エンヴィーメモリー(3)
どしゃぶりの中に置いてかれてしまったお嬢様は、形容し難い感情に襲われておりました。
どうしてなの?皇太子様、あなたは王族。
高貴なかたなのです。なのに、あんな薄汚い農奴を庇うような真似をして、、、
もしかして、、、可哀想に、あの女に洗脳されてしまったのね。
安心してくださいまし。私があの女に天誅を下しますわ。それとあなたは私以外の女を見たのですから、お仕置がいりますわね。
あなたが私のことを嫌うわけない。だって私はこんなに愛しているんだもの!!
私はあなたを愛することをやめませんわ。たとえ一生苦しむことになったとしても。
そして時が過ぎ、いよいよ明日はツバキ様とお嬢様の結婚式です。
お嬢様は何日もかけて選んだ特注の美しいウェディングドレスと純白のパンプス、そして天使をイメージした美しいヴェールをうっとりと眺めていました。そして明日は頭にティアラがのります。
それを想像して微笑んでいました。
いっぽうのツバキ様は気を抜いたら部屋のバルコニーから飛んでしまいそうなくらい憂鬱でした。
部屋には明日着る予定の見事なタキシードが置いてあります。それを見るだけでツバキ様は吐きそうになりました。
ツバキ様はあれ以来、お嬢様と会っていません。
感情に任せて酷いことを言ったのは後悔していましたが、彼女を許したくはありませんでした。なにより、マリアに会いたかったのです。
そして、ツバキ様は考えて考えてひとつの案を思いつきました。
「せめて最後に、マリアに会いたい。」
望まぬ結婚をさせられ、嫉妬深い妻ができるということは、マリアの元へは簡単に行けなくなります。
だから最後に自分の気持ちを伝え、いずれ皇帝になってこの世を変えるという意志を示そうと思ったのです。
マリアに会えなくなると思うと、ツバキ様は胸が引き裂かれそうでした。
ですが、心の整理をして夜になった所を見計らい、城を抜け出しました。
馬を走らせ、マリアの元へ急ぎました。
そして水車小屋に着くと、戸を叩きました。
「どなたですか?」
マリアは寝間着のまま出てきました。
そしてツバキ様を見ると、とても驚いた顔で言いました。
「明日は結婚式なのに、どうなさったのです!?」
「もう会えなくなるかもしれない。だからお別れに来たんだ。」
そういうと寂しそうに笑いました。
「そうですか。お元気になさってくださいね。いい皇帝になってください。ありがとう。」
マリアはそう言うと泣くのを堪えて微笑み返しました。
ツバキ様は帰りたくない気持ちを抑え、マリアと握手をすると、「立派な皇帝になってみんなを助けてみせる。大好きだった。」と言い、外に出ようとしました。しかし、、、
家の前にお嬢様がたっていたのです。
お嬢様は月明かりに照らされているせいか、とても不気味に見えました。
お嬢様は赤い眼を細めてにやりと笑うと、左手に持っているオノをこちらに向けました。
そう、お嬢様はこのことを予想していたのです。そして自分を捨てて駆け落ちするのではとツバキ様を疑い、私の元からいなくなるなら、いっそ私の手で、、、と考えたのです。お嬢様はただ、どんな形であれツバキ様を自分の旦那様に出来ればそれでよかったのです。
ツバキ様はなぜお嬢様がここにいるのか分かりませんでしたが、反射的に腰のサーベルを鞘から抜き、お嬢様に向けました。
そしてマリアに下がれといいました。
「どうしてそこにいるんですの?私がいるのですからほかの女を見る必要は無いでしょう。そしてそこの売女!私の旦那様に気安く触らないで!!」
言っておきますと、ツバキ様とマリアは決して汚らわしい関係ではありませんでした。
手だって今日初めて繋いだのです。それ以上のことはしたことありません。
お互いの気持ちを殺して友達として付き合っていたのです。
「ああ、あの女、、、私の旦那様を奪い、挙句の果てには洗脳するだなんて!!許さない。あんただけは絶対に殺す!!」
