じない特別な感情を持っていることに気が付きました。

気がつくと皇太子様は川岸でおひる休憩をはじめた少女に話しかけていました。

「こんにちは。君のお名前はなんだい?」

「こんにちは。私はマリアよ。あなたは?」

少女、、、マリアは皇太子様に聞き返しました。

「僕は、実は、、、ツバキって言うんだ」

そう言った瞬間、マリアはたいそう驚きました。なにぶん、こんな土まみれのところに王族様方が来るわけないからです。

「し、失礼いたしましたあの、えっと、、、」

「気にしなくていいよ。僕は今、ただのツバキ、君はただのマリア。そういうことにしよう。」

マリアは戸惑いつつも皇太子様のお願いだからと頷きました。

「マリアはここに住んでいるの?」

「はい。生まれた時から。」

「家族はいないの?」

そう聞くと、俯きながらこう言いました。

「、、、おかあさんは病気で亡くなったんです、私が小さい頃に。税金が高くてお金が無くてお薬が買えなかったの。おとうさんは酷く悲しんで、自殺したの。この川に飛び込んで。」

皇太子さまは悲しい気持ちになりました。

僕がおしろで暮らしている間、国の人達は皇帝に納めなければならない高い税金でくるしめられていたんだと知り、父に対する怒りが込み上げてきました。

「寂しいけれど、私は農奴だから畑を耕すことしか出来ない。ここに来ると、おとうさんとおかあさんに会える気がして、いつもここでご飯を食べているの。」

そう言ってマリアはスカートのポケットから街で買ったらしい堅焼きパンを取り出し、ふたつにわってツバキに差し出しました。

「はい、お城のお食事とは違うと思うけれど、、、食べないと誰でも悲しくなってしまうわ。」

ツバキはマリアの分が減ってしまうのでお腹が空いてしまわないだろうかと心配でしたが、返そうとしても断られそうだったので食べることにしました。

普通の堅焼きパンのはずなのに、マリアと食べるととても美味しく感じました。

マリアが少しずつパンを食べていると、そこに痩せた仔犬が来ました。体は泥だらけで、お腹を好かせているらしく、黒い目をうるうるさせて寂しそうにくぅんと鳴きました。

それを見たマリアはパンをポケットに戻して立ち上がると、仔犬が汚れていることも気にせず抱っこして川辺に立たせました。そして手で水をすくい、仔犬を洗い始めました。

ツバキはそれを見て、優しい子だなと思い、マリアを手伝いました。

ツバキがハンカチで体を拭いてやると、2人のおかげで仔犬は綺麗でかわいらしくなりました。

綺麗になった仔犬にマリアは、さっきポケットに入れたパンを取り出して食べさせました。

「あなたと半分こね。どう、おいしいかしら?ごめんなさいね、これしかないの。」

そう言って仔犬を撫でました。

ツバキも仔犬を撫でてやると、仔犬はありがとうと言わんばかりにその場でクルクル回り、元気にわんっと鳴いてから軽やかに走っていきました。

「あ、私仕事に戻るわね。ツバキさん、ありがとう。楽しかったわ。」

「ぼくもだよ。また来てもいい?」

「ええ、気が向いたらいつでも。私はいつもここにいるし。あなたはきっといい皇帝になれるでしょうね」

それを聞いてニッコリ微笑むと、ツバキはお城に帰っていきました。

ツバキが帰ったあと、マリアは次はいつ来て下さるかしら、と考えながら仕事に戻りました。

それから、ツバキは隙を見ては城を抜け出し、マリアとお喋りをして帰っていく、という日々が続きました。

ある日、ツバキはお嬢様と馬に乗って散歩することになりました。

ツバキは不満げでしたが、親に行ってこいと言われたのなら仕方がありません。

(隣にいるのがマリアだったらいいのになぁ)

なんて考えてしまいます。

ツバキは小さい時からお嬢様を知っているので、お嬢様はマリアのような優しい子ではないことも自分のことを異常なくらい好いていることもプライドが高いことも知っていました。

だからこそ結婚が憂鬱だったのです。

気乗りしないながらも家来たちがみていますから、楽しそうなふりをして馬の手綱を握っておりました。

少し歩くと、雨が降り出しました。

視界が悪くなり、さらにどしゃぶりになりました。お嬢様とツバキ様は家来たちとはぐれてしまいました。

雨宿りできる場所を探していると、いつの間にかマリアの家の近くへ来ていました。

マリアは白いショールを濡らしながら懸命にクワを握っていました。

お嬢様にあの水車小屋に入れてもらおうと提案すると、お嬢様は断固拒否しました。

「なぜわたくしたちがあんな土まみれの汚いところに入らなければなりませんの?ここは私たちとは身分が違いますの。もう少し先へ行きましょう。それにしても、あの女。本当にみずぼらしくて頭の悪そうな子ね。土にまみれてとても汚いわ。醜い農奴を見ていたら、目が腐ってしまいますわ。さあ、行きましょう。」

お嬢様がそういった時、ツバキ様は思いました。

(彼女は幼い時から自分より低い身分とされているものを見下し、蹴落とし、そして自分が気に入らない人間すらも蹴落とした。そして今、マリアのことをバカにした。あんなに優しくていい子なのに。お前なんかより何倍も!!)

ツバキ様はついに堪忍袋の緒が切れました。

「うるさいな!文句ばっか見下してばっかで何が楽しい!?欲とわがままとプライドだけは一人前だなぁお嬢様?あの子は貧しいから、それを埋めるためにたくさん頑張っているんだぞ!?いくら法的に身分が低いからって、あの子は人間なんだよ。人としての権利はあるはずだ!!」

お嬢様は驚きました。ツバキ様の前でこんなことを言ったのは初めてではありませんでした。

その度流されていたのでてっきり何も思っていないと考えていたのです。教養のあるお嬢様でも、それを見抜くことは出来ませんでした。

「あなたは高貴な人です!皇帝になる人なのです。そんな甘い考えではなりませんわ!!」

「とにかく、僕は帰る!!君はすきにしろ!!」

「待ってください!皇太子様!!」

ツバキ様はカンカンに怒ってお嬢様を置いてお城に帰ってしまいました。

お嬢様はその場にぽつんと残されてしまいました。

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