そう言った瞬間、お嬢様は今よ、と叫ぶと黒いマントを着た何者かがツバキ様の手足を狩猟用ライフルで撃ち抜きました。
ツバキ様は右足に重症を負い、とても歩けませんしサーベルを持つこともできません。
突然の事でマリアはあっけに取られていると、お嬢様はこちらへ来て、マリアの目の前でツバキ様の心臓目掛けてオノを振り下ろしました。
ツバキ様は「ま、り、、、あ、、、」
と最後に名前を呼び、床に伏して息絶えました。
そしてお嬢様は黒マント達にツバキ様の死体を運ばせました。
そして彼女ひとり、マリアの前に立ちました。
「恐ろしいわ、、、なんて恐ろしいの。人の旦那に手を出すなんて。ああ汚らわしい売女め、私が殺してやるわ。」
「ローズマリー様!私の話を聞いてください!彼を治療してください!!私は死んでも構いませんから!!」
「穢らわしい手で触るな」
そしてお嬢様は、マリアの前でオノを振り上げ、何度も何度も、動かなくなるまで狂ったように笑いながら切り続けました。
そして、マリアもついに息絶えました。
お嬢様はマリアの死体を畑に投げ捨てると、ツバキ様の死体と共に家へ帰りました。
ツバキ様の死体は、お嬢様の部屋のクローゼットに隠し、綺麗な服を着せました。
次の日、お嬢様は何食わぬ顔でピアノをひいておりました。
本日が結婚式なので、ウェディングドレスを着たまま、優雅にピアノをひき続けました。
お付きのものを待っているのです。
すると、我慢できなくなったお嬢様はクローゼットの前に立ちました。
そしてうっとりとツバキ様の死体を眺めておりました。
お嬢様は幸せでした。ずっと大好きな人がじぶんのものになったのです。ツバキ様が自分のものになることだけが彼女の幸福となっていました。
幼い頃から婚約者を決められ、満足に外に出ることも出来ず、好きなことも出来ず、花嫁修業と勉強ばかりだったのです。出来ないことがあればぶたれ、閉じ込められ、そんな悲しく辛い日々で、お嬢様はツバキ様と一緒になることだけが幸せだと思い込み続けてしまったのです。
そのせいか、お嬢様はすっかり性格が曲がってしまいました。
そしてお嬢様が変わらずツバキ様を眺めておりますと、お嬢様は独り言を言い始めました。
「ああ、お父様のことも皇帝陛下のことももうどうだっていい。あなたとここにいられれば。それでいいですわ。それだけが幸せですの。」
恍惚の笑みでお嬢様はそう言いました。
「黙れ、人殺し。」
お嬢様の耳に愛くるしい声が聞こえてきました。
低く冷淡なその声は、お嬢様が幼い頃からいつも聞いていた声でした。
そう、死んだはずのツバキ様の声です。
「僕は親友のマリアに別れを告げに来ただけなのに、殺された。どれだけ無念だったか、どれだけ彼女に申し訳なかったことか!!親同士のただの戦略結婚だぞ!?旦那の友人に手を出すなど言語道断だ!!」
「違いますわ!私はあなたを守りたいだけですの!!あなたに近づく薄汚い女どもはみんな殺してやるんですわ!!そうしたら私だけ見てくださるでしょう?」
「よく分かった。お前はほかの女性に対する行いや差別意識、そしてマリアを殺したことに対して何も思っていないんだな。」
「私はあなた以外のことはもうどうでもいいんですの。これからあなたの元へ行くのですから。」
「それはさせない。」
「あら、死んで欲しくないんですの?本当は私のことが好きですのね!!」
お嬢様がそう答えた刹那。
お嬢様の目の前が真っ暗になりました。
「な、なに?!」
音が反響しておりますから、とても広いところなのでしょう。
何が起こったのかわからずにお嬢様がうろたえていると、またツバキ様の声が聞こえました。
「お前は大罪人だ。自らの行いを悔い改め、別のものを純粋に愛せる心を取り戻すまで、このグランドピアノから出ることは出来ん。これは天罰だ。」
「そんな!!私、ツバキ様以外を方を愛することなんて死んでもできませんわ!!」
「じゃあそこで永遠に償い続けるんだな!!」
ツバキ様は温度の無い声でそう言い放ち、声は途切れました。
お嬢様はそれからたくさんたくさん考えました。しかしやはり、ツバキ様以外を愛することなど出来やしないのです。
そしてツバキ様に会うことすらも許されず、ずっと真っ暗なグランドピアノの中に閉じ込めらることになってしまいました。
数分後、お嬢様を呼びに使いの者が部屋へ来ますと、無惨に殺されたツバキ様の死体が発見されました。しかし、お嬢様はどこにもいませんでした。
お嬢様はピアノの中でしくしくと泣きながらツバキ様に会いたいと思い続けました。
死ぬことすらも出来ない暗闇の中、お嬢様はどうすることもできませんでした。
お嬢様が閉じ込められたピアノはとても上等なもので、売られるたび直ぐに買い手がつきました。
しかし、みんな「気味が悪い」、「悲しい音しか出ない」、と直ぐにうっぱらってしまうのです。
形容し難い悲しみに囚われたお嬢様は今でも、ツバキ様を愛し続けるでしょう。
真っ暗なピアノの中で、しくしくと泣きながら、、、
「お客様?大丈夫ですか!?」
店員さんに肩を揺すられて気がついた。
何故かこのピアノを弾いたら、すごく悲しくなって、涙が止まらなくなって、音もすごく悲しくて、本当に女の子が泣いているような憎んでいるような音がした。
「良かった、気が付きましたか。お茶が入りましたよ。」
私は店員さんにすみませんと言い、席へ戻った。
ハーバルの匂いがするお茶が入ったアンティークのティーカップを持ち上げ、口に含むと、口の中にいい匂いが広がって、クッキーも甘すぎずちょうどいい味で、いくらでもいけてしまいそうだ。
私が笑みをこぼしつつたしなんでいると、店員さんはこう言った。
「あのピアノ、買ったお店で初めて弾いた時は私も涙を流したんです。何だか無性に悲しくなって、涙が止まらなくなったんです。当時、私は失恋して間もなかったのでその音がとても心地良かったんです。なんだか、私のことをピアノがわかってくれているような気がして。それでこのピアノを買いました。」
「素敵な話ですね。」
私がそういうと店員さんはにこりと微笑んだ。
「このお茶、美味しいですね。なんのお茶ですか?」
「お庭で育てたローズマリーのハーブティーです。ほらあそこに。」
そう言って窓越しのお庭を指さした。
小さな池とベンチの周りに綺麗なローズマリーの花が咲き誇り、少し離れた低木には椿が植わっている。季節の花の紫陽花やジャスミン、薔薇達もきれいで、奥には檸檬の樹も見える。
絵にもかけない美しさとはこの事だなと思う。
「ローズマリーの花言葉、ご存知ですか?」
店員さんにそう聞かれ、私は首を横に振る。
「ローズマリーにはいくつかの花言葉があるんですが、変わらぬ愛、私を忘れないで、記憶、追憶、といった意味があります。なんだか、あのピアノのことみたいで私はこのお花が大好きなんです。」
たしかにな、と思った。
あの物悲しくて憎しみの混ざった美しいピアノの音色に私は惚れ、また大学の帰りに寄ってみようと思い、お会計をして店を出た。
あの音が気に入ったのは何故だろう。悲しくて憎しみが籠っているような音なのに惹き付けられるのはなぜかなと思っていたら、なぜだかローズマリーの匂いが懐かしくも恐ろしくなり、私は足早に路地を抜け出した。
大通りを歩いているとスマホが振動した。
電源を入れると、どうやらメールらしい。
男友達のユキからだ。
「すごい面白いゲーム見つけたから一緒にやろう!真珠愛、アクションゲーム好きだろ?夕方の5時くらいに俺ん家ね!」
ユキからの誘いに私は並々ならぬ喜びを感じつつ、私は帰路についた。
今度こそ、幸せになりたい。
そして彼女に、純粋な恋心を取り戻して欲しい